兄嫁は下級生!? 〜The family game〜
06/崩壊が始まる
「秋葉様、朝食の用意が出来ましたよ」
「そう、ありがとう」
昨日の晩はなかなか寝つけなかったからまだちょっと眠たい。
ベッドに入ってからも悶々と、思考は回り続け、結局眠りについたのは午前三時を過ぎてからだった。
もちろん、だからといって、そんな眠たさを表に出す秋葉ではないが。
食卓のいつもの場所に座り、出されたお茶をすすっていると、程なくして朝食が運ばれてきた。
今日は和食のようで、ご飯と味噌汁、そして鮭の焼き物だった。
朝からあまり食べるほうではないので、これくらいの量で足りる。
味噌汁を一口、啜る。
「あら? 琥珀、味を変えたの?」
「お口に合いませんか?」
「いえ、悪くないわ。少し塩辛いような気もするけどね」
「あぁなるほど〜。確かに若者向けのお味なのかもしれませんね」
若者向け? と聞こうとして、秋葉は一つの恐ろしい可能性に気づいた。
「まさか……」
「はい。それを作ったのは晶さんですよ〜」
ガタンッ!
言い終わるよりも早く、秋葉は立ちあがっていた。
全力の怒気を込めて、琥珀を睨み付ける。
「謀ったわね、琥珀……」
「いえ。晶様がどぉ〜しても秋葉様に朝食を作りたいと言われましたので。ワタクシといたしましては、主人に出す料理を他の方に、しかもお客様に作っていただくなんて絶対に出来ないと申しましたのですが、晶様がそこを何とか、と頭を下げて懇願なされたので……」
「白々しい言い方は止しなさい!!」
「ウフ♪ お気に召しませんでしたか?」
「当たり前でしょう! こんなもの、さっさと下げてしまいなさい!」
「おいおい、いくらなんでもそれは無いだろ」
「兄さん……」
いったい何処に居たのか――恐らく台所に隠れていたのだろうが――突然現れた志貴が秋葉をたしなめた。
「秋葉だって美味しそうにしてたじゃないか」
「……」
クッと悔しさに奥歯をかみ締める。
そうだ。いくら悔やんでも、一度言ってしまった言葉を無かったことにすることは出来ない。
台所のほうから、志貴の背中に隠れるようにしてこちらを見つめている晶の姿を見つけ、秋葉は自分の不利を理解した。
だけど理解したからと言って、こんな状況、認められるわけなかった。
それが、遠野の当主としての秋葉のプライドだ。遠野財閥を背負って立つ、そのように育てられた、秋葉のプライドだった。
「……今日は、朝食は要りません!」
ダンッとテーブルを強く叩いたのは最後の強がりだった。
秋葉は志貴達に背を向けると、リビングを飛び出していった。
秋葉は、部屋のドアをゆっくりと開け、普段通り優雅に室内へ入った。
もし普段通り出来なかったとしたら、まるで自分が敗北したみたいだからだ。
敗北して、逃げ帰ってきたみたいに、思われたくなかった。
思う人間はおろか、見ている者など一人も居ないのにもかかわらず、秋葉は常に周りを気にしている。
そうあるべく、彼女は教育を受けてきたのだった。
……悔しかった。
(あんなの、フェアじゃない……)
どうしようもなく、無性に悔しかった。
何が悔しいのか、さっぱり分からないほどに悔しかった。
脳が混乱して、なにも考えられない。予期しないエラーだ。
「秋葉様……」
使用人の二人が入ってくる。
志貴と晶の姿はない。自分の事を追ってこない兄に苛立ちながらも、今の自分の顔を見られない事に関しては良かったと思う。
パラドックスだった。
自分でも嫌になるほど、混乱してる。思考に整合性がない。論理的解釈が非常に困難になっている。
いつだって、感情を押し殺し、冷静沈着であるよう努力してきて、今や完璧に身につけた強力な精神防壁。
だというのに、今の状態はどうだ?
矛盾だらけの心が、秋葉には苦痛だった。
(でも……)
この矛盾の源は、いつだって兄である志貴だった。志貴だけが、秋葉の強固な結界を破壊する能力を持っている。
もしかしたら、自分はそれを望んでいるのかもしれない。この冷淡な仮面を破壊して、心を解き放って欲しいのかもしれない。ずっと昔、あの日。幼い頃のように。透明な心のまま、兄の背中を追いかけていた、あの頃に戻りたいのかもしれない。
秋葉は、なんとなくそう思った。
だとしたら、なんて酷い……荒療治なんだろう。
パラドックスを起こして内部崩壊させるなんて、無茶苦茶だ。このままじゃ、心のほうが先にイカレてしまう。
「秋葉様?」
「……なに?」
いつのまにか、二人の使用人がすぐ傍まできて、秋葉の身体を支えていた。
自分は、倒れたのか……。
そんな事すら分からないくらい、自分は壊れてしまっているのだろう。
「とにかく、こちらへ……」
使用人二人が、秋葉の身体を支えつつ、ベッドのほうへ導こうとする。
秋葉は、足に力を入れ、それを拒んだ。
まさか……こんなことで、寝込んでたまるものか……。
「秋葉様、申し訳ありません。そんなにお怒りになるとは……」
「黙りなさい。……もう、いいわ。今すぐ、瀬尾を家から追い出しなさい。候補生の話も、無しよ。翡翠、あなたは兄さんを部屋に戻しなさい。出れない様に、鍵をかけて」
「秋葉様、ですが――――」
「黙りなさいと言ってるでしょうっ!!」
部屋の中に、秋葉の声が響いた。そのあまりの大きさに、出した本人すら驚いたほどだった。
「あなた達は、私の言われた通りにすれば良いんです……」
「……お二人のこと、どうされるおつもりですか?」
「……認めないわ。絶対に……」
「ですがっ!」
翡翠は、その横暴とも言える言動に、異議を唱えようとした。
しかし、秋葉の表情を見て、一瞬息詰まる。
暗い表情だった。少女本来の生命の輝きを感じさせない、昏い顔だった。なのに、絶対的な意志だけが鈍く光っている。
赦さない。その意志だけが、今の秋葉を完全に支配していた。
「どうして……」
わずかに恐怖しながら、翡翠は言葉を捜す。
「どうしてそんな……まるで、お二人の関係を認めてしまったら、自分が死んでしまうような……そんな、頑なに拒否し続けるのですか?」
「っ!!」
その、少女からでてくるとは思っていなかった言葉に……そして、そのあまりにも直球勝負な内容に、秋葉は一瞬息が詰まった。
「秋葉様は秋葉様です。たとえ志貴様の隣に誰が居ようとも……」
「あなたに、何が分かるというのっ!」
「キャっ!」
思わず、手が出ていた。言葉で封じ込めることが出来ないと、勝手に脳が判断したのだ。
だから、馬鹿みたいに暴力で封じ込めた。
聞きたくなかった。何も聞きたくない。
そんな言葉は絶対に聞きたくない!
「秋葉様……」
「聞きたくない! 聞きたくない! 言葉をかけないで! 私を惑わせないで! 兄さんは私の物なのよ、誰にも、絶対、渡さないっ!!」
「だったら――――」
それは、悪魔の声。
「いっそ壊してしまいませんか?」
「――――え?」
「姉さんっ!」
「たとえば、大切な何かが壊れてしまうのだとしたら? ずっとずっと、大切にしていたそれが壊れてしまうのだとしたら? いっそのこと、周りの全ても壊してしまいたいと、思いませんか?」
割烹着の少女は恐ろしいほどに優しい微笑みを浮かべたまま、秋葉の手を握る。
その掌に納められた小さなガラス瓶。そして中にある一粒のカプセル。
……エデンの、果実。
けして、手にしてはならない、禁断の……。
「私なら、そうします。全てを壊してしまえば、大切な物が壊れてしまった悲しみも、薄れるから」
一言一言区切られ、琥珀の言葉はまるで呪文のように秋葉を支配した。
壊れてしまったお人形さんと一緒に、その服や家も壊してしまおう。着る者のない服、住む者の居ない家は、喪失感を強めるだけだから。失ったという事を、知らしめるだけだから。
だから、全てを壊してしまおう。全て壊れてしまえば、きっとどれが大切な物だったのか、何を無くして悲しんでいたのか、分からなくなる。壊れてしまったお人形さんの事も、忘れることが出来る。
それは、混乱し崩壊した秋葉には道理に聞こえた。
「姉さんっ!」
「どうです? 秋葉様。あなたはどうしますか?」
「私は……」
私は、どうしたいのだろうか?
秋葉は薄れかかっている思考で考えた。自分はどうしたいのか?
頭をフル回転させる。これまでない、以上の力で。
だけど、考えなくったって……そんなの決まってる。
答えは一つだった。
「兄さん。兄さんは私だけの兄さんなんです。誰にも……誰にも渡さない!」
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