幸福予見





 side Mikiya


 時は流れて四月・・・。
 僕――――黒桐幹也は久しぶりの出社の日を迎えていた。
 例の事件で受けた傷は三月中には完治していたのだが、左目が無いという状態になかなか慣れることが出来なかったというのと、もう一つ・・・鮮花からのいろいろな意味合いを含めた外出禁止令のおかげで、社会復帰までこんなに時間が掛かってしまったのだ。
 というわけで、およそ二ヶ月ぶりの出社・・・そしてもう一つ・・・。
「やぁ、式」
 待ち合わせていた式は相変わらずの着物姿のまま、一瞬だけこちらに視線を向け・・・そしてそっぽを向いた。
 きっと怒っているだろうとは思っていたのだが、よりにもよってここまでとは。これから先の苦労を想像し、ホンの少しだけこのまま逃げ出したい気分に駆られる。
 でも、逃げ出したところでどうしようもならない。
 僕はひきつる頬を無理矢理笑顔にして、できるだけ穏やかに話しかけた。
「久しぶり。二週間ぶりだね」
 式の顔がこちらを向き、視線が合う。そして――――ちょっと後悔した。
 身体が震え上がるほどに、本物の殺意のこもった視線が僕を射抜いたからだ。
 透き通るような、冷たい色をした瞳は普段とても綺麗で吸い込まれそうになるのだけど、こういう時は式の感情をストレートに表現してきて困る。
 今、彼女の瞳に浮かぶ殺意の蒼は、これまで僕が観てきた中でもとびっきりの物だ。それだけ、怒り心頭なのだろう。
 だけど・・・。
「仕方ないじゃないか。鮮花に、もし休養期間中に君と会ったら君とコロシアイをしますよ、なんて言われたんだから」
 そう言った鮮花は本気だった。彼女は・・・なんというか・・・良くも悪くもブラフ(虚言)を吐かない。自分の出来ることと出来ないことをはっきりさせるし、その言動には常に芯が通っている。
 そういう点で式と鮮花はすごく似ていると思うのだが・・・本人達は曖昧に否定している。
「そんなこと言われたら、さすがに会うわけにはいかないだろ?幸い、四月までっていう制限だったから・・・たった二週間くらい我慢――――」
「・・・たった?」
 綺麗な声が、冷たく響いた。
 僕はどうやら――――逆鱗に触れてしまったようだ。
 式の瞳が、さらに危険な色を帯びていく。まるで臨海点近くまで熱量が高まった炉のような、あるいは決壊間近の荒れ狂うダムのような、そんな激しさ。
 今すぐ飛びかかってきてもおかしくなさそうな式・・・だけど彼女は内の熱をゆっくりと吐き出すように、不自然なほど抑揚のない口調で言った。
「へぇ、しらなかったよ。おまえがそんなに・・・酷い奴だったなんてね」
「酷いのはどちらかというと鮮花の方だと思うんだけど・・・」
 我が妹ながら、良い娘だとは思う。だけど、あの容赦のなさだけはなんとかして欲しいものだ。
 ・・・そんな、弁明にもならないような僕の言い訳に、式は何の反応も示さなかった。
 ただ、じっとこちらを見つめてくるだけで・・・。
 こういう反応をされると、本当に困る。
 口で何かを言ってくるのなら、こちらも口での対応をできるのだが、態度で不満を示されているときは口で何を言っても墓穴を掘るだけで意味がない。
 態度でのアピールに対しては、態度で示すしかない・・・。
「・・・ごめんなさい」
 結局、僕は頭を下げて謝るしかなかった。何故謝らなければならないのか・・・二週間会えなかったのはこちらも同じなのに・・・よく分からなかったが、それでもこう言うときは素直に謝るのが一番正しい。
「フンッ」
「ごめんってば、式。こんどおごるからさ。ほら・・・えっと、最近駅前に出来たイタリアンレストランのディナーとか」
 僕の言葉に式の身体がピクンッと小さく反応した。
 式が意外にグルメだって言うことはよく知っている。こういった誘い(エサ)に食いつかないはずがない。
 確信犯的な手法なのですこしだけ気が引けるのだが、彼女の殺気にいつまでもさらされていたくはないので仕方がないのだ。
 それに、グルメな彼女を満足させるにはそれなりに高級なところを選ばなければならない。結果的に僕の財布の中身は彼女に・・・殺されるといっても過言ではないだろう。
「どうかな?式」
「・・・まぁ、今回は特別に許してやるよ」
 何度目かの、そしてこれから何十回もあるだろう「特別」――――もしかしたら、彼女も確信犯なのかも知れない。
「さて、それじゃあそのためにも給料を貰いに行きますか」
「トウコが有給を認めるなんて、信じられないな・・・」
 そう――――僕はこの約二ヶ月間、仕事を休んでいたわけだが・・・その間を僕は有給扱いにしてもらえるように所長の橙子さんにお願いしたのだ。
 僕としてもそれほど期待していた訳ではない。あの人の性格からしてそんな甘いことは認めてくれないだろうと思っていた。
 だけど、言ってみる物だ。有給は認められ、見事二月、三月分の給料をいただけることになった。
「なにか裏でもあるんじゃないか?」
「確かに、なにか面倒事を依頼されるような気はするけどね」
 それくらいは覚悟しているが、それでもやはり二ヶ月分の給料をもらえないよりはマシだ。
 なにせ、入院中の費用は鮮花に借りたし、その後の休養期間・・・というかむしろ謹慎期間中の生活費はこれまた鮮花とそして学人に借りた。
 この二ヶ月間、傷が治っていくのと同時に雪だるま式に増えていった借金。これをまず返済しなければならない。
「鮮花の借金なんて踏み倒せば良いだろ?」
「あのね、一般的な「兄」の感性としては、そういうわけにはいかないんです」
 妹に、たとえ二ヶ月間とはいえ生活の世話をされていたという事実は、なんとも・・・気分が悪い。
「幹也は小心だな」
「僕が異常なんじゃないと思うよ。なんだったら君もお兄さんに聞いてみると良い。絶対に僕と同じ答えを出すから」
「ふぅん」
 興味なさ気に相づちをうつ式。きっと、彼女には一生分からない感覚なんだろう。  
「まぁいいや。とにかく、行こうか」
「あぁ」
 特に時間を指定していなかったので急ぐ必要もない。僕はゆっくりと事務所へ向かって歩き出した。
 自然と・・・式が左隣に並んでくる。何の意味もないような、あまりに自然で、たまたま偶然そちらに並んだだけのような、そんな動き。
 だけど、それが彼女の優しさなのだと、知っている。

「――――だって、君は優しいから」

 あの日のあの言葉は、けして無意味に口から吐き出された言葉なんかじゃない。
 揺るぎ無い確信だったんだよ。
「・・・ところで、ねぇ式」
「ん?」
「・・・寂しかった?」
「なっ・・・」
 式の顔をのぞき込むようにして、囁くようにいったその言葉に、彼女は・・・一瞬硬直した。
 そして、次の瞬間には、顔中が真っ赤に染まる。
「バカッ!!」
 どうしようもないその怒りを率直な言葉にして表現した式は、そのまま歩くペースを上げ、僕から離れていってしまった。
 だけど・・・僕は見ていた。
 彼女の瞳に、恥辱の赤が浮かんでいた。
 透き通るような、冷たい色をした瞳は普段とても綺麗で吸い込まれそうになるのだけど、こういう時は式の感情をストレートに表現してきて・・・僕はとても嬉しい。
 あぁ、やっぱり僕は――――彼女の事が大好きなんだと、思う。
「まってよ、式」
 僕はなんだかウキウキした気分で彼女の後を追いかけた。




 side Siki


 アイツの無神経ぶりにはもう慣れたと思っていたのだが、それは大きな間違いだった。
 こちらが慣れてくるのを見越したように、さらにパワーアップした無神経ぶりを発揮してくれる。
 最近は本当に無意識のものなのかすら怪しく感じられる。
 ・・・あの後、追いすがってくる幹也から逃げるように歩速を上げた私だったが、トウコの事務所の前まで来て結局追いつかれてしまった。
 そのときのアイツの顔と来たら・・・はぁはぁと荒い息を吐きながら、そのくせ妙に嬉しそうな弛みきった表情・・・一度、本気で殴ってやりたい衝動に駆られた。
「もうちょっとゆっくり歩いて欲しかったな。僕が走っちゃ駄目なの、知ってるだろう?」
「知らないよ。ほら、さっさと入って、さっさと給料貰ってこいよ」
「式は入らないの?」
「・・・鮮花は居ないだろうな?」
「居ないと思うよ。今日は入学式の準備に駆り出されていて忙しいみたいだからね。でも、どうして鮮花が居るかどうか気になるんだい?」
 この質問は間違いなく無神経だ。
 私が鮮花を避ける理由くらい、私たちの関係を考えれば簡単に分かることだろうに。
「以前の微妙な関係とは違って、今は分かりやすい状態だからな」
 不意に、後ろから声をかけられ、振り向く。
「所長!」
「他人の物を奪うというのも一つの「禁忌」だからな。ようやく鮮花の本領発揮と言ったところか」
 これからが楽しみだぞ、と笑うは、幹也の働く事務所の所長である蒼崎橙子。
 ニヤニヤと純粋に他人の不幸を楽しむ、陰険な女だ。
「あの、それってどういう意味なんですか?」
「いや、黒桐。それは私の口から言うのは憚られる。おまえ自身が気づかなければならない事だぞ」
 口調はまじめだが、顔が笑っている。
 トウコも分かっているのだ。どうせ、幹也に鮮花の気持ちに気づくだけの器量が無いことを。そして、その結果どうしても私たちの方で取り合いをしなければならないことを。
「式。せいぜい鮮花を殺さないようにな」
「知るか。それはあいつ次第だよ」
「あの、何のことか分からないけど、とりあえずそんな物騒な事は言わないで欲しいな」
 諸悪の根元がなにを言うのか。
 私は幹也の提案をあっさりと無視した。
「それで?おまえ達はどうしてここに居るんだ?」
「どうしてって、出社してきたんですよ。二月、三月分の給料を貰うために」
「・・・あぁ、そうだったな」
 一瞬、微妙な間があった。
 トウコは何事でもズバズバという性格だから、通常しゃべっているときは変なところで変な間は入れない。
 変なところで変な間が入っているときは・・・なにか普通じゃないことが怒っている証拠だ。
 その事に気づいたのか、幹也もすこし顔をひきつらせている。
「あの・・・橙子さん?」
「あぁ、まぁとりあえず事務所に入ろう」
 そういってこちらの返答を待たずにトウコは事務所の中に入っていた。
 しかたなしに、私たちもその後に続く。
「久しぶりだな。この雰囲気・・・なんか、ちょっと変わりました?」
「ん?いや、なにも変わっていないはずだが・・・」
「二ヶ月だからな、そう感じるのも仕方ないさ」
 人は様々な場所で生きていくために環境適応能力を手に入れた。そのおかげで人はこんなにも広大な生活圏を手に入れたのだ。だけど、新しい場所に慣れるためにはどうしても古い場所での生活環境を捨てなければならない。
 言語という隔たりがなければ、人間というのは三日でその場所の生活環境に慣れる。それは反転すれば三日で古い生活環境を忘れてしまうということだ。
 幹也は二ヶ月もここに来ていなかったのだから、違和感を感じるのも仕方ない。
「それにしても、意外と綺麗ですね。僕はてっきり塵だらけになっているものだと・・・」
「あぁ。鮮花と式が定期的に掃除しているからな」
「式がっ!?」
「クククッ、これも「修行」だからな――――おっと、失礼」
 くだらない事を言うトウコを視線で黙らせる。
「修行?」
「なんでもない」
 もしかしたら紅くなっているかも知れない顔を隠すために、私は幹也から離れておなじみの窓際に座った。
「・・・どう言うことなんですか?」
「なに、気にするな。「いずれ」分かる」
「トウコっ!」
「ハイハイ。ふむ、それで給料の件だったな」
「そうです」
「それの事なんだがな・・・」
「まさか、支払えないなんて事は言いませんよね」
「安心しろ。そんな事は言わない。というか・・・すでに支払っているんだ」
「どういう事ですか?」
「ふむ・・・式の左腕の事なんだがな」
 関係のない話題だと思ってまったく気にしていなかったのだが、不意に自分の名前が出てきたので私は顔を上げた。
「例の事件の時にこのバカが無茶な事して、結局丸ごと取り替える羽目になっただろう?」
 バカとか無茶とかさんざんな言われようだったが、本当の事なので黙っておくことにする。
「それがどうかしたんですか?」
「以前腕を落とされた時はこちらの依頼だったからその報酬として腕をつけてやったが、今回のはこちらとはまったく関係がない。つまり、なんの対価もなしでは無償で他人のために働いたという事になるんだぞ?この私が無償奉仕?そんな馬鹿な事があってたまるものか」
 たしかにトウコが無償奉仕なんて恐ろしくて想像もできない。
 だが、この女は一体何が言いたいのか・・・?
「いくらだ?払ってやるよ」
「おまえからは貰わない。だいたい・・・もうすでに対価はもらっているんだよ」
「・・・あの、もしかして・・・橙子さん・・・」
「あぁ、式の腕を新調した分の金は、黒桐の給料から天引きさせてもらった」
 どうやったらこんな酷いことを、ああも軽い口調で言えるのだろうか?
 表情一つ変えないトウコに対して、幹也の顔は一瞬にして真っ青に染まっていく。それ人が失神する第一歩だという事を私はよく知っていた。
 このまま失神するのを見ていようか・・・とも思ったが、やはりここは助け船を出してやることにした。
「どうして私の腕の代金を黒桐が払うんだ。金なら私が出す」
「なに、気にするな式。これもおまえ達の仲の進展の為だ」
「なにが言いたいのか分からないけど、大きなお世話だ。くだらないことを言ってないで、さっさといくらか言えよ」
「フフ・・・給料三ヶ月分だよ」
「それくらいなら今日中に用意できる」
 幹也の給料をそれくらいなんて言うのは少し気が引けたが、家に連絡すれば本当に「それくらい」は簡単に手にはいる。
 ・・・だが、トウコはため息を吐きながら首を振った。
「やめておけ。これの支払いは幹也がするべきだ。おまえはただ、その気持ちを受け取ればいい」
「気持ち?」
「フフフ、オマエも鈍感だな、式。左手と給料三ヶ月分・・・これで分からないか?」
 左手と給料三ヶ月分がどう関係するというのだろう。
 なんの事かさっぱり分からず困惑する私に対して、幹也の方はなにかわかったのか・・・「あっ」と声を上げた。
「ククク、良いか?式。いつ頃からなのかは知らないが、婚約指輪は左手の薬指にはめる物とされている。そして日本ではその婚約指輪には給料の三ヶ月分が相当とされているんだよ」
「婚約・・・指輪・・・」
「あははははっ!なかなか悪くないユーモアだとは思わないか!?指輪の代わりに左腕そのものをプレゼントだ!あはははははっ!」
 なんて――――酷い冗談――――
 ここぞとばかりに大笑いするトウコ。
 どうしたらいいのか分からないのか、困ったような恥ずかしいような表情を浮かべている幹也。
 そして・・・左腕を見つめる・・・私。
 何気なくそこに存在している左腕。今までは特に意識することもなく、ただ当たり前に左腕としての価値しかなかった腕。
 だけど今は・・・なぜだか分からないけど、その腕がとても暖かく感じる。

 ――――異常(わたし)と日常(アイツ)を繋ぐ絆――――

 思わず・・・私は自分の左腕を抱きしめていた・・・。
 あぁ・・・やっぱり私には――――この温もりが必要なんだと、思う。
「というわけで、黒桐・・・悪いが給料は今月分まで無しだ」
「そんなぁ・・・」
 今にも泣きそうな間抜けな声。
 そして、なぜか私に視線を向けてくる・・・。
「なんだ・・・返さないぞ?」
 なんとなく、自分がとんでもなく恥ずかしいことをしているとは分かっていたのだが、私はとっさに抱いた左腕を幹也の視線からかばうように身体をひねっていた。
「いや、それは・・・うん。そうだね、それは式にプレゼントするよ」
「・・・うん」
 すごく気恥ずかしい。でも・・・私はそういうのも嫌いじゃない。
「さてと、所長。僕としては当面の生活費を工面するために早退したいんですけど・・・」
「却下だ。おまえには休んでいた二ヶ月間にたまった仕事がたっぷりと用意されてあるからな。随分大変だったんだぞ?どうやら私には「探す」能力は無いらしく資料集めが捗らなくてな。おまえが居ない二ヶ月間はほとんど仕事が完成していない」
「そんな馬鹿なぁ・・・」
 ・・・どうやら、幹也の借金はまた増えることになりそうだ。
 でも、そんな事はどうでもいい。
 この手の事ならアイツは放っておいても大丈夫だ。
 私はトウコから渡された大量の仕事のファイルに悲鳴をあげる幹也から視線をはずし、再び窓の外を見る。
 そこから見える風景は相変わらず味気がない。
 だけど、今日は少しだけ違った。気分が良いからかもしれない。
 空を見て、夢を見るほど、乙女ではないが・・・それでも今日は特別に、未来を夢想してみた。
 いつになるか分からないけど、きっとそう遠くない未来・・・。
「次はちゃんとした指輪を貰うからな」
 誰にも聞こえないように、私は呟いた―――― 






 あとがき

 初「空の境界」SS〜♪
 って、初っていうか、たぶん最初で最後かと・・・(汗
 なんというか、微妙に書きにくいです。
 やっぱり登場キャラ達の心情が読みにくいからでしょうか?
 まぁ・・・最初で最後かどうか確信在りませんが、少なくともほのラブジャンルではないでしょうね。
 
 ところで、左手の薬指に指輪をはめるのって何ででしょうねぇ?
 なんか・・・呪術的な物なんでしょうか?(ぉ



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