兄嫁は下級生!? 〜The family game〜





07/狂おしく、愛しく


 

「兄さん、お話があります。……離れへ行きませんか?」
 秋葉が志貴を呼び出したのは夕食が終わってからだった。
 今日も晶の部屋へ行こうとしていた志貴を、半場無理やり離れに連れ出した。
「なんだよ、こんな場所で……」
 立ち入り禁止じゃなかったのか?
 と問い掛けてくる志貴を秋葉は無視した。
 そんな妹の姿に、志貴は小さくため息を一つついたが、それ以上はなにも言わなかった。
 どうせいつものお小言を言われるのだと、考えているのだろう。 
 露骨な志貴の仕草に、しかし秋葉は何も言わなかった。
 今重要なのは、そんな仕草を指摘することではない。
 畳の上に正座し、真正面に座る兄に、視線を向ける。
 今重要なのは、秋葉の最後の願いであり、そして志貴の答えだ。
 その結果によっては、未来は大きく変わる。
 秋葉は、一度大きく息を吸いこんだ。
 冷静でなければならない。
 感情的につっかかっては、ダメだ。
 そう……わかってはいるのだが、今の秋葉にそれが実践できるかどうか、分からなかった。
「……兄さん。どうして、今すぐなんですか?」
「別に意味は無いよ」
 予想していた質問だったのか、志貴は即答した。
「せめて、高校を卒業してからでも……」
「もちろん、実際に籍を入れるのは卒業してからだよ。そういう意味で、結婚自体は今すぐというわけじゃない。だけど、俺は晶ちゃんと一緒になる。それはもう決まったことだ」
 突き放すようなその言い方に、秋葉はそれでもすがりついた。
「生活はどうするんです。まさか就職するおつもりじゃないでしょうね?」
「そのつもりなんだけどな……やっぱり反対するかな?」
「ダ……ダメに決まってるでしょう!」
 兄さんは仮にも遠野の長男なんですよ! と激しく畳を叩く。
 しかし、志貴は気楽に笑った。
「だったら秋葉が雇ってくれよ。秋葉のサポートをしながら、会社の経営について勉強していくからさ」
「そんな無茶苦茶な……」
 違う……。
 志貴は、まるで意味が分かっていない。
 秋葉が言っているのは、つまり雇用されるという事、それ自体なのだ。
 遠野財閥のトップであり、最高の権限を持つものが、誰かに「雇われる」などという状況自体が認められるものではない。
 そんな事をすれば、遠野の名に泥がつく。
 そして、名前に泥がつく、という事がどういう事を意味しているのか、それも分かっていない。
 志貴は、何も分かっていないのだ。
「……ごめん、秋葉。でも俺は早く自活できるようになりたいんだ」
 なんのためにそんなに急ぐんですか? 秋葉は聞かなかった。
 聞かなくったってそんなの分かる。
 晶の為だ。晶と一緒に生活していく為だ。
(じゃあ何……? 自活できるようになったらどうなるの?)
 決まっている――――遠野の屋敷から出ていくだけだ。
 志貴は晶と二人だけで生きていけるようになりたいのだ。
 自分達から……この家から……離れていきたいんだ。
「どうしても……お気持ちを変えるつもりはないのでしょうか?」
「……ごめん」
 秋葉の中で、なにか大切な物を支えていた糸が切れた。
 強い風に飛ばされそうになっている凧を、地上と繋ぎとめていた、大事な糸だった。
「……少し、のどが乾きました。お茶を入れますね」
「あぁ、ありがと」
 小さく微笑みつつ、秋葉はたち上がった。
 その手の中には琥珀から貰った小ビンがあった。
 もう、引き返せない。
 


 秋葉達を見送ったまま、することも無く玄関で立ち止まっていた琥珀と翡翠の前に、ちょっとヨロヨロとしながら晶がやってきた。
 さすがに慣れない人間にはキツイのだろう。今日ももちろん花嫁候補生としての訓練を受けていたのである。
 時々、嫌がらせのような理不尽な訓練も含めているが、もちろんそれ以外にも翡翠達が普段からやってる仕事の訓練も行っている。
 だが、こういうのは慣れだ。運動になれるという意味ではなく、仕事に慣れるという意味で。
 どこで、どれだけ手を抜けるか……手を抜いても大丈夫な場所、それが分からないと、とてもじゃないがこの巨大な屋敷のメイドなどやってられない。
 といっても、晶がもし志貴と結婚するのだとしたら、当主の夫人としてこの屋敷に入るわけである。そうなれば、メイドの仕事などやる機会はないだろう。 
 だがもちろん、今のこの訓練は無駄ではない。主人と使用人は、お互いにお互いの仕事の辛さを理解していなければならない。お互いに尊敬しあえなければ、正常な関係を維持できないからだ。
「あの……志貴さん、知りませんか?」
「志貴さんなら、秋葉様と一緒に裏の離れに行かれましたよ?」
「そうですか。ありがとうございます!」
 ぺこりと小さく頭を下げ、嬉しそうに走って――ノロノロとだが――いく晶。
 その背中を、二人は視線で追った。
 彼女の行く先にまっているのは……恐らく、彼女を絶望に追いやるに容易い現実だろう。いや、それならばまだいい。今の秋葉は、あるいは彼女の命すら奪ってしまうかもしれないのだ。
「これで……良いんでしょうか?」
「…………」
「止めるべきだったのではないでしょうか?」
「…………」
「姉さん……」
 返事は無い。
「姉さん。姉さんは本当にこんな事、望んでるんですか? まだ……遠野家を憎んでいるんですか? 姉さん……姉さんッ!」
 後ろからかかる翡翠の叫びに、しかし琥珀は何も答えなかった。
 ただ、開かれた玄関の扉から、空に浮かぶ月を見つめていた。



 薬の効果は絶大だった。
 秋葉が出したお茶に手をつけた志貴は、一、二分の間に身体を弛緩させて離れの畳に倒れ付していた。
「兄さん?」
「あ、きは……」
「意識はしっかりしたままなんですね。随分好都合な薬です」
 筋弛緩系の薬品なのか、それとも神経系を麻痺させる薬なのか、秋葉には分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。
 志貴の意識がハッキリしていたほうが、きっと楽しめる。
 秋葉は仰向けの志貴の横に座ると、真上からその顔を覗きこんだ。
 そう言えば、志貴と共に暮らすようになってから彼の顔を、こんなにもじっくりと見たことは無かったように思う。
 つねに慌ただしくて……そして、なんとなく気恥ずかしくて。
 いや、それだけじゃない……。
 どこかに、馬鹿みたいな安堵感があったのだ。
 もう、絶対に失わないと、何故か馬鹿みたいに信じていた自分がいた。
 いつでも見れる。いつだって会える。
 望めば、そこに居る。
 だから急ぐ必要は無い。
 これからも、ずっと一緒にいられるのだから、焦って求める必要なんか無い。
 本気で、そう信じていた自分がいたのだ。
(馬鹿な私……)
 かつて見たときはまだまだ子供だったのに、その顔は随分と男らしくなっていた。
 そっと、その肌に触れる。
 琥珀の栄養管理は完璧だ。肌のツヤは良好。
 ゴツゴツとした骨の感触が、自分との違いを――つまり女と男の違いを――感じさせてくれた。
「兄さん……兄さんがいけないんですよ」
 思わず笑みが漏れる。
 馬鹿げたシチュエーションだと、自覚していた。
「兄さんが、私の事をちゃんと見てくれないから」
 指で、ゆっくりと志貴の顔の形をなぞって行く。
 口。鼻。頬。目。眉。額。
 ジワリと汗ばんだその肌を、愛しげに撫でていく。
 志貴の瞳は、この状況ですら怯えていない。
 空に浮かぶ月のように、ただ秋葉の顔を照らすだけ。
 それもまた、嬉しかった。
 恐怖に怯え、震える兄も可愛くて良かったかもしれないが、やはり凛々しい方が秋葉の好みだった。
「兄さん……結婚なんて、させませんよ? 私が、一生面倒を見て差し上げます」
「お……」
「お断りだ。……でしょう? 分かってますよ。ただ、そう願っただけで現実になるだなんて、思ってません。でも、薬で何も考えられないようにしてしまったら? あるいは、両手両足を切り落としてしまったら? 兄さんはどうやって生きていくんですか? 私は大丈夫です。兄さんが廃人になろうと、蓑虫みたいな姿になろうと、想う気持ちに揺らぎはありません」
 優しい微笑で、そう語る秋葉。
 一瞬だけ、志貴は身体を震わせた。
 今の彼女なら、実際にやるだろう。
 そう思わせる狂気が、間違いなく、彼女にはあった。
「兄さんは、どちらがお好みですか?」
「あ……」
 何を言おうとしたのか、志貴はただ吐息を漏らした。
 その口が愛しく、秋葉は思わず身体を動かしていた。
 触れていた指を放し、そして顔を近づけていく。
「兄さん……」
 自分の初めてのキスが、こんな形になるだなんて……。
「志貴さん! 遠野先輩!?」
 唐突に聞こえてきた声に、ハッと、顔を上げる。
 そして、開かれた襖の方へ視線を向けた。
 案の定、見知った少女の姿が、そこにあった。
 この異常な状況に驚き、立ち尽くす少女……晶の姿に、秋葉は思わず苦笑した。
 琥珀の仕業だと、すぐに理解したからだ。
 あの女が、晶をここへと導いたのだ。
 さらなる崩壊を起こすために。
 ――――だが……それもまた良い。
 やるなら徹底的に、が秋葉の信条なのだ。
「いらっしゃい、瀬尾。待ってたわ」
 秋葉は、謡う様に言った。






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