最近、シオンの様子がどうも変だ。
毎日のように深夜になると屋敷を抜け出し、どこかへ向かっているらしい。
琥珀さんに聞いてみると、朝方には帰ってくるらしいが、それまでの足取りはハッキリとしない。
もちろん本人に聞いてみる、という選択肢を考えなかったわけじゃない。
しかし、屋敷を抜け出しているということはつまり、誰にも知られたくないということなのだろう。
なんとなく、聞くのは躊躇われた。
だけど、だからって放っておくなんてことはできない。
まったく。
人には危ないことするなとか言うくせに、自分は一体何をしているんだか。
何か問題があるのなら、もっと俺を頼ってくれてもいいのに。
それくらいのことは、俺にだって出来るし……。
何より、俺はシオンの助けになりたいと、そう思っているのだから。
Sの夜会
街並みに人の姿は少ない。
まだまだ起きつづけている人――俺たちのような人間は居るようだが、それでも街は完全に眠りについている。
そのおかげで、かなり距離をとっているにもかかわらずシオンを見失うようなことはなかった。
彼女が向かっているのは、繁華街から少し離れたビル街だった。
まさかまさか毎夜コンビニに通ってストロベリーアイスを買っているとは思っていなかったし、向かうとしたら人の少ないところだろうとは思っていたが、それでもシオンがそちらに向かっていることに少し困惑する。
いったい、なにをしようとしているのかさっぱり想像がつかない。
そんなこちらの困惑をよそに、シオンの足取りには迷いがない。
何かを探すわけではなく、目的の場所へ最短のルートで向かっているらしい。
やがて、ビルとビルの合間、その暗い路地の前でシオンは立ち止まった。
しきりに周囲を確認し、コンコンと壁を叩く。
いったい何が――――と首を傾げる間もなく、路地の奥から声が聞こえてきた。
『遠野志貴は――――』
「鈍感大魔王」
「……いらっしゃい、シオン」
建物の影から現れたのは、弓塚さんだった。
笑顔でシオンを迎え、それに対してシオンもまた笑顔で答える。
その表情は同じ屋根の下に住んでいる俺でも滅多に見たことのない、優しい笑顔だった。
二人は楽しげに二言三言言葉を交わすと、路地の裏に消えていった。
なるほど、なんだか最近妙に仲がいいと思っていたら、つまりこういうことだったわけだ。
毎夜毎夜シオンが屋敷を抜け出していたのは、ここで弓塚さんと会うためで、そして今のは合言葉だったわけだ。
なるほど、なるほど。
……。
…………。
………………。
いや、ちょっと待て。
今、とんでもなく酷いこと言われなかったか?
なるほど、なんて納得している場合ではないような気が……。
なんだか、それについて深く議論してみたいような、それでいて絶対に議論したくないような、そんな恐ろしい言葉をとりあえず今は無視するとして、二人の後を追うことにする。
シオンと弓塚さんがこちらが思っているよりもずっと仲の良い友人なのだということは分かったけれど、それにしてもこんなところでいったい何をするつもりなのか、それが分からない。
俺は路地の中へと身体を滑り込ませた。
狭い路地を抜けていく。
水はけが悪いコンクリートの地面にたまった水溜りを踏まないように気をつけ、エアコンの室外機やら排気ダクトに頭をぶつけないよう注意し、なんとか進んでいく。
シオンたちがスルスルとこの迷宮のような路地を抜けていけるのは、きっと半吸血鬼化しているからだ。
夜目が利くのだろう。
やがて路地は終点にたどり着く。
無計画に乱立されたビルとビルの合間。
その中心。
都会の死角ともいえるそこには、八畳ほどの空間がポッカリと開けていた。
その空間を目の当たりにして……呆然とする。
(これは……いったい、何なんだ……?)
まるで夢でも見ているかのようだ。
そこには――――何故だか、屋敷のテラスにあるような白いテーブルと椅子が置かれていた。それも、路地裏の真ん中にポツンと。ただそれだけが。
明らかにウイテいる。
もう、それだけで十分すぎるくらいの異様。
異次元に迷い込んでしまったのではないかと錯覚するほどの怪異だ。
だけどそれを殊更異様たらしめているのは、何よりもこの風景だと思う。
暗い、まるで井戸の底の様な閉塞的な空間。その壁――それは周りのビルの壁であるのだが――は見渡す限りの赤、赤、赤。
ペンキをぶちまけたように、粗雑な赤の群れが壁という壁を覆い尽くしていた。
そこから流れてくる強烈な香りに、脳がクラクラする。
思わず、鼻と口を押さえた。
それで、この光景が夢ではないのだということを確信する。
「なかなか様になってきましたね」
シオンが壁の赤を見て感慨深げに呟く。
「そうだよねぇ。だいぶ、路地裏らしくなってきたよ」
「えぇ。やはり路地裏はこうでなければ」
ウンウンと頷きあう二人。
……どうやら二人は路地裏と言うものに対して何かすさまじく偏った意見を共有しているらしい。
「でも、ちょっとペンキ臭いのが難点だよね」
って、ホントにペンキなのかっ!
確かに。改めて嗅ぎなおしてみると、先ほどからの匂いは……ペンキのものだった。
そりゃ脳もクラクラするはずだ。
なんだかすさまじくゲッソリするこちらに対して、シオン達はいたって普通に会話を続ける。
「それじゃあ、お茶入れるね」
「ありがとう、さつき。今日は私もお茶請けを用意してきました。琥珀謹製シフォンケーキです」
「わぁ! 琥珀さんのお菓子って、凄く美味しいから楽しみだなー!」
そう言って嬉しそうに手を叩く弓塚さん。
確かに琥珀さんのお菓子は美味しい。
……クスリが入ってさえしなければ。
しかし、そんなことは考えていない二人は、楽しげにティータイムの準備を進めていく。
(フム……)
どうやら、想像していたのとは違って、ただ単に友人と深夜のお茶会を楽しんでいる――果たしてこんな場所がお茶会にふさわしい場所なのか、二人はそれで満足なのかは疑問だったが――だけらしい。
ホッと、息を吐く。
(どうやら俺は、お邪魔虫みたいだな)
彼女たち二人の時間を壊してしまうのは忍びない。
俺はその場から立ち去ろうと身体の向きを変えようとした。
――――それが悪かった。
カタリ、小さな小さな、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな音が鳴る。
だけどそれは、例えば日中の交差点だったり、学校だったり、他の音に溢れている場でならの話。
ここは人気のない路地裏。
死のような静寂に支配された空間。
どんな小さな物音すらも、そこでは死人すらたたき起こしかねない巨大な音へと変わる。
「ムッ!」
しまった――――と思った瞬間には、シオンは動いていた。
素早く椅子から立ち上がると拳銃を抜き取り……。
ばきゅーん! ばきゅーん! ばきゅーん!!
眼にも留まらぬ抜き打ち三連射。
……ただし、見当違いの方向へ。
(あれ?)
隠れようと身体をかがめたままの体勢で、呆然とその銃口の先を見る。
そこには――――
「動くな、安全は保障する」
「いや、シオン。ただの野良猫だから……」
壁に開いた三つの小さな穴の中心に居たのは、一匹の野良猫だった。
猫はシオンの言葉に律儀に従っているのか、それともただ単に恐怖に固まっているのか――――恐らく後者だろうが、その場からピクリとも動かない。
それをしばらく見つめていたシオンだったが、やがて少し頬を赤らめながらそっぽをむいて、「ごめんなさい、行って構いません」と呟いた。
「……シオン」
「わ、私だって間違いはあります!」
恥ずかしそうに呻くシオン。
しかしそれよりもなによりも、間違いで撃ち殺されそうになった猫の気持ちにもなってあげて欲しかった。
今度からシオンに近づくときは気をつけよう。心の中でそう堅く決心する。
「それにしても。猫……猫、かぁ」
「どうしたのですか? さつき……」
「うん。あのね……この前のアレはいったい、なんだったんだろうって……」
「この前のアレ? あぁ、さつきが友情よりも愛情を優先したあの事件ですね」
「わっ!? あ、あれは違うよー!」
何が何だか、こちらにはさっぱり分からない切り替えしに、弓塚さんは何故か盛大に反応した。
顔の前でワタワタと忙しなく両手を動かし、身体全体で否定を表現する。
しかし、シオンは冷静だ。
「かまいません、さつき。貴女の気持ちは良く分かっていますから」
「う、うぅぅ……」
もはや言葉も無い、といった感じだろうか。
どうやらあの暑い夏の夜の続きの話をしているらしいのだが、俺が知らないところで二人の間に何かあったらしい。
「シオン、いじわるだよぉ……」
すねた口調の弓塚さんに、シオンは「冗談です」と軽い口調で返した。
しかし、すぐにそれは重たいものへと変化する。
「……さつき。貴女は、事情を知る必要などありません」
「え……?」
「貴女が関わることに、意味など無いといっているのです」
シオンのいっそ冷徹とすら思える言葉に、弓塚さんが息を呑む。
だけど、そんなのはこちらも同じだった。
今のシオンの言葉は、あんまりにも酷すぎる。
「シオン……」
弓塚さんの声に、今にも泣きだしそうな色が混じる。
とっさに、俺は路地から飛び出そうと考えていた。
今なら、フォローを入れられる。
そう思って。
だけど――――それは杞憂に終わる。
「さつき。貴女は貴女が思っている以上に危うい立場なのです。あのような瑣末な事件に関わりを持つ必要などありません」
シオンは冷静に、だけどまるで妹を諭すかのような優しげな口調で言った。
「貴女は、何よりもまず、貴女のことだけを考えていれば良い」
「シオン……」
「あ、貴女といい志貴といい、どうしてこうも自覚がないんでしょう。私から見れば、貴方達はまるでビルとビルの間に張った一本の細い糸の上を歩いているくせにそれに気づいていない夢遊病者のようです。見ているこっちの方が――――ハラハラする」
声は徐々に小さくなり、最後の言葉は掠れてほとんど聞こえなかったけれど、顔が少し赤くなっているのだけは分かった。
弓塚さんもその意味に気づいているのだろう。
しかし、しばらく沈黙した後、彼女は口を開いた。
「でも……うん。でも、やっぱりダメだよ」
「ダメ? 何がダメなのですか?」
「シオンの言うことは分かるけど、それでもやっぱり私は……遠野くんやレンちゃんに何かあったら、きっと首を突っ込んじゃうと思うな。もちろん――――シオンの事も」
「それは……。ですが……」
「それに――――ピンチになったら、また遠野くんが助けてくれるから、ね」
「さつき……」
弓塚さんの表情はこちらからではつかめなかった。
それでも、シオンの困ったような、それでいて優しい顔が見れたから――――それで十分だ。
弓塚さんがどんな思いで言ったのかなんて、それで十分すぎるほどに分かる。
胸が締め付けられるような……良く分からない感覚。
「貴女は、本当に志貴のことが好きなのですね」
「……うん」
そんな小さいけれど、ハッキリとした答え。
そんなのを聞かされてしまったら、むしろこっちまで赤くなってしまう。
なんだかすごく、居た堪れない気持ちだ。
……とにかく、急いでここから離れよう。
ここで俺が聞き耳を立てていたなんて、そんなことが知られたら――そう考えてゾクリと体を震わせる。
弓塚さんはともかく、シオンはあれで秋葉属性――これっぽっちも容赦がない――だから。
どんな恐ろしい罰が待っているか、知れたものではない。
屈んだままだった身体を動かし、向きを変えようとする。
だけど……。
いい加減無理な体勢を続けていた身体は、もうとっくに限界だったらしい。
グラリと、腰から砕けそうになり、慌てて踏みとどまろうとした足が見事なまでに絡まった。
悪夢の中で出会ったもう一人の自分が見たら笑うよりもむしろ真剣に怒り出しそうなくらい間抜けに――――俺はこけた。
ガタンゴトンと、物凄い音がする。
それは、どうしようもないくらい、隠しようのない騒音だった。
「あ……」
「あ……」
「あ……」
全員の呆然とした呟きが見事に一致する。
俺はシオンたちを見て。
シオンたちは俺を見て。
ただひたすらに、硬直する。
世界が完全に停止してしまったかのような静寂。
それだけで人が死にそうな重たい沈黙。
『聖人になれ、なんて事は言わない。君は君が正しいと思う大人になればいい』
『先生……』
先走った脳が、走馬灯を映し出すほどに、致命的だった。
「き、き、き……」
硬直を真っ先に抜け出したのは、不運にも弓塚さんだった。
「聞かれたーーーーーっ! 遠野くんに聞かれたーーーーー! 何の心構えもしてないのに! しかもこんな所でっ!! わたし、もう生きていけないよーーーーー!!」
悲鳴のように甲高い声を上げながら、人間離れした跳躍力でビルの向こうへと消えていく弓塚さん。
「え、ちょっ、弓塚さんっ!?」
「志貴……あなたと言う人は……」
「い、いや。これには深いワケが! とりあえずゆっくりと落ち着いて話を……って、なんで無言で近づいてくる!? しかも拳銃構えてるしっ! シオン、シオンさんっ、ちょ、ちょっと待って、話を……わ、わ、わ、わあああああぁぁぁぁぁ!!」
幽鬼のような顔をしたシオンの姿が詰め寄ってくる。
そうして、悪夢ではない、現実の死闘が始まった――――。
蛇足として。
その後、俺が目覚めたのは、あれから三日後で、しかも途中からの記憶がスッパリ抜け落ちていた。
さらに。
弓塚さんが再び以前のように姿を現してくれるまで、一週間もかかった。
「いっそ悪夢であれ」
そう祈ったのは、言うまでもない。
あとがき
『メルティブラッド Re・Act』SSです〜。
Fateを書こう思っていたのですが、Re・Actをやってこの二人の関係にすごく惹かれてしまったので♪
路地裏同盟♪
いったい、どういう活動内容なんでしょうねぇ?(笑
他にも白レンとか、先生とかのお話も書いてみたいです。
……あいかわらず、いつになるかは分かりませんが(ぉ
でわでわ〜。