[PR]生年月日で2010年占い鑑定:初回無料!貴女の運命運勢を占う






   ソラ

 「 空 の境界 〜 the Million Stars, and Dreams...









 10/




 黒桐が飛びだしていった後、私は酷くイライラした気分で一人、煙草を吸っていた。
 鬱陶しいメガネはとっくの昔に外している。
 先ほどからいったい何本吸ったか……火をつけては消す。また火をつけては消す。という作業を繰り返していたから愛用の灰皿には長いままねじ曲げられた煙草の残骸が山積みされていた。
 黒桐が出ていってからおよそ一時間。彼の『探す』能力ならば、そろそろ狭間のもとのたどり着いている頃かも知れない。
 たどり着いていたら……どうなるか。
 決まっている。殺されるだろう。
 黒桐ならばあるいは、というのは楽観だ。
 
 ジ……

 また煙草をもみ消した。灰皿の残骸の山はすでに飽和状態まできている。
 黒桐ならば、というのは楽観だ。そんな事は分かっている。
 だが、どこか楽観してしまう自分が居た。
 狭間翠には救いがない。黒桐にはそういったが、実際の所はまだチャンスはある。
 狭間翠はまだ完全ではない。おそらく自分を否定するための人格がかなり強固に邪魔しているのだろう。
 そうでなければ、今頃「抑止力」が働いているはずだ。世界を害なす者には抑止力は容赦ない。先天的に覚醒した連中の死亡率は実はこれが一番高い。
 狭間翠のように殺すだけの「消却者(イレイザー)」を見逃すわけがなかった。
 
 ――――イライラする。ひどくイライラする。
 
 何にイライラするって、ここで動くことも出来ず、じっと事態が自分の方に流れてくるまで動くことも出来ない自分にだ。
 くだらない、不完全な存在になってしまった。
 昔は、ただ強くなりたかった。仙人のように、奥地に潜んでただひたすらに「静」の中で生きたかった。
 いかなる事態にも動じず、ただ時の流れの中で生き続けていたかった。
 その為に、魔術を学んだ。普遍であるために、自分の人形を作った。
 だが今はどうだ?
(そうだよ、殺人鬼。オマエの言うとおり、魔術になんか何の意味もない)
 そんなもので、なりたい自分になどなれなかったんだ。
 最高の魔術師を目指した蒼崎橙子と言う人間は、しかし結局のところごく普通の人間でしかなかった。
(だがそれはオマエも同じだ)
 完璧であろうと望むのならば、それなりの犠牲が必要だ。
 力や才能、あるいは想いによってたどり着けるほど「最高」は甘くない。
 だが……そうまでしてたどり着いた最高が、果たして本当に最高なのか……。
「何もかも捨ててしまえば、傷つくことも、失うこともない。その重さに苦しみ悶えることもない。だが、捨てられない何かが有るからこそ人は最高にたどり着こうとするのだろう。狭間、そのことに気づかなければ……オマエも荒耶同様腐った螺旋に囚われるぞ」

 がちゃ

「幹也か?」
 ドアの開く音に、そんなわけないと分かりながらも私は問いかけた。
「……幹也は……居ないのか?」
「式か。どうした?」
「幹也は居ないのかって聞いてるんだ!」
 脇腹を押さえながらも、式は普段無いほど大きな声で怒鳴った。
「居ない。一時間ほど前に出ていった」 
「どこへ行った……」
「殺人鬼を捜しに、だよ」
「くっ!」
 式はそれこそ噛みつかんばかりに私を睨み付けた。言いたいことは分かる。
 なぜ行かせたのか? ということだろう。
 だが言って止まるようなヤツでないことは式自身が一番分かっていた。だから怒りを私にぶつけることはなく、背を向けた。
「待て」
「邪魔するな」
「別に邪魔したいわけではない。だがな、オマエ……どこか痛めてるんだろう?」
「………」
 式は何も答えず、もう用はないとばかりにドアをくぐった。
 その動きから、やはり脇腹を痛めているのだと確信する。
「今のオマエに何が出来る。黒桐が出ていったのは一時間も前だ。おそらく今からでは間に合うまい。仮に、間に合ったとしてもだ。傷ついたオマエにアイツを止められるのか?」
「関係ないね。狭間は私が仕留める。アイツには指一本触れさせてやるものか」
 どう考えても無茶な状況で、だけどコイツは当たり前と言わんばかりの口調だった。
 純粋に……美しいと思った。
 理屈ではない。機能美なんかからはほど遠い。
 動きたいから動く。したいからしているだけだ。
 それはきっとどんな魔術にも出来ない……魔法だ。
「……式」
「なんだよ」
「今から行っても間にあわんぞ」
「そんなことやってみなければ……」
「わかるさ。だから……手を貸してやろう」
「……なに?」
「少し外で待っていろ。オマエは運がいいぞ。今の私は気分がいい。……私の「とっておき」を見せてやるよ」
 不思議そうにしている式の顔はどこか黒桐を彷彿とさせて、私はニヤリと笑った。
 この愚か者共がどこまでやれるか、見届けてやろう……。


 五分後、事務所前。
「お、おい。まさかこれ……」
「何を驚いている?」
「だってオマエ、これは……」
「あぁ、知らないのか? 昔から魔女の乗り物は<<コレ>>と決まって居るんだよ」









 ジャングルジムの上に座りながら、狭間先生は語りだした。
「ずっと幼い頃から、自分に違和感を感じていた。私はね、殺人を欲求しているの。でもそれは許されなかった。大人はみんなそれがいけないことだと言ったし、それに……映画やゲームなんかで表現されている殺人は、私の求める殺人じゃなかった。私は、私の求める物がどんな物であるのか分からなかったの。だからずっとその欲求を無視し続けてきた。でもだめだった。どんなに抑えても、どんなに無視しようとしても、無理があったのよ。私は普通の人間として育ち、普通の小学生、普通の中学生、普通の高校生、普通の大学生、そして普通の教師になった。だけどね、私が普通になればなるほど狭間翠は異常になっていくの。私は楽しいのに、狭間翠は楽しくないの。私は嬉しいのに、狭間翠は嬉しくないのっ。私は笑っているのにっ! 狭間翠は笑って、いないの……」
「狭間先生……」
「……でもね、今私はこんなにも心地良いのよ。私は殺人鬼になった。人を殺す存在になった。やっとなれたんだよ、コクトー」
 口調がわずかに変わる。何かがカチリと切り替わった。
「えぇ、先生はたしかに人殺しです。でも……」
「そう、でも、だよ。まだ完璧じゃない。なんでかわかる? ……簡単よ。コクトー、オマエが居るからだよ。オマエという当たり前が居るから、私はまだ―――狭間翠を越えられない」
 そうか――――絶望的な気分になりながらも気づいた。
 今目の前にいるこの織と名乗る人物は、それでも狭間翠なんだ。「私」は結局の所「狭間翠」でしかない。式と織が同じであったように、その二つの人格は同じ物なんだ。
 だけど彼女は「織」という別の存在を取り込むことで、狭間翠を越えようとした。
「自分を殺してまで……あなたはそんなにも……」
「そうだよ、コクトー。前に言ったね。動機のある殺人鬼は三流。動機の無い衝動で殺す殺人鬼は二流。では、一流の殺人鬼とはいかなる者か。その答えはね――― 一流の殺人鬼は動機もなにも関係ない。ただ、殺すことしか知らない、殺すためだけに生まれてきた者だ。そこには「自分」が存在しない。純粋なる殺人という現象だ」
 最早、救いはない――――橙子さんの言葉がかぶる。
 狭間先生の瞳に宿る色は、狂気なんて言葉で形容できるものじゃない。そこには何も映ってはいない。無色透明……いや、違う?
 映っている。何かが、映っている。
 それは――――――――――――――――――――僕の色だ。

 フッ、
 
 あの時と、同じだった。
 ジャングルジムのてっぺんからフワリと飛び降り、僕の前に立つ。その一連の動作にまるで反応できない。
 分かった。なぜ反応できないのか。
 
 ……それが、まったく、人間、じみて、いない、から、だ。
 
 狭間先生がすぐ目の前に立っている。ただそれだけで息が詰まった。
 これは恐怖と言っていいのだろうか?
 ただ、重かった。この人の前に立つことが、重くて苦しくて冷たくて悲しくて辛かった。
 これはきっと、死の感触……殺すという根元の感触だ。
「織は言った。コクトーを殺してみろ、って。だからさ、オマエを……殺すよ?」
 取り出したナイフを首筋に押しつける。
 よく研がれた銀色の刃は、押しつけただけで僕の皮を断絶した。
 紅い雫が、ツゥと流れる。
「せん……せい……」
「いいえ、織よ」
「いや、オマエは狭間翠だよ」
 唐突に降ってきた声に、僕は空を見上げた。
 10メートルくらい上空に、影が浮かんでいる。星の光だけの暗い空に淡く浮かび上がっているそれは……
「式。……それに、橙子さん」
 良く目を凝らしてみたら、式達は冗談見たく空中に浮いた箒に跨っていた。
「あいかわらず、とんでもない人ですね……橙子さん」
「何故驚く? イギリスでは空を飛ぶ箒くらい常識だ」
 絶対、何があっても常識じゃありません。
 橙子さんに心の中でツッコミをいれながら、僕は式へと視線を向けた。
 暗闇の中でも、その蒼く輝く瞳だけはハッキリと見える。
 あぁ……怒ってるな。それも随分と。
「式……」 
 なんと言い訳したら良い物やら……こんな状況の中でバカみたいだけれど、僕は真剣に考えてしまった。
 しかし、先に式の方が視線を逸らしてくれた。
 僕ではなく、狭間先生の方へと。
「フッ―――」
 10メートルの高さを、式は何のためらいもなく飛び降りた。
 相対するようにお互いを睨み付ける式と先生。
「待たせて悪かったな、狭間」
「両儀、式。オマエなんか待ってないよ。言ったはずだ。オマエなんかいらない。私に必要なのは、黒桐幹也という人間のみ」
「ソレは私のだ。持っていくなら私の了承を得てからにしろよ。……トウコっ!」
「うむ」
 浮かびながら、橙子さんは軽やかに指を動かした。
 それはまるでヒモでぶら下がった操り人形を動かすような――――
「……えっ」
 唐突に、自分の身体が宙に跳ね上がった。
 そして橙子さんの近くまでくるとそのまま吊られた人形のようにダランとした格好で静止した。
「ちょ、ちょっ!?」
「……これで心おきなくやれる」
「愚かね。いいわ、あなたを先に殺してあげる」
 手足を垂らした状態で宙に浮いている間抜けなカッコの僕を無視して、戦いは始まった。




  11/




 式と狭間の第二ラウンドが始まって5分。
「驚いたな。式を押しているぞ」
 橙子は上空から観戦しながら、歓声を上げた。
 単純に身体のポテンシャルで言えば式の方が圧倒的に高い。”両儀”である式と起源に覚醒しているとは言えごく普通の人間でしかない狭間翠では桁が違う。
 だが、その差を埋められるほどに技術と経験の差があった。
 その場で打ち合うにはウェイトが軽すぎ、カウンターを狙うには手足の長さが足りていない式の攻撃はどうしても突進・交差系に頼りがちだ。それを見抜いているのかどうなのか、狭間は巧く動いていた。
 直線的に攻め続ける式を円状に動きながら受け流し、時に見事なカウンターで苦しめている。
「どうした。今のままでは殺されるぞ、”両儀式”」
「外野は黙ってろ!」
 どこか楽しげな橙子の揶揄に、式は吠えた。
 式自身も、そんな事は分かっている。
 まともに、このまま続けても体力を無駄に削っていくだけで有効打は期待できないだろう。
 だが、彼女には奥の手があった。
 両儀家に伝わる戦闘術。構えによる変体。
 本来ならば武器をもってそれを成す。
(だが―――あるいは)
 武器を持ち替えるのは意識の切り替えをするためだ。役者が衣装を着替えることで気持ちを切り替えるように、武器を持つことによって、それを持っている自分をイメージできる。
 ならば、あるいは意識の切り替えだけでもそれが出来るかも知れない。
 今の自分ではなく、もう一つ別の自分になる。
 もちろん、それは口で言うほど容易くはない。意識の切り替えはメンタルトレーニングをつんだプロのスポーツ選手ですら簡単には出来ないのだから。
(でも、織なら……できた)
 戦うための人格。戦闘シュミレーションを極めたソフトウェア。
 そのために生まれた織ならばそれが出来た。まるでスイッチが切り替わるように。
 自分が織のマネゴトを出来るとは思わない。けれど近づく事ならあるいは、出来るかも知れない。
 式は間合いを一気に広げ、眼を閉じて集中した。
「お祈り……というわけではなさそうね。一体、何を企んでいるのかしら」
 そのバカにしたような余裕が、式にとっては感謝せねばならないほど貴重なものだった。
 綺麗にすっぱりと切り替えることは出来ない。
 ゆっくりと、普段日常生活における筋肉の使い方(プログラム)を、新しいものに書き換えていく。
(チャンスは一度きりだ)
 一度外せば二度目は最早効果ないだろう。
 一撃で相手を行動不能にする。その為には一切のためらいは許されない。
(覚悟を決めろ!)
 自分より、技術も、経験も勝っている相手に勝つには、覚悟を決めるしかない。
 殺したくない。殺してはいけない。
 中途半端な抑制をしながら勝てる相手じゃない。
 全力で叩き込む。死ぬか否かは相手の生命力次第だ。

 タッ

 ホンの軽く、踏み出した一歩で一気に間合いを詰める。
 狭間にして見れば、消えたように見えただろう。
 式の瞳に、先ほどまで自分が居た場所を呆然と見つめている狭間の顔が見えた。
(終わりだ)
 がら空きの水月(みぞおち)に拳を叩き込むのみ。あばらに守られていない急所に入った一撃は、そのまま内蔵へと届く。
 肉の塊でしかない内蔵は、人間の拳の衝撃にすら耐えるように出来ていない。
 だが、ためらいは……ない!
 渾身の力を振るう。
 吸い込まれるように、狭間の身体の中心に進んでいく拳。

 ――――刹那

「阿ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっッ!!!!」
 咆吼が、公園に響いた。
 零コンマ数秒の瞬間に、狭間翠は動いていた。
 その長い足を無理矢理ねじ曲げ、畳み込み。そして――――伸ばす。

 ドッ――――――――

 音が聞こえたと思った瞬間、式は瞬く光に飲み込まれていた。









 ザァザァと雨が降り続いている。
 濡れた着物が身体に重い。だけど、その空気はもっと重かった。
「コクトー、何か言ってよ」
 喉元にナイフを突きつけた状態で、しかし式は止まっていた。
 雨水が側溝へと小さな河をつくり、たまった埃を洗い流していく。
 コンクリートの地面はわずかに暖かかった。
 そんな道路の上で、二人は重なり合ったまま静止していた。
 俺は――――笑った。
 やっぱりね。
 絶対の死を前にしながら、それでも目を逸らすことのないコクトーを式が殺せるわけなかった。
 今、目の前にあるこの輝きを、だけど式は自分だけのものになんか出来なかった。
「私は、オマエを犯したい」
 嘘だ。
 したい、わけが無い。ただそうしなければ壊れてしまいそうなだけだ。
 その証拠に、こんな決定的な状況にありながら、震えているのは式だった。
 

 コクトー……見てくれ。
 
 こんな、救われない式を。
 
 自分の殺人衝動を殺さなければならないという矛盾を。
 
 自己完結した一つの世界が、歪に軋む姿を。
 
 こんなにも、オレタチは近いのに。 

 けして届くことのないその温もりに恐怖する。

 だけどけして届くことのないそれは。

 宙(そら)に輝く星と同じ。

 コクトー……見てくれ。

 こんな、哀れな地を這う獣を。

 天を見上げるしか出来ない存在を。

 夢の中でしか、君に触れることが出来ない、この俺(ワタシ)を……

 
 黒い何かに蹴り飛ばされた。
 式は夢中になってそいつに襲いかかった。
 だけど、俺の意識はただ、コクトーに向いていた。


 コクトー……

 コクトー……

 オマエと一緒にいた時間は、本当に心地よかった。

 夢のように瞬く間に過ぎていくその時間を。

 俺は本当に、好きだったんだ。

 たとえそれが夢だとしても。


「おまえを消せないのなら―――


 なぁ、コクトー……いつか……


        ―――わたしが、消えるしかない」

 
 オレタチ獣が、夢でなく、君に触れることができるだろうか。


 夜闇に響くけたたましいブレーキ音。
 俺は初めて式に逆らい、無理矢理押しのけた。
 目に映るのは事務的に光るライト。
 身体を投げ出していく。
 コクトー。
 これだけは忘れないで欲しい。
 俺はオマエのことがきっと……
 きっと、本当に……好――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――









 本日二度目、腹に激痛が走る。
 私は仰向けに倒れたまま、すでに動く努力を放棄していた。
 あの一撃が全力だった。だっていうのに、今倒れているのはこの私だ。
 バケモノみたいな女だ。純粋に感心した。
 こちらの書き換えが完璧でなかったこと、あばらを痛めて全力疾走が出来なかったこと。この二つはもちろん敗因に含まれている。
 だけど狭間はそんなレベルじゃない。見えてなかったはずだから。
 あの一瞬、狭間はこちらを見ていなかった。なのに、ものの見事にカウンターを合わせてきた。
 あれは脳が認識しての事じゃない。脊椎反射だ。獣の本能がこちらの殺気を感じ取り、視認する事の出来ないその動きを捕らえたんだ。
 もはや勝ち目はない。後はただ、とどめを刺しにくるのを待つだけだった。
(―――空が―――)
 わずかに晴れだしたのか、星がポツポツと黒い下地の上に浮き上がってくる。
 弱々しく、だけど確かに其処にある星。仰向けの私からは吸い込まれそうなほどのパノラマなのに、その姿はまるで大海に浮かぶ小舟みたいに、今にも見失いそうで危うい。
 ふと、思い出す。
 織は―――いつもこんな風景を見ていたんだろうか?
 流れ込んできた記憶は、確かだけど曖昧。
 でも、それが本当の……あいつの記憶で有ることを示している。
 記憶というのは……忘れてしまうものだから。
 私は、最後の力を振り絞ってその手を―――空へと掲げた。
 届かない。届くわけがない。あの向こうの世界。
 見えたり、見えなかったりするのに、いつだって輝いている星々。
 近くて、とてつもなく遠いあの温もり。
 
 あの向こうには、百万の星と、それと同じだけの夢がある

 なんとなく覚えている、アイツの声。アイツの言葉。
  
 でも―――けして―――両儀織(オレ)には届かない―――

「式っ!!」
 力が抜け、掲げていた手が落ち始めるのを誰かが止めた。
 空中でしっかりと握りしめてくれたそれは……
「なんだ、幹也……。なんでこんな所に居るんだよ……」
「式が……式が心配だったからだよ」
「……おまえの心配性は死んでも、治りそうにないな……」
「良いんだ。心配させてくれよ。君の事なんだから」
「……バカ」
 そうやっていつもいつも……どうして危ないことばっかりするんだよ。
 今だってそう。トウコと一緒にいればとりあえずは安全なのに、こんなところに降りてきて……。
 オマエはいつだって……どうしてそんな、馬鹿な奴なんだよ……。
 あの時からずっとずっと。
 どうしてオマエはこんな私を、そんなにまで……。
「……暖かいな、オマエの手」
「そう?」
「あぁ。暖かい」
 それが……とても嬉しい。
「……もっとしっかり、握ってくれ」
「うん。大丈夫。言っただろ? 僕はけして、君のことを許(はな)さないって」
 

 ―――なんだ、簡単な事だったんじゃないか。


 バカみたいな事実に、私は苦笑した。

 見上げるばかりで、気づかなかった。

 遠い空ばかり見上げて、分からなかった。

 こんなにも簡単で、こんなにも近くで……。

 ずっとそばにあったんだって事。

 きっと、五年前のあの日から。

 それよりもっと昔から。

 アイツは届かないって言ったけど。

 そんな事はない。


 ――――普通(あっち)と異常(こっち)なんて、こんなにも近い。
 

 そう……空と地に境界なんて無かったんだ―――無かったんだよ!
 
 
 だって私の手には、ちゃんと幹也の温もりが届いているから。
 
 この温もりは、絶対に夢なんかじゃないから。

「幹也……」
「式、泣いてるの?」
「泣いてるのはオマエだよ」
 そう言ってみたけど、きっとわたしが泣いているのも事実だろう。
 でも……良い。
 嬉しいから泣いてるんだ。とても気分がいいから、泣いてるんだ。
 今のこの気持ちは、誰にもケチなんてつけさせてやらない。ずっと気づかなくて、一度は伽藍洞になって、随分遠回りして、やっと見つけだしたこの気持ちだから。
 空を覆い隠していた雲が去っていく。それに伴って、辺りが明るくなり始めた。
 闇に浮き上がった私達の影は、確かに繋がっていた。
「晴れてきたね。月が綺麗に見えるよ」
「うん」
 淡く輝く月。満天の星。
 私は幹也の手をしっかりと握りしめた。
 そうしたら、立ち上がるのは意外に簡単だった。 
 



「月が、出てしまったわね」
「そういえば、アンタは月が嫌いだったんだ」
「……うそつき。それは織にしか言ってない。あなたが知ってるわけ―――」
「知ってるよ。だって織は式だから。記憶がバラバラだったのは、ただ私が織を同じ自分として受け入れてしまうのが怖かったから。記憶が別なら、私たちは別々で居られると思っていたから。二人が別々なら、きっと……」
 殺人鬼である自分を否定できると思っていたから。
 居なくなったアイツが戻ってくるかも知れないと思っていたから。
 アイツの存在を忘れたくなかったから。
「でも、受け入れてしまえばなんて事はない。脳味噌は一つきりなんだから、アイツの記憶は私の物だ」
「やめてよ。あなたになんか織を語って欲しくない。織を邪魔し続けてきたくせに」
 違いない。昔なら、そう答えたのだろうか?
 だけど、今は違う。
「分かってないな。式と織は同じなんだよ。自分を邪魔できる奴なんか居るワケ無い」
「でも彼は―――」
「違う。アイツは……私は……殺人なんて望んでなかったんだ」
「嘘よ!! だって彼はあんなにも……最高の殺人鬼なのに!」
 理性でもなく、狂気でもなく、感情でもなく、ただの現象。
 殺人……人を殺すと言うことにのみ純化した存在。
 確かに戦闘ソフトである織は、そうだったと言えるかも知れない。
「でも、アイツは人を殺さない自分を夢見ていたから」
 人殺しだった両儀織は人を殺さない夢を見るのが好きだった。
 黒桐幹也という夢。「普通」という夢が、本当に好きだった。
 自分には、どんなに手を伸ばしても届くことのない、星が好きだった。
 だけど……
「馬鹿な奴……届かないわけないのに」
 こんなにも、すぐそばにあるっていうのに。
 隣に顔を向ける。そこには相変わらずノーテンキな顔があった。
 いつもなら殴ってやりたくなるそれが、今の私には何より嬉しかった。
「……そして、それはオマエも同じだよ」
「え?」
「なんてことない。オマエは、あの時の私。怖くて仕方ない。周りの全てに怯えていた私。自分の「当たり前」を守るために、必死になって周りを拒絶していた愚かな私」
 だって、届かないと思っていたから。
 織は夢を見るのが好きだったけれど、私は嫌いだった。
 自分には届かない夢を見て、イカレている自分を見せつけられるのがいやだったから。
 間違っている自分を思い知らされるのは、何よりも痛かったから。
「でもさ、オマエだって届くんだよ。『殺人しない自分』に」 
「嘘よ。私にはそんな生き方出来ない。だってこんなに苦しいのに!」
「分かってるんだろう? その苦しさこそが、幹也を前にして殺人衝動と同時に感じる痛みこそが、オマエが本当は望んでいることの証拠なんだって。『届く』ことを示してるんだって」
「うるさい! 黙れ!」
 拒絶しようと必死になっても、きっと分かってる。
 痛みを必死に抱えていた狭間。それを捨てることくらい簡単なことだって言うのに。
「織もきっと苦しんでたんだ。何気ない顔していたけど、アイツも苦しんでたんだよ。式と織は同じ者だ。殺人なんてできやしない。したいとも思わない。ただ、私は肯定で、アイツは否定だったから、拒むことしか出来なかったけれど。だけど織はいつだって夢見ていたんだ」
 この空には、百万の星と、それと同じ数だけ夢がある。
 そう、この空の向こうには、きっと自分の思いもしないような可能性が潜んでいるんだ。
 そして、大地に縛り付けられてなどいない私達は、それを手にすることが出来るんだ。
「オマエの中の二つの人格も結局は一緒だよ。殺人という起源に覚醒した人格も。殺人を否定し続ける狭間翠という人格も。オマエは……」
「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
 振り払うように、乱雑な裏拳をぶつけてくる。
 だけど私は、それを容易く受け止めた。
「オマエと同じだよ。織を継承した今の私なら、もっと上手く戦える」
 完全な形で両儀の能力を扱えるようになった今となっては、最早目の前にいる狭間なんか相手にならなかった。
「でも! 織は私に言ったわ。織を継承する資格があるって。そしてコクトーを殺せって」
「アイツは殺せなんか言ってない。ただ……織はアンタの痛みがよく分かってたんだ。それは自分自身の痛みと同じだったから。だから、あんたに託したんだよ。自分の叶わなかった夢を。届くよりも前にアイツは逝ってしまったから。アイツはアンタにたどり着いて欲しかったんだ」
 自分達と同じ、矛盾した二つの人格を内包する狭間翠という女性。
「だから、アンタを幹也にぶつけたんだ」 
 殺せないと分かっていたから。
 自分達と同じである狭間には、黒桐幹也を殺せない。
 確信があったわけではないだろうけれど。
 捨てられない何かを、コクトーの中から見つけだしてくれるはずだと、信じていた。
「私は……」
「分かってやれよ。織のこと、本当に想っているなら」
 アイツは本当に、ただ空を見上げるのが好きなだけの少年だったんだから。
「私は……私はぁ……それでも……」
「……先生」
「――――くっ!」
 一瞬、泣き崩れた狭間は……しかしすぐに立ち直ると私達から離れるように走り出していた。
「先生!!」
「追うなよ、黒桐。結局の所、自分の心は自分でケリをつけなきゃならないんだ」
「……分かってます」
 起源という呪縛に囚われた人間は、そう簡単には変われない。
 でも……一生変われないわけじゃない。
 だから、私達はその背中を見送った。
「私だって二年近く掛かったんだ」
 ゆっくりやればいい。そう思った。




  12/




「結局、狭間翠は捕まらなかったようだな」
 新聞から目線を放さずに、トウコがそんなことを言った。
 狭間は逃げ延びたらしい。アイツの能力なら日本の警察から逃げ延びるのはけして不可能ではないだろう。
 だけどそんな事はもうどうでもよかった。
 アイツはもう二度と人殺しは出来ないだろうから。
 織のことを本当に好きだったのならアイツは絶対に人を殺せない。
 だったら、もうアイツの事なんてどうでも良かった。
 きっと、どこかで何かしてるんだろう。
 私は、いつもの窓際のソファーに腰掛けながら窓から入ってくる風に身を任せた。
 心地の良い風だ。
 この場所は私のお気に入りだった。
 なにせ、静かなのが良い。
 今日はここでゆっくりと昼寝するのも良いな……なんて思っていたら、

 ダンッ、ダンッ、ダンッ、

 なんて、私に対する嫌がらせとしか思えないような音が、階下から響いてきた。
 徐々に近づいてくるその音はまるで、特撮映画の怪獣の足音だ。

ダンっ、ダンッ、ドゴンッ!!
 
 ……最後の一番でかい音と共に、事務所の扉が五メートルほど吹っ飛んだ。
 鉄製の扉はよく見るまでもなく、足形に凹んでいる。
「に、いさんっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
 野生のライオンも全力疾走で逃げて行くほどの咆吼。音波で机の上のプリントが何枚か舞い上がった。
「声に魔力を込める才能もあるようだな、鮮花。結界が揺らいだだぞ」
バカ幹也はどこですかっ!!」
「それを聞いてどうする?」
「決まってるでしょう。有言実行。二度と外を出歩けないように両足を切り落としてやるんです!! もちろん、アフターケアは万全です。ちゃんと一生面倒見て上げますから……ウフフ、安心して出てきてください、兄さん!!!」

 ベゴンッ
 
 言いながら、安心という言葉の意味を深く考えさせられるほどの強烈な蹴りが幹也のデスクを吹き飛ばす。
 宙を舞いながら、引き出しから分厚い資料の束やらなんやらをまき散らすそのデスクは、随分と重そうだった。どうやっても私には蹴り飛ばせそうに無い。
「ちっ! ここには居ないかっ!!」
 とてもお嬢様学校の礼園の学生とは思えない言葉使いだ。
 シスターが聞いたら失神するな、とトウコのつぶやきが聞こえてきた。失神どころですむとは思えない……。
「橙子さんっ! どこですかっ!! 何処に行きやがったんですか!!」
「……ふぅ、これ以上壊されてはかなわんからな……ほれ、そこの留守電」
 ちょんちょんと電話を指さすトウコ。なんだか、前にも見たことのある情景で、少し嫌な予感がした。
 叩きつぶさんばかりの勢いで点滅するボタンを押す鮮花。
  
『ピッ、――――あ、黒桐です。ちょっとした諸事情でしばらく旅に出てきますんで、有給ください。たぶん、一ヶ月くらいで戻ってくると思います。……というわけで……探さないでください♪ ガチャ――――ピーッピーッピーッ』

「ああぁぁぁのぉぉぉぉおとぉこはぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!!!」 
 
 子供や老人なら心臓発作で殺せそうな咆吼と共に、嵐のようなスピードで鮮花は事務所を出ていった。
 ……あのまま街に出たのだとすると、今日の午後のニュースはきっと面白い見出しになってる事だろう。
「さてさて、鮮花にも「探す」能力があるのか、楽しみだな。式、オマエはどっちに賭ける?」
「幹也の逃げ切り勝ち。冷静なときならともかく、頭に血が上った状態の鮮花に幹也を見つけられるわけないからな」
「……フム。私もそっちなんだが。これでは賭けにならんな」
「賭なんかするなって事だろ」
 くだらない話を切り捨て、再び視線を空へと向ける。
 そうか……またどっかいっちゃったんだな。
(……ウソツキ)
 いつも、当たり前のようにそばにいるくせに。
 どうしてこんなにも簡単に、フッと居なくなっちゃうんだ。
 それも、何も言わずに! 
「ん、もう一件入ってるな」
『ピッ、――――えっと……というわけだから式、ごめんね。すぐに帰るから待っててよ。じゃ。ガチャ――――ピーッピーッピーッ』
「……バカやろ」
 私が言いたいのは、そんなことじゃ無いってのに……。
 呆れて、私はソファーに寝っ転がった。
 心地よい風に包まれ、ゆっくりと眼を閉じていく。
「早く帰ってこないと、追いかけて行くからな」




 
 ――――夢は優しく柔らかい。
 ――――なんとなく、<<アイツ>>の夢を見たような気がした。



<了>








 あとがきっくす!(謎


 予定終了日から一週間と少々オーヴァーして、やっとこさ終了しました!!
 一部の方にはお待たせしてしまい、本当に申し訳ないです。

 しかし……いやぁ、読み返してみるとなんだかよく分からない話になってますね。
 あんまりゴテゴテとしたものは付け加えなかったから、シンプルな話しになってる筈なのですが。
 にしても、もともとこのお話の最初は「織に恋してしまった女子中学生」がコンセプトだった筈なんですけど……最早跡形も無いですね(笑
 何がどうなってこんな展開になったのやら……。

 まぁ、これで一段落。
 後はかすがさんの所の秋隆祀り用SSの仕上げと、KANONのSSと、第二回コンペ用のSSと……
 って、全然一段落ついてねぇっ!!??(死


 



[PR]何かを探す前に無料占い:当たる!無料占い『スピリチュアルの館』