「せ、先輩……」
いつもの朝。
衛宮家の見慣れた台所。
私はそこで、背後から先輩に抱きしめられ、吐息を漏らした。
「ダメです。包丁……危ないから」
手の中にある無骨な包丁を気にしながらも、自然と意識は自然と先輩の温もりへと向いてしまう。私の凍った心を優しく溶かしていってくれるその温もりに埋もれて、脱力してしまう。結果、それはポトリと手から落ち、まな板の上に乗っていた切りかけの野菜に刺さって止まった。
「朝ごはん、遅れちゃ……う」
「ごめん。でも、桜……良い匂いがするから」
そんな風に言われてスンスンと首筋の匂いを吸われると、かぁと顔が熱くなってしまう。
朝起きてからお風呂に入っている時間なんて無かったから、きっと汗臭くなってしまっているだろう。
そんな体臭を嗅がれているのかと思うと、恥ずかしくて死んでしまいそうだった。
「桜……」
「あ……せんぱ……」
先輩が私の顔を後ろに向けさせる。抵抗は……できない。しようとも思えない。
目の前、すぐそこにある先輩の顔。
先輩の瞳に、私が映っている。それを見ただけで、私はもうだめだった。
料理の途中であったことなんて、すっかり意識の中から消え去ってしまう。
何もかも忘れて、先輩と二人だけの世界へ沈んでいく。
ガラガラガラッ!
「シローっ! 朝ごはーーーん!!」
朝一番から死人も目を覚ましそうな元気の良いこの声は……間違いなく藤村先生だ。
「……タイムアップ、みたいだな」
「そうですね……」
同時にため息をつく私たち。
せっかく良いところまで行っていたのに、そう残念に思いながらも、まさかこのまま続けることなんてできない。
結局、こんな感じで、私のいつもの朝は始まったのだった。
『桜さんのラブラブ奮闘記 ――I need, only you are love――』
「お茶、美味しいですね」
「あぁ……」
ノンビリとした午後。ゆったりと眠りに落ちていく一瞬のような、まどろみに満ちた時間。風は涼しく、日は温かい。心地いい気候。
そんな中で縁側で飲むお茶というのは何とも美味しいものだ。
ましてすぐ傍に、先輩が居てくれるのだから、尚更に。
「…………」
「…………」
お互い、何を話すわけではなく、ただそこに座って、共に時間を過ごす。
ただそれだけのことなのに、全然退屈じゃない。
ゆっくりと過ぎていく時間の中で、お互いを感じあっているだけで、私は例えようもなく幸せだった。
暗い間桐の闇の中で、いつかこんな日々が来ることを夢見ていた。そんなもの叶わぬ夢なのだと何度も思い知らされたけれど、それでも願い続け、すがり続けてきた。
そして今、私はその夢の中にいる。
「ん?」
いつの間にか視線が先輩へと向いていたらしく、視線が合ってしまった。
それだけで……もうダメだった。
「先輩……」
朝の興奮がまだ燻っていたのか、私は自分でもビックリするほど積極的に先輩の唇を求めていた。
軽く触れ合うだけでは足らず、身体ごと押し付けるように、より深い接触を求める。
身体のもっと深いところで、先輩を感じていたい。
私の存在の、もっと深いところ先輩に感じて欲しい。
その思いだけが強く強く募っていく。
しかし、それはあと少しのところでさえぎられていた。
「ま、待って。桜……」
「え?」
拒絶されたことに、心臓が張り裂けそうになる。
「どうして……ですか?」
「いや、その……」
先輩はもごもごとした口調でそう言って、気まずそうに視線をそらした。
「?」
……いや、違う。
視線をそらしたのではなく、そちらに視線を向けたんだ。
私もそれにつられて、顔をそちらに向ける。
そこに――――
「ラ、ライダー……」
居間に平然と正座しながら、出した記憶も無いお茶を飲んでいるサーヴァント、ライダーの姿があった。
彼女は私達の視線に気づくと、小さく肩を竦めて、
「あ、お構いなく」
どうぞそのまま続けてください、とばかりに言う。
だけどそのくせ、まるっきり気を利かせてくれるつもりはないらしく、眼鏡越しの魔眼はあくまで私達に固定されていた。お茶を片手にジロジロと、まるでテレビの昼メロでも見ているかのように。
「いや……お構いなくって言われても……なぁ?」
「え、えぇ……」
この状況で、どう構わずに居られるというのだろう? このまま人目を気にせず続けられるような変態さんにはなりたくない。
結局、それ以降もライダーの監視は続き、私達はキスひとつできなかったのだった。
・ ・ ・
夜。
いつも通り夕食を食べにやってきた藤村先生は、つい先ほど帰っていった。ライダーも今は自室へと戻っている。
つまり、今ここには私と先輩しかいないわけだ。
テレビの消された居間は静か。カチカチと時計の音が聞こえるだけ。
そんな空間で私たちはお互い何も言わず、ただその瞬間を待っている。
どちらが先に言い出すか、それを躊躇っているわけではない。私は先輩がそれを望んでいることを知っているし、先輩も私が望んでいることを知っている。
だから私たちはこの駆け引きのような時間を楽しみ、そしてお互いに気持ちを高めていくのだ。
朝からお預けが続いているから、先輩も限界のようだ。先ほどから落ち着きがなくなってきている。時計を何度もチラチラと確認したり、空になったコップを何度も傾けては、中身がなくなっている事に気づき、テーブルへと戻したりしている。
かく言う私だって、もう限界。きっと今夜は激しくなるだろう。
明日の朝、大丈夫かな?なんて冷静なもう一人の私は心配していたが、だからといってこの気持ちを抑えることなんて、絶対できない。愛情の炎は、一度燃え上がってしまえば鎮火する術は一つ、身を重ねることしか無いのだ。
「桜……」先に声をかけたのは先輩だった。私はそれに、お預けをされていた犬のように過敏に反応する。お互いに、見詰め合う。それだけで、二人の意見は一致していた。
先輩の手が、私の肩に触れる。私は無言で先輩の胸に身体を預けた。
自然、近づくお互いの顔。ジッと見つめてくる先輩の瞳の中が、今自分一人で埋め尽くされていることを思うと、それだけで堪らなく、心の中であらゆる感情が溢れていく。
あぁ、もう本当に止まれそうにないな。
先輩を好きな気持ちは止まりそうにないな。
そんな風に冷静なもう一人の私が分析しているのを感じながら、私はその愛の中に溺れていく。
だけど、このまま先輩の部屋に……というところで。
唐突に――――
「やっほーーーーーっ!」
どかーんと、爆発音すら聞こえそうな勢いで登場したのは……。
「と、遠坂!?」
「ね、姉さんっ!?」
我が姉、遠坂凛、その人だった。
「士郎ー。桜ー。ただいまー!」
「ど、ど、ど……どうして!」
突然の姉さんの登場に混乱し、道路工事みたいな声を上げてしまう。だってそれも仕方の無いこと。姉さんは今、魔術を勉強するためにイギリスに居るはずなのだ。帰国するという連絡もなく、突然やってこられたのでは、驚いてしまって当然だろう。
「いやー。向こうでちょっと問題起こしちゃって。騒ぎが収まるまで退避していようかなーなんてさ」
恐ろしいことをサラッと笑って言う姉さん。しかし、本当に恐ろしいのは、その後に続いた発言だった。
「というわけだから、しばらく泊めてね」
「え……?」
イマ、コノヒトハナンテイイマシタカ?
とめてね? 「(自分の暴走を)止めてね」の間違いでも、「(お金が無いので)富めてね」の間違いでもなく、「(衛宮家に)泊めてね」という事ですか?
つまり今夜はこの家の中で眠るということですか?
き、気まずい……。それはとんでもなく気まずい。
一つ屋根の下に実姉がいるなかで、先輩とそういう行為をするというのは……なんとも……。そりゃ、この前のようにどうしようもない状況ならともかく、今はちゃんと理性を保っているのだから。
それに、そんな事をすれば、滅茶苦茶にからかわれる事は間違いない。
先輩との関係はすでに公認だとは言っても、揶揄されるのはちょっと……。
と、そんな事を考えている間に、事態はどんどんと悪化していった。
「リンが帰ってきたのですか?」
声を聞きつけたのか、ライダーが登場する。
「あれー? 遠坂さん、帰ってきたの?」
しかも藤村先生までもが、またまた登場するし。
ワイワイ、ガヤガヤ。
先ほどまでの静寂はどこへ行ってしまったのか、衛宮家の居間は喧騒に包まれていた。
盛り上がっていた空気は瞬く間に換気され、跡形もなく消え去っていく。
それでも、火は消えないのだ。
私の中の火は――――。
プチリと、何かが切れる音が、どこかから聞こえてきたような気がした。
「お、お、お…………」
もうだめです。
もう我慢できません。
もう許せません。
「お前らーーーーーー、もっと先輩とラブラブさせろーーーーーーっ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
その日その時間、世界が停止した。
・ ・ ・
「グスッ、違うんです。違うんです、先輩ぃ〜」
「分かってる。分かってるから。ほら、泣き止んで」
「私はただぁ、ちょっとくらい先輩とぉ〜」
「わっ、鼻水! 鼻水でてるよ桜! ちょっとっ、桜さんって!」
先輩のひざの上で私は泣き続けていた。
私の渾身の叫びが通じたのか、姉さんたちはそれぞれ今夜は家を出てくれることなった……のだけれど。
「悪かったわ。……でも、ほどほどにね」
と、姉さん。
「仕方ないなぁ。……でも、ほどほどにね」
と、藤村先生。
「申し訳ありませんでした。……ですが、ほどほどに」
と、ライダー。
三人は去り際にそんな事を言ってくれたのだった。
「うわぁぁぁん! あれじゃまるで私がとんでもなくエッチな女の子みたいじゃないですかーーーーーっ!!」
軽蔑された! しかも軽蔑だけじゃなくて同情までされたっ!?
女の子として一番されちゃいけない同情をされた!!
「うぅ……もう死にたい……」
「こら、勝手に死ぬなよ、桜」
「でも先輩……私はもうダメです」
姉さんたちだけではなく、先輩にも大恥を晒してしまったのだ。
「そんな事ない。俺は――――」先輩の手が、私の顔を上げさせる。「そんな桜のことが、大好きだよ」
「ん……」
優しい告白。唇が重なり合う。
「んん……っ」
そのまま勢い、舌が絡まりあう激しいキスへと変化していく。
なんだか……凄くごまかされたような気がする……。
だけど――――まぁ、良いかなんて思う。
たった一言で、
傷ついたり、救われたりしながら、
それでもこの関係は永遠に続いていくのだろうと思うから。
そう、願っているから。
姉さんが居て、ライダーが居て。
そして何より、先輩が居て。
そんな日々が来ることを望んだのだから。
この日々が、尊い記憶となるように。
私は、先輩を精一杯の力で、抱きしめた。
もちろんその後の事は――――秘密だ。
あとがき
FateSS、やっと二発目です。
遅筆は昔からですが、最近は……。
いやもうホント、全然キーボードが叩けなくなってしまっていてですね……。
とはいえ、続けることに意義があると信じているので、まだまだ頑張っていくつもりです。
で、このお話に関しては……特に何もありません(ぉ
雨音は暗かったり辛かったりな話が苦手なので、一番大変だった桜でラブラブな話を書いてみたかったのです。
ってか、このキャラはホント、えっちぃ雰囲気が似合うキャラですよねー(笑
書いてて妙に楽しかったりしました♪
でわでわ、また次のSSでお逢いしましょう〜♪