兄嫁は下級生!? 〜The family game〜
08/きっと一番、大切なモノ
蒼い月明かりに照らし出された室内は、昏く冷たい――――
吐息しか聞こえてこないほどの静寂は、まるで月の砂漠――――
闇夜の座敷に広がるは、死人のような絶望――――
「いらっしゃい、瀬尾。待ってたわ」
謡う様にそう言った次の瞬間、秋葉の髪が紅く染まった。
そして、何が起こっているのか分からず呆然としている晶の首に、その髪が巻きついた。
冗談ではない膂力で、そのまま晶の小さな身体を宙に持ち上げる。
「あ、ぐっ!」
「あきはぁっ!」
「大丈夫です、兄さん。殺したりなんてしません。だって瀬尾は……私の可愛い後輩なんですからね」
狂気に染まった微笑を、後輩にも向ける秋葉。
しかし、そんな今までみたことも無い秋葉の表情に、晶は「ひっ」と息を詰まらせた。
指の先まで震えるほどの恐怖に、瞼を閉じることすら出来ない。
「貴女も悪い子ね。こんなカワイイ顔して、ホント、酷いわ」
秋葉の指が、引き寄せられた晶の細い首筋を撫で上げていく。
ゆっくりと、滑らかに。氷上の精霊、フィギュアスケートのように、白い肌の上を滑っていく。
そのこそばゆいような、官能的な感覚に晶は、恐怖とは別に、ゾクゾクと身体を震わせた。
その仕草に、秋葉の微笑がより鮮やかになる。
「感じているのね」
「っ!?」
「別に悪いことではないわ。可笑しい事でもない。恐怖を性的快感に置き返るのは、高い知能を持っている証拠よ。過度のネガティブな感情を、反転させることで精神の安定をはかる。えぇ、それって実に人間らしいじゃない? 心の脆い、人間らしい、浅ましい代返行為だわ」
撫でていた指を離したかと思うと今度は、グッと、秋葉は少女の首をつかんだ。
今の彼女なら、この首を片手で圧し折る事だって出来る。爪をジワジワとねじ込んで、血管を弾く事だって出来る。
晶は、その激痛すら、快感に変換することが出来るだろうか?
なんとなく、期待はある。マゾッ気の強そうな少女のことだ、もしかしたら思いのほか楽しませてくれるかもしれない。
「まさか、貴女が私の敵になるだなんて……想像もしてなかった。だってそうでしょう? 貴女は私の可愛い後輩で、真面目な女の子で、乳臭い餓鬼で、絶対男を知らない身体だと思っていたんですもの」
自嘲しているのか、秋葉の微笑は歪んでいる。
「それなのに、飛んだ食わせものだわ」
晶の首をつかんでる腕に、さらに力を加える。
ギリギリと、引き絞ってゆく。
声にならぬ悲鳴を上げる晶を見ながら、さらにさらに――――
と、そこで服を後ろから掴まれ、秋葉は振りかえった。
別に、驚きなんてしなかった。
自分の兄なら、これくらいの事――薬で動かないはずの身体を無理やり動かすくらいの事――やってのけて当然だと思ったからだ。この状況で、ただボーっと見ているだけの人間なら、秋葉もここまで惹きつけられなかっただろう。
「あきは……」
「あら、兄さん。心配しなくても、兄さんのお相手は後でちゃんとしてさしあげます。今はまず、この可愛らしいお人形さんで遊ばなくてはね」
だが、それでも志貴の指は離れない。
その事が、秋葉の微笑をさらに凶悪にさせた。
ならば、その意志がいかほどの物か、試してみるのも一興。
「それほど大事ですか、兄さん。それじゃあチャンスを差し上げましょう。私か、瀬尾か。どちらか一方がここで死にます。――――えぇ、本気ですよ。兄さんに愛されないのなら、死んだほうがマシですから。兄さんは、どちらが生き残って欲しいか、言ってください」
「なっ……」
「っ!?」
志貴と晶の表情が強張る。
これは――――答えの出せない命題だった。
この状況を、絶対的な位置で操っているのは秋葉なのだ。もし晶のほうを選んだりすれば、間違いなく二人とも殺されるだろう。しかし、素直に秋葉を選べば、彼女は躊躇い無く晶を殺すだろう。
どちらを選んでも、晶の命は無い。
そのことを、秋葉自身も分かっている。
だからこの命題をだしたのだ。
「さぁ、兄さんっ。どちらを選ぶんですか!」
・・・
「姉さんッ!」
最早たまりかねた、という感じで翡翠は琥珀の肩をつかんだ。
そして空を見つめ続けている姉を、乱暴に振り向かせる。
「姉さん……」
自分と同じ顔の自分とは違う色の瞳を、見つめる。
「秋葉様を乱して、いったいどうしようというんですか。そんな事しても、何も得られません。ただ、大切な何かが壊れてしまうだけです!」
「壊れてしまった方が良いの」
「えっ?」
「時には、壊してしまった方が良い場合もあるのよ」
そう言って、琥珀は微笑んだ。
それはかつて見た歪んだ微笑ではなく、純粋に優しい微笑だった。
「……ねぇ翡翠ちゃん。例えば……例えばね。周りにある全てを必死になって壊そうとして……でも、それでも壊れない何かがあったとしたら? 何もかもがもう要らないんだと思いこんで、その全てを壊したいと願って……それでも頑なに、残っている物があったとしたら?
それはきっと、壊れてしまった大切な物よりも、もっと大切にしなければならない何かなんじゃないかしら?」
「姉……さん……」
「それまでは他のたくさんの物に埋もれていた大切な物。周りの全てを壊してみて始めて気づく、その……本当の暖かさを、私は知っているから……」
全てをあきらめてしまったあの心は、今こんなにも温かい物で埋め尽くされている。
それはきっと……。
琥珀は視線を翡翠へと向けた。
自分と同じ顔の妹。自分の半分。
失わなくて、本当に良かったと思える――――大切なアナタ。
「大丈夫。私達の一番大切なものは、ちゃんと帰ってきます。えぇ、もう絶対ですよ♪」
そう言って、琥珀は意味不明なブイサインをした。
・・・
「……ない」
「はい?」
「どちらも、選べない」
「その答えは、赦しません」
「どっちも、絶対に、選ぶことなんか出来ない!」
志貴の言葉に、秋葉は呆れたようにため息をついた。
「兄さん……お願いですから、そんな無様な事言わないで下さい」
「無様、だって……?」
「無様でしょう。これを……無様と言わず、なんと言えば良いんですか? まるで、命乞いじみた無様さです。兄さんには、そんなの相応しくないわ」
「ふ……」
「兄さんには遠野の長男として……聞いてますか? 兄さん?」
「ふざけるなっ!!」
「なっ――――」
「無様だって? 命乞いみたいだって? ふざけるなよ、秋葉。オマエの質問には、答えられない。どっちも選べない。これは、当たり前のことだろうっ!」
志貴の激しい怒りをぶつけられ、秋葉は困惑した。
「当たり前……?」
「そう。当たり前のことだ。だって、秋葉は大切な――――家族なんだから」
「はっ――――アハ。ハハッ。アハハハハハハハッ! そんなくだらない嘘ッ!」
秋葉は、全力で志貴を突き飛ばした。
力加減なんか……出来るわけ無かった。
志貴の、男の重い身体が、軽々と後方に吹き飛んでいく。
僅かの空中浮遊の後、志貴の身体は着地し畳の上を転がり、柱を軋ませるほどぶつかって、やっと止まった。
「家族――――家族ですって? 家族だと思うなら……家族だと思うならっ! どうして一緒に居てくださらないんです? どうして、結婚なんてしてしまうの!?」
ふっ――――涙が、溢れ出した。
そうだ。どうして、一緒にいてくれないのか。
秋葉にとって、志貴はなによりも大事な、家族だというのに。
思い出される風景は――――常に孤独だった。
厳しく叱りつける父親がいた。
したり顔の親戚達がいた。
メイドも、執事もいた。
だけど、秋葉は、独りだった。
一人になる時間なんて、ほとんど無かったはずなのに。
秋葉はいつだって独りきりだった。
あの日から……。
「やっと……やっと一緒になれたのに……。これで、私は独りぼっちじゃなくなるのに……。どうして、居なくなってしまうの? どうして、私を捨てていってしまうの?」
最後は、押し殺したような、そんな悲しい声だった。
涙混じりの、冷たい声。
でも、むしろ人間らしい、感情の声。
「ねぇ、兄さん。私を選んでください。……選んでくれないと、私きっと……みんな殺してしまうわ」
失った悲しみを紛らわす。ただそれだけのために。
何もかも、消し去ってしまう。
必死に搾り出した言葉で、懇願する。
志貴は、吹き飛ばされた状態のまま、身じろぎ一つしない。
一瞬、強くやりすぎたか、と秋葉の脳裏に不安がよぎる。
しかしそれは違った。
「ずっと……家族が欲しかった」
「え――――?」
投げ飛ばされ、倒れたまま志貴は、天井を見つめながら続けた。
「この家から追い出されてさ、有間の家に行って……そこで家族の温もりって奴を初めて知った。すごく温かくて……優しくて。遠野の屋敷に居た頃とは、ぜんぜん違った」
「……この後に及んで、そんな意味の無い……」
「でも、違うんだよな」
床に倒れふし、軋む身体で志貴は苦笑した。
自嘲、というのかもしれない。
「有間の父さんも母さんも、都古ちゃんも。俺を家族に迎えようとしてくれたけど……俺も、家族の一員になれるように頑張ったけど……。でもダメだった。なんていうか……負い目や引け目が消えなかった。だってそこには、俺の家族が無かったんだよ。俺が求めて、俺がつくった、家族じゃないんだから。当たり前だな」
苦笑したまま、志貴は身体を起こした。
まだ背中が激しく痛んだし、薬のぬけていない身体はまるで劣化ウランの塊のように重かったが、それでも志貴は両手で支えながら上体を起こした。
視線を、秋葉に向ける。
彼女はいつのまにか、晶の身体を放し、呆然とした表情で志貴を見つめていた。
そんな妹の元へ、志貴は身体を半場引きずりながら近づいていった。
殺されるかもしれない――――そんな恐怖は不思議と無い。
ただ、溢れ出す言葉があるだけ。
言葉にして、伝えなければならない。
「俺は、ずっと……自分の家族が欲しかった」
自分が遠野の血を引いていない事を知ったとき、その気持ちはさらに強くなった。
一度目の家族は、記憶にもほとんど残らないままに失ってしまった。
そして引き取られた先の家族は、初めから偽者だった。
志貴は、二度、家族を失った。
なら……自分の帰る家がないのなら……その家を、自分が作ろう。
自分が守り、守られる場所を作ろう。
お帰りを言ってくれる誰か。
ただいまを言える誰か。
「俺にとって、秋葉は大切な家族なんだ。秋葉だけじゃない。翡翠も、琥珀さんも。みんな大切な……家族なんだよ」
「なら……どうして……」
「ちがう。秋葉……。秋葉は勘違いしてるよ」
秋葉の肩をつかむ。
秋葉は、抵抗も無く志貴の手に引き寄せられ、その胸に収まった。
抵抗など出きるわけが無かった。
その場所は、秋葉が求めて止まない大切な場所だったのだから。
「居なくなったりなんかしないよ。結婚しても失うわけじゃないんだ。逆だよ。増えるんだ。家族が」
とくん、とくん……。
心臓の音がする。
それは命の音。
そこに居る証。
「増える……?」
「そう。晶ちゃんが、俺達の新しい家族に加わるんだ」
加わる?
そう言われて、秋葉は顔を動かし、晶の方を見た。
畳の上でへたりこんでいるその少女の顔には、まだ僅かな恐怖が残っている。
だが、泣き出して、逃げ出そうと言う雰囲気は無い。
秋葉の視線を、真っ向から受けとめている。
――――あぁ……強いな……。
もしかしたら、自分は本当に負けたのかもしれない。
秋葉はなんとなく、そう思った。
思っても、不思議と悔しくなかった。
秋葉には無いものを、持っているとわかったからだろう。
自分の兄は、ちゃんと見る目がある……のかもしれない。
「……何処にも行ったりしない?」
「行かないよ」
「……私を独りにしないでください……」
「しない。だって、秋葉のいる場所が……翡翠や琥珀さんのいる場所が、俺達の帰る場所なんだから」
「……一度だけ、キスしてください」
「ほっぺなら」
その答えに、秋葉は小さく吹き出した。
そして、それから……大声で泣いた。
・・・
意味不明なブイサインを見せる琥珀の後ろで、音がして……二人は同時にそちらを向いた。
木々の奥から、誰かが歩いてくるのが見えた。
月の光が三つの影を作り出している。
その影は、三つとも繋がっていた。
手と手を、握り合って。
不思議だった。その風景は、まるで小学生の頃、大好きな友達と一緒に夜道を帰るような……そんな何かに守られたような、暖かさがあった。
誰にも崩せない。金銭的なものでは測れない絆だ。
そんな影を見て、二人は顔を見合わせた。
「ね?」
「はい」
歩いてくる三人も、こちらに気がついたようで、少しだけ歩みを速める。
自分達を待っている人の場所へ、帰るために。
そして月明かりのスポットライトの下で、五人は――――
「おかえりなさい」
「―――――ただいまっ!」
寄せ集めのピース。
形の歪な人形達。
でも、ずっとずっと、一緒だ。
例えば誰かが、「ごっこ遊び」と笑ったとしても、
構わない。
だって、これは俺達だけの――――――
家族――――――
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