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 久しぶりに立ったその家の前で、俺は自分が少なからず緊張している事を自覚していた。
 視線の先、趣のある木製の表札には『天野』と、そう書かれている。
 その見慣れた文字が今日は妙に重たい。
「ふぅ……」
 何故こんなにも緊張しているのか、と自身に問いかける。
 理由は簡単なようで……複雑だ。
 ここを訪れるのが初めてだから、ではない。
 まったく逆だ。
 過去に幾度となく訪れ、そして久しぶりにこの家にやってきたからだった。
 俺、相沢祐一と、この家に住む少女、天野美汐は付き合っている。といってもその関係は酷く曖昧だ。一般的な彼氏彼女の関係とはずいぶん違うような気がする。
 だけどそれも仕方のないこと。
 もともと俺達の関係は沢渡真琴という、今はもう居ない大切な女の子を中心にしたものだった。
 俺達は真琴を通して顔を合わせ、話し、遊び、喜びを分かち合い、そして同じように真琴のために泣いた。
 だから二人の関係は、たぶん傷の舐めあい。お互いに失った悲しみから逃れるためだけの、前にも後ろにも進むことの出来ない関係だった。
 俺は、そんな関係を終わらせようと思っていた。
 俺たちはちゃんと、進んでいかなきゃならない。
 例えそれが後ろ向きな思いであっても、あの冬の物語から進んでいかなきゃいけない。
 だからその為に、ここしばらくは意識的に天野から距離をとっていたのだった。
 天野は当初、そんな俺の態度に困惑している様子だった。だけどすぐにその意味に気づいて同じように距離を置くようになり、そしていずれゆっくりと、まるで夢から覚めるように静かに、俺たちの関係は終わっていく……はずだった。
 だが、今日。唐突に天野から電話がかかってきた。それは自分の家に急いで来て欲しい、という内容だった。
 どうするべきか少し迷ったが、天野の口調から何か重要な話であることは分かったし、それがおそらくは俺達の関係についてであることは予想がついたので、結局こうやって天野の家へとやってきたわけである。
 チャイムを押す。リンゴーンと重たく響くその音を聞くのも久しぶりだ。どう考えても一般家屋に相応しくない物々しいその音は、聞くところによるとどうやら天野の趣味であるらしい。
 しばらく待っていると、「どうぞ」という陰気な声がインターフォンから聞こえてきた。
 鍵は開いてるから勝手に入って来いということらしい。
 もしかしたら向こうも向こうで緊張しているのだろうか。
 そう考えると、少し気が楽になった。
 一度大きく深呼吸し、ドアに手をかける。
 そして、ゆっくりとドアを開け、中へと入った。
「おじゃまし――――」
 そこで、何かがガラガラと大きな音を立てて壊れた。
 何も言えない。
 何を語ればいいのか分からない。
 息苦しさで死に至りそうな沈黙。
 それはまさに、世界が停止した瞬間だった。
「えっと……………………この場合、似合ってるよ、と言うべきなのか?」
「絶望的に違います」
 俺の素直な感想に、天野は人が殺せそうなくらい冷え切った瞳で否定した。










『可愛い彼女はウソをつく』

 〜首輪で始まるストーリー〜











 天野の部屋。
 目の前に立つ天野の姿は、『異様』の一言に尽きる。
 レースの装飾が入ったミルク色のシャツも、やや今時の女子高生にしては長めな襞のついたスカートも、別段可笑しくはないし不恰好でもない、ごく普通の――贔屓目を抜きにしてもそこそこ可愛いと思える服装である。髪型だっていつもどおり変わらないし、他の何処を見たってごく普通の、天野美汐という少女の普段の姿である。
 ただ、一点を除いては。
「……首輪、か?」
「首輪です」
 頷くその姿も、まさに異様だった。
 天野の首には、今現在、つや消しのされた無骨な皮製とおぼしき首輪が巻かれている。
 そこらへんのペットショップとかでも売っていそうなビニールの安物ではなく、それなりの値段がしそうな重厚な造りだ。金属の装飾がなんともいえない鈍い光沢を見せていて、それが『本物』であることを証明していた。
「いや、だがな天野。それは新手のファッションとかそういうのじゃないのか? ほら、デス系とかパンク系とか」
「相沢さんは、私がそのような趣味を持っていると、本気で思っているのですか?」
「いんや。どっちかってと、そういうファッションしているヤツを見て、『いやねぇ、最近の若い子は』って近所のオバサン連中と井戸端会議ってる感じだな」
 その際、右手には長ネギの飛び出した買い物袋。左手は口元にっていうスタイルが必須だ。
 ……やべぇ。
 すっげぇ似合ってる。
「相沢さんの忌むべき偏見については後々しっかりと議論するとして、今は確かにこれがファッションでないという事に関して同意しておきましょう。えぇ、間違いありません。相沢さんのモグラのように拙い観察眼でも、鳩のごとく短絡な思考でも、ハッキリと明確に、まったくもって誤解も曲解も無く理解できるように、これはファッションでは断じてありえません」
「…………」
 俺の偏見よりもむしろ、お前の人格について激しく議論したいぞ、俺は。
 っていうか俺は自分の彼女にそんな風に思われていたのか……?
「これは、魔法の首輪です」
「は?」
「ですから、魔法の首輪です」
「ま、魔法?」
 ハテ……コノヒトハ、ナニイッテンデスカ?
「はい。魔法です」
「えっと……それは何かの隠喩なのか? 今時の女子高生特有の」
「いいえ。商品名です」
「商品名!?」
 ってことは、売ってるのか……魔法の首輪。
「通販でゲットしました」
 しかも通販してるのかよ!
「実は衝撃の新事実なのですが、私はこう見えても大の通販好きでして」
「いや、別に衝撃ってほどじゃ――――」
「昔からカタログを取り寄せてはそれを日がな一日眺め、気に入ったものがあれば購入するというのが、私の一番の楽しみだったのです」
「暗っ!! 根ぇ暗ぁっ!!」
 俺の魂の連続ツッコミを、しかし天野はあっさりと無視してくれた。
「しかし、そんなある日。私の元に新たなカタログが送りつけられてきました。それは一般の客には絶対に出さない、特別なお得意様だけに見せる特別な商品ばかりが掲載された特別なカタログ――そう、裏通販○活だったのです!」
「……なんか、淫猥な名称だなぁ」
 インターネットとかにありそうだった。
「そのカタログの中に、私は見つけました。そう……魔法のアイテム! それを装着した者を自由に操ることの出来る、神秘の法具! あぁ、なんて――――――――ファンタスティック!」
「幻想的な商品って時点で胡散臭さ爆発だろうが」
「私はその場ですぐさま注文しました。そして本日、朝早い時間にこの商品が届いたのです。ちなみに現金一括払いでした。にーきゅっぱです」
 んなこと聞いてねぇ。ってか、こっちの話を聞け。
「待ちに待った魔法のアイテム。私は喜び勇み天上を舞う天使のごとく軽やかにステップを踏みました。その光景はまさに世界の至宝。ダヴィンチやミケランジェロがその早すぎる生を地団太を踏んで悔しがるほどに、神々しい光景だったことでしょう」
「……俺の脳裏には恐ろしい光景しか浮かんでこんぞ」
 首輪を手にして大喜びしている女子高生って、かなりシュールだ。
 しかし天野はバカにしたように鼻で笑いやがった。
「ご安心を。端から相沢さんの便所コオロギのごとく貧相な感性と、サナダムシにも劣る想像力に、何も期待などしていません」ぴしゃりと切り捨てる天野。「しかしそれはまごう事なき事実なのです。相沢さんも事実は事実としてしっかりと受け止めてください」
「…………」
 さり気に図太いぞ、こいつ。
「私はドキドキと波打つ心臓を抑えながら、首輪を装着しました。……あの時の高揚感は今でも忘れられません。魔法の首輪……魔法の首輪ですよ。それが私の身体と一体になるのだと想像すると――――」
 言って、天野は自分の身体をギュっと抱きしめた。その光景は遠目には確かに美しく、そして非常に妖しく艶かしく見えたかもしれないが、言っていることはただの変態だった。ただの変態だった。二回も言ってやった。
「しかし。そこで思っても見なかったことが発生しました。なんと――――」
「なんと?」
「外れなくなってしまったのです!!」
「…………」
 バカだバカだとは思っていたが、まさかここまでどうしようもないバカだったとは。
「装着する前にちゃんと取り説を読まなかったのかよ」
「ハ? 取扱説明書は、困ったときに読むものでしょう?」
「いや、そんな某漫画家みたいなこと真顔で……」
 なんて末恐ろしい奴……。
「どれ。それ、ちょっと見せてみろ」
 俺は手を差し出す。
 天野は勉強机から一枚の紙を取り上げると、俺の手のひらの上に置いた。
 …………ん?
 ちょっと待った。
 一枚の紙?
 何か、すごく嫌な予感がする。
 俺はそれに視線を落とした。
 そして絶句した。
「…………」
 取り説は手書きだった。
 思いっきりボールペンで書いてあった。
 しかも漢字が間違っていた!
「……………………」
 胡散臭っ。
 胡散臭ぁぁぁぁぁぁあっ!!
「味があって良いでしょう?」
 いやいやいや。
 ブンブンと全力で首を振る。
 味って言うか……。
 味って言うか……。
 ……やっぱ胡散臭っ!!
「しかし、そんな事はトゥリビアルです」
「いや、滅茶苦茶重大――――」
「問題なのは、内容です」
 また無視しやがった。
 会話をしろ。
 キャッチボールをしろ!
「とにかく読んでみてください」
「…………」
 言いたいことは山ほどあったが、しかし確かに読まなければ話が進まない。
 仕方なく俺はやはり何度見ても胡散臭いそれに目を通した。
 だいたい書いてある事をまとめてみると。

一、首輪の効力は一回8時間。それを過ぎると自動的に解除される。
二、逆に言えば8時間たつまで絶対に解除されない。
三、無理矢理外そうとすると爆発する。(バトル・ロワイアルっぽく)
四、首輪に繋がっている鎖を持った人物の命令に絶対服従する。
五、ただし不随意筋を動かすことは出来ない。(つまり心臓を止めろとかは無理)
六、本人が死んでも嫌だと思っていることはさせられない。
七、ここでの「持つ」というのは手のひらで握ることを指す。(身体に触れてるだけではダメ)
八、一度に複数の人物が触れたとしても、命令できるのは最初に握った一人だけ。

 こんな感じだった。
 下種なアイテムだった。
「ふ〜ん。仕組みはともかく、催眠術みたいなものか」
「精神に対しては干渉できないのが唯一の救いでしょうか。いえ、それとも口では嫌がっていても身体は――という、そういうシチュエーションロマンの需要が多いからなのでしょうか? どうです? 相沢さん」
「なんで俺に聞く?」
「…………」
 天野は答えない。
 しかしその顔には「分かっているんでしょう?」と書いてあった。
 なんかすげぇムカつくぞ。いや、確かに事実だけれど!!
「で? ということはつまり、この鎖を握っている俺は、天野を自由に好き勝手に操ることが出来るわけだ」
「はっ! 何時の間にっ!?」
 いや、今気がついたのかよ。
「だいぶ前から……っていうかここに来た当初から握ってただろうが!」
 ただ描写されなかっただけの話で。
 だいたい目の前に首輪をつけた美少女――こう表現しても間違いないはずだ――がいて、その首輪から鎖が垂れ下がっていたら思わず握ってしまいたくなるのは、健全な男性ならば当然の心情といえるだろう。
「あぁ――――」唐突に崩れ落ちる天野。ジャラジャラと音を鳴らす鎖。「何てことでしょう。何てことでしょう。よりにもよって相沢さんに……あの外道で下劣で淫猥で傲慢で、女とあれば誰にでも手を出し、さんざ弄んだあげくにまるで塵芥のごとく捨て去るという、鬼も鬼畜も魑魅魍魎すらも裸足で逃げ出さんばかりの百鬼夜行の権化といった相沢さんに、その鎖を握られてしまうとは」
「待てコラ」
 誰が百鬼夜行だ。
「では複数の婦女子に手を出したことはないと? 胸を張っていえるのですか? 誰にも恥じることなく、宣言できますか?」
「ぐっ……」
「あぁ、やはり。これでついに私の処女も散らされてしまうのですね。いえ、それだけではすまないかもしれません。きっとすまないでしょう。相沢さんのことです。手でしろ口でしろお尻でしろは当たり前。メイドや猫ミミ、ナースやウェイトレスのコスプレをさせられた挙句、野外プレイや放置プレイ。果ては『まふまふ』しろ、などと常軌を逸した行為をさせられてしまうのですね。オヨヨ……」
「今時オヨヨなんて泣き方するやついるか! 嘘泣きはやめろ!」
「しかし私も転んでもただでは起きない女!」
 ガバチョとブリキ人形のように起き上がる天野。
「……何するんだ?」
「虫眼鏡でしばらく地面を眺め、さも転んだのではなくそこに歴史的に重大な意味を持つ化石を発見したかのように装うのです」
「ただの格好悪いやつじゃねーか」
 無駄だと分かっていても、一応突っ込んでしまう。
 ……やっぱり無駄だったけど。
「あぁ……私はいったいどうすれば……」
 またもヘナヘナと崩れ落ちる天野。
「……天野って、変なヤツだよな」
「は???????????????????????」
「いや。そんなハテナマーク大量に飛ばして、さも意外ですといった顔しなくていいから。言ってること分かってんだろ? オイ」
 声にちょっと殺気がこもる。
 しかし天野はそれをサラリとスルーしてくれた。
「相沢さんにそのような事を言われるとは思いませんでした。よりにもよってあの相沢さんに。まさか悪名名高い相沢祐一という人格に、人よりちょっと可愛くて頭が良くて優しくて善良で淑やかで天使のように純白なこと以外さして目だったところもない、この私が。変などと、そのような不当すぎる評価を下されるとは、いくら私でも想像していませんでした」
「その受け答えが変だといっとるんだ!」
 ギロリと睨みつけてやるが、天野は「何のことかさっぱり分かりません」という顔をしてそっぽを向きやがった。
 そこはかとなくムカつく。
「天野……オマエは自分の置かれている立場をよく理解できていないらしいな」
 いい加減頭にきた俺は、自分でもはっきりと分かるほど冷たい声でいう。
 天野はハッと顔を向けた。
「まさか……」
「フフフ……。天野。『三回回ってワンってしろ』」
「相沢さんっ!?」
 天野が絶望的な声を上げる。しかしもう遅い。
 首輪の魔力は絶大だった。天野は俺の言ったとおり三回クルクルと回ると、
「ワンッ!」
 可愛らしく鳴いた。
「お……オモシロイ」
 ヤバイ。ちょっと萌えそうだった。
「相沢さん……あなたと言う人は……」
 この屈辱、決して忘れません。と涙目で何やら呪いの言葉を唱える天野。
 しかし……甘い! 甘すぎるぞ、天野美汐!
「天野。今度は『ニャーって鳴け』」
「ニャー!」
 天野の口から飛び出したとは思えないくらい可愛い声だった。
 彼女の顔はもう、どちらかと言われれば林檎に分類されるくらい、人類の限界ギリギリなまでに赤かった。
 げ、激萌え♪
 こういうのは誰でも彼でもニャーと鳴けばいいものではない。男が鳴いたら当然その場で私刑で死刑にされても当然なくらいの重罪であるし、女であったとしても、例えば普段からそういうキャラクターで、何の躊躇いも恥じらいもなく鳴いてしまうような奴だったら、「こいつはちょっと頭が弱いのだろうな〜」と思うだけで欠片も萌えやしない。
 萌えるシチュというのは、普段はそういうキャラではなく、しかし主人公――ここでは俺のことだ――に強制されて、あるいは懇願されて、顔を真っ赤に恥ずかしがりながらも、弱弱しい蚊の鳴くような小さな声で鳴く、というものなのだ!
 ……力説してしまった。こんなこと力説してしまう自分にちょっと悲しくなる。
 だが、こんなことで挫けている場合ではない!
「さぁて。次は何をやらせてみようかなぁ?」
「相沢さん。これ以上は止めてください。これ以上の辱めは……」
 先ほどまでの強気な態度は何処へやら、潤んだ瞳で俺を見上げ、懇願する天野。
 天野にしてみれば、それは良心に訴えかけているつもりだったのだろう。
 だがそれは明らかに逆効果だった。
 ドクンと心臓が一つ跳ね上がる。
 イジメてやるのはこれくらいでいいかな?なんていう考えが、一瞬にしてどす黒いものに塗りつぶされていく。
「天野……」
 ドクドクと心臓がうるさいくらいに打つ。
(五月蝿い、黙ってろ!)
 まるで自分の行動を制するかのように、あるいは急き立てるように、止めようもなく加速していくその音に向かって怒鳴りつける。
 口の中はカラカラで苦しい。唾液を求めるように咽が勝手にゴクリと蠢く。
 一瞬だけ、罪悪感がこみ上げてきたが、もう止められない。止まるはずがない。
 その、言葉を。止めるすべなど、ありはしない。
「『スカートの裾を持ち上げろ』」
「ヤッ――――」
 拒否する声に反して、天野の手は何の躊躇いもなく自身のスカートの裾を掴みあげる。
 ゆっくりと、焦らすように。
 その眩いほどに白い太ももを晒していく。
 そして……
「ぱ、ぱんちぃだ……」
 奇跡のような光景が今、俺の目の前に在る。
 夢ではなく、確かに存在している。
「オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
 マーベラス!!
 真っ白な三角形(小さな赤いリボン付)ですかっ!!
「素晴らしい! 素晴らしいぞ、天野美汐! 今のお前は実に、実に実に実に素晴らしい! 完璧なまでの、完膚なきまでの素晴らしさだ!! お前の素晴らしさはこの三千世界の全てを探し回っても比肩するものは無く、森羅万象この世のありとあらゆるものがその足下に跪くだろう!」
「ぜんぜん、これっぽっちも嬉しくありません」
 涙目の天野からナイフのように冷たく研ぎ澄まされたツッコミが入るが、気にしない。気にならない! 何故なら今、俺の目の前には神が光臨なさっているのだから!!
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
「吼えないでください。近所迷惑です。……警察呼びますよ?」
「ふっ! 呼べるのか?」
 ジャラリと、鎖を見せ付ける。そう。この鎖を握っている限り、天野は俺の命令には逆らえない。警察を呼ぶことなんて出来ないし、抵抗することすらできないのだ。
「さぁて、次はどうしてくれようか……」
「相沢さん。ここで止めておきませんか? 私としては、相沢さんを婦女暴行の罪で国家の犬どもに差し出すのは、偲びありません。確かに相沢さんは私が放っておいても、いずれ彼奴らのお世話になって取調室でカツ丼を貪る事になるでしょうが、ですが何も今すぐでなくても良いのではないでしょうか? もう少し娑婆の空気を味わっておくと良いことがあると、今朝の占いでも言っていましたし」
「……それは宣戦布告と取ってもいいんだな?」
「そんな馬鹿なっ! いけません、相沢さん。短気は損気、です。キレる十七歳はいくらなんでももう古いです。人を殺してはいけない理由とか問い掛けて、大人を困らせている場合ではありません。北の太った将軍様だって、あれで結構我慢しているのです。我慢していなかったら、今頃アメリカ領土です。相沢さんは米帝の支配政治を認めるのですか!」
「言ってる事がパラノイアだぞ。それから、政治ネタは絡めるな。後が面倒だから」
「相沢さんっ!!」
 天野が最後の抵抗をする。
 だが、もう遅い。
「フフ、フフフフフフフフ……タァイム、アァップ」
 俺は優雅に両手を広げ、そして――――禁断の言葉を紡いだ。




 ――――全てが終わって。
 俺は呆然と立ち尽くしていた。
「…………」
 やってしまった。ついに、やってはいけないことをやってしまった。
 シクシクと痛む胸を押さえつつ、ベッドの上を見る。
 乱れたシーツの中心部に見える小さな黒っぽいシミ。その横に、天野は力なく倒れていた。布団に包まり身体を隠しているが、少しだけ、むき出しの肩が覗いていた。
 すでに首輪の効果は切れ、取り外されたそれは、今はベッドの横に転がっている。
 俺たちは今まで、手を握ったことすらもなかった。真琴を通しての関係は、その真琴を失ってしまった今となっては、人一人分の距離を保ったまま、その手を伸ばすことも引っ込めることも出来ず、宙ぶらりんのままになっていた。
 それを良くないと、俺は考えていた。そんな状況を続けることは誰のためにもならないのだと。
 だけど、何もこんな崩壊を望んでいたわけじゃない。まるで夢から覚めるようにして、静かに終わっていくことを望んだのだ。
 だっていうのに……。
 あの時の俺はどうかしていたのだ……。
 もちろん、そんな言い訳が通用するような事ではない。
 重大な裏切り行為。本当に取り返しのつかない罪を、俺は犯してしまったのだ。
「あ、天野……」
 天野は無言だった。とんでもない事をしてしまった俺に対して、罵りもしない代わりに、泣きもしない。それが逆に痛々しかった。
 天野は緩慢な動作で立ち上がる。
 俺は目を瞑った。やはり殴られるだろうか? いや、殴られた方が良い。このまま無言のままで終わってしまうよりは、その方がずっとマシだ。頬に走る痛みを覚悟して、奥歯をかみ締める。
 だが、その衝撃は何時までたっても来なかった。代わりに、横を通り過ぎていく気配がする。
 不審に思って目を開け、天野の姿を探す。彼女はベッドとは丁度反対側にある本棚の前に居た。……もしかして、本で殴るつもりなのだろうか? その本棚には殴られたら9割がた死んでしまいそうな、分厚い辞典もあった。
 だが、どうやらそれも間違いだったらしい。天野は本棚から数冊本を抜き取ると、その奥に手を突っ込んだ。そしてそこから黒っぽい物体を取り出した。
 俺の手のひらより一回りほどの大きさのそれは……ビデオカメラだった。
「え……?」
「相沢さん、言ったでしょう? 私は通販が好きだって。これも通販で買いました。確か六万円くらいしましたね。最新式のデジタルビデオカメラレコーダーです」
「は……?」
「画質を落とせば連続8時間撮影でき、更にオートフォーカスで対象物が動いても自動的にピントを合わせてくれる機能もついています。もちろん液晶画面つきです」
「もしかして、もしかしなくても……撮ってた?」
「見ますか? すぐに再生できますよ?」
 天野の冷静な口調に、ダラダラと――先ほどまでとは違う意味で――冷たい汗が噴き出してくる。
「ど、どこから……」
「どこから、とは?」
「いったいどこから撮ってたんだ!? 俺をハメたのか!?」
「ハメたのは相沢さんでしょう?」
「ぐぅっ!」
 俺、一瞬にして撃沈。
 その返しは、あんまりにも危険だ。
 ついでに言うと、ちょっと下品だ。
「いつから撮っていたかという質問ですが、もちろん最初からです。他人の身体を自由に操れる魔法の首輪、という話しをすれば相沢さんがどういった行動に出るかは分かりきっていたことですから。発情した雄犬のごとき相沢さんが、まさか目の前にそんな餌をちらつかされて、食いついてこないはずがありません。そのような事は水瀬先輩がイチゴを嫌いになるくらいに、断じて、世界が例え破滅しようとも、ありえません」
「い、いや。それは……」
「相沢さん」
「はいっ!」
「私は貴方にしゃべる権利を与えたつもりはありませんが?」
「…………」
 お、鬼だ……。
「しかし、ある程度は予測していましたが、まさかあれほど鬼畜な事をするとは思いませんでした。相手は処女、しかもレイプです。だというのに、いったいあれは何なのですか? 私は今日改めて、人間の欲望の恐ろしさを思い知った気分です。あんな……あのようなとんでもない『ぷれい』がこの世の中に存在するとは。そして、それを常識のように知っている相沢さんの恐ろしさも思い知りました」
「…………」
 別にそんな凄いことはしてないぞ。あれくらい常識だ。
 ただし、18禁ゲームやインターネットの世界では。
 と、もちろんそんな事は、発言の自由と言う基本的人権すら与えられていない俺には、口に出すことは出来ない。
「相沢さんはもしかして、他の婦女子にも同じようなことをしているのですか? 真琴にも? だとしたらそれはとても恐ろしい行為です。女性の身体をあのように扱うなどというのは、男として、人間として、いいえ、有機物としてあるまじき行為です」
 そ、そこまで言うか……。
 っていうか、俺は無機物かよ!
「やはり私は正しかった。相沢さんにこれ以上の蛮行を犯させないために、わが身を犠牲にした私は、世界中の女性から感謝されることでしょう。ノーベル平和賞ものです。私の銅像が世界中で建造され、英雄として後世まで崇められることでしょう。……というわけですから、相沢さん。貴方には今後一切、女性との接触、会話、および半径5メートル以内に近づくことを禁じます」
「ちょっと待て! それじゃあ学校に行けないし、家にも帰れないだろうが!」
「相沢さん」
「はひぃっ!」
「私はお願いしているのでも、提案しているのでもありません。命令しているのです」
「きょ、拒否権は――――」
「あると思っているのですか?」
 何を当たり前のことを聞いているのですか、という顔で小首をかしげる天野。
 お、鬼どころの話じゃない。悪魔だ。大魔王だ。
「ですが――さすがにそれでは相沢さんも辛いでしょう。相沢さんの有り余るプルトニウムのように有害な性欲は、やはりどこかで発散させなければ、いずれ漏れ出して周囲を汚染してしまう危険性があります。ですから。特例として私だけは許可しましょう」
「は……?」
「私の半径5メートル以内に近づいても構いませんし、会話をしても構いませんし、……必要に応じて接触することも――あくまで必要に応じてです! そこのところは間違っても勘違いしないでください! ……ですが、まぁ、事情があるのなら、か、構いません」
 呆然と――その提案、否、命令を聞く。
 いったい、何を言われているのか分からなかった。
 急展開過ぎる状況に、頭が追いついていなかったのだ。
 だが、その疑問は天野の顔を見て、あっさりと氷解する事になる。
 彼女の頬はハッキリと、赤く染まっていた。
 それで、やっと気づいた。
 天野の本当の目的に。
 天野は俺がこの傷の舐め合いを終わらせようと、その為に距離をとっていることに気づいていた。
 それは、この関係が二人のためにはならないのだと思ったから。
 そして、だからこそ、天野は一芝居うってみせた。
 俺が『前にも後ろにも進めない』と思っていた関係を、無理やり――よりにもよってこんなとんでもない方法で進めてみせたのだ。
「なんだ……」
 思わず、笑いがこみ上げてくる。
 そんなやり方、反則だろう。
 こんな方法があるだなんて知らなかった。
 こんな方法で前に進めるだなんて、思ってもみなかった。
 傷の舐め合いは、永遠に、傷の舐め合いのまま変わらないのだと思っていた。
 宙ぶらりんの二人の手は決して届くことは無いのだと、そう思っていた。
 だけど、そんなのは結局のところ俺の思い込みだったのかもしれない。
「そっか。じゃあ、魔法の首輪っていうのも嘘だったんだな」
 今更、そんな事に気づいた自分が情けなくて苦笑する。
 あの時はどうかしていたのだ。まさか魔法なんてそんなもの存在するわけないのに、何故だか疑うことなく当たり前に信じてしまっていたのだ。これでは天野に馬鹿にされても文句は言えない。
 しかし、天野は首を振った。
「いいえ、これは本物ですよ」
「え――――」
「だってほら」
 そっと、天野の手が――何時の間にか握られていた首輪が――首に触れる。
 止める間もなく、それはしっかりと俺の首に装着されていた。
「これで、相沢さんは逆らえません」
 そう言って微笑んだ天野は、その手に鎖をしっかりと握り締めていた。
 その姿はやっぱり『異様』の一言だったけれど――同時にどうしようもなく、例えようもなく美しかった。
 だから不覚にも、思ってしまった。
 この世の中に一つくらい、首輪で始まる物語があったって、別に可笑しくはないだろう……なんて。




了  





あとがき。

雨音は美汐が大好きです。
とくにこういうキャラクターが、大好きです♪
というわけなので、本作は完全に雨音の趣味ですねぇ。
不快に感じた方もおられるでしょうが、それはそれ、SSですから♪

さて、実は本作は「Kanon SSこんぺ」に投稿しようと、最後まで悩んでいた作品でもあります。
実際に投稿した「in the BOX」が間に合わなかったら、これを投稿していたことでしょう。
……今から思うと、なんて無謀なことを……(滝汗
まぁ、これにどんな感想がつくか、ちょっと興味はありますけどね。

さてさて、さすがにもうKANONSSを書くことはまずありえないでしょう。
と、そう思う一方で、時折フッと書いてみたくなるのが、KANONというゲームの素晴らしさなんですよねぇ。br> というわけなので、実際にはどうなるかは分かりません。

でわでわ、また次が書けたら、お会いしましょう♪




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