人生っていうのは難しい。
一歩踏み違えただけで、ほんの少し力の加減を間違えただけで転落してしまうフリークライミングみたいに、たった一度の選択間違いでいとも簡単にバッドエンドを迎えてしまったりする。
そのくせ、フリークライミングとは違って降りて元の場所に戻る事も、命綱もない。
「どう、シロウ? その入れ物は気に入った?」
目の前ではイリヤが可愛らしく笑っていた。
その笑顔は無垢で無邪気で、見ているこっちが嬉しくなってしまいそうな幸せな天使の笑顔だったのだが、しかしそう感じられるのはこっちの状態が万全であってこそ。
今はただ、底知れぬ恐怖を感じさせる堕天使の笑顔だった。
「どうして俺、こんなことになってるんだ?」
「だってシロウは私のサーヴァントでしょう? 何でも言うこと聞くんでしょ? なら、人形にしたって良いじゃない」
なんでさ。と、思わず本気でツッコミを入れたくなる。
だがそんな俺の気持ちを欠片も分かってくれないちみっ子イリヤスフィールは、楽しそうに笑いながら部屋を出て行ってしまった。
なんということだ。セイバーや遠阪の忠告をしっかりと聞いておくべきだった。今更にように後悔が押し寄せてくるが……しかしそれこそ後の祭りだ。
俺は今、イリヤの家――というかお城の中にいる。まぁ、直裁的な表現をするならば誘拐されちゃったわけだ。
……あぁ、セイバーの怒った顔が見える。
「シロウ、貴方はいったい何を考えているんですか! いえ、そもそも何か考えがあって行動しているのでしょうねっ!?」
酷いなぁ、セイバー。俺だってちゃんと考えて行動してるさ。
ただ、時々前しか見えなくなるだけで。
……あぁ、セイバーに殴られてしまった。
以上、脳内劇場終了。
さて、誘拐されているのならば、なんとか自力で逃げ出せば良いじゃないか――なんて考えるのが普通だが、しかし今の俺には絶望的なまでにそれは不可能だった。無理やりここまで、しかも意識を失った状態で連れてこられたのだから帰り道が分からないし、それに……そもそも身体が動かないのだから仕方が無い。
そう、身体が動かないのだ。
動くはずなど無い。
なぜなら――――
俺の身体は、今現在人形になっているのだから。
正確には、人形というか、ぬいぐるみだ。
いつのまに作ったのか、俺を似せて作られたふわふわのぬいぐるみの中に、今俺の意識はあった。
『人形狂想曲 〜ビバ! 転落人生〜』
「良いわ、シロウ。すごく可愛い♪」
酷くご満悦のご様子なお嬢様。っていうか悪魔っ娘。
アインツベルン城、イリヤの部屋。
豪華なその部屋の中の、殊更豪華なベッドの上で、俺はイリヤの玩具になっていた。
あれからいったいどれくらいの時間が過ぎたのか。
一時間や二時間といった程度なのだろうが、なんだかもう何年もたっているように錯覚してしまう。
それぐらい、この状況は精神に多大なダメージを与えてくれていた。
なにせイリヤはずっと、俺の身体を弄繰り回しているのだから。頭や顔を撫でたり、おもむろにギュと抱きしめてきたり、かと思ったら平気で股裂きとかするし。
しかも困ったことに、人形にもかかわらず俺には感覚があるのだ。どういう仕組みなのか、五感は全て正常に働いている。だからイリヤのすべすべした肌の感触も分かるし、股裂きが死にたくなるほど痛い刑罰なのだということも分かった。
その上、着せ替えだ。一度部屋を出て行ったイリヤが持ってきたのは、人形用の衣装だった。普通の私服っぽいものからスーツ類、各種職業の制服やらなぜか女の子用のスカートまで……勢ぞろいだ。
それを俺は延々と着せ替えられていたのだった。
「ウゥ……もう、お嫁にいけない」
今現在着ているのが花柄のワンピースだからか、ちょっと女の子の気分な俺。着せ替えられる度に全裸に――といっても人形なのだから当然『アレ』はついていないのだが――された挙句、しかも下着までつけられてしまった。
……そう、今このワンピースの下には、お揃いの可愛らしいショーツとブラジャーがあった。もちろん、こんな経験は初めてである。……初めてでなかったら、そいつは本気で匠を呼んできたくなるほど劇的な改善が必要だろう。
恥ずかしさと情けなさで麻痺しはじめている俺の脳は、女の子はいつもこんな窮屈なのをつけているのかと、逆に感心してしまうほどだった。
「イリヤ様……もう勘弁してくだちぃ」
「うーん……そうね。そろそろ飽きてきたし」
飽きるの、早いっすね。やっぱりお子ちゃまだからか。
しかし、今の俺にとっては渡りに船だ。
これでやっとこの羞恥地獄から脱出できるのかと思うと、涙が出てくる。……しつこいようだけど、人形だから涙なんて出ないんだけどね。
だが、そんな俺の思惑は、イリヤの一言であっさりと破壊される。
「それじゃ、お風呂にしましょ」
「おふっ……お風呂ぉぉぉっ!!?」
「どうしたの? シロウ」
「い、い、いや……」
お風呂って、お風呂ってっ!
もしかしてイリヤと二人でか?
そうなるよな。だって俺は身体が動かないわけだし。一人じゃ入れないんだから。
でも、でも……でもでもでもっ!
そういうのはお兄ちゃん……困る! すごく困る!!
「いや、でもほら。俺ってぬいぐるみだろ? 濡れたら大変じゃないか」
「大丈夫よ。だってソレ、ちゃんと防水仕様だもの」
わーい、手回し万全だー♪
「さ、行きましょー」
俺をしっかりと握り締めて鼻息荒く部屋を出て行くイリヤ。
どうでも良いけど、腕をつかまないでほしいんだな、これが。腕がもげそうなくらい痛いから。
「そうだよな。そうだと思ってたさ。だってそれが当然なんだし。別に期待してたわけじゃないんだ。期待してたわけじゃない。俺だってそうなるだろうと分かりきっていたんだ」
いたんだ…………けどっ!!
「ん? どうしたの、シロウ」
「い、いや……別に」
広大な、と表現しても良いほど広い浴場(お風呂なんてレベルじゃない)の中、小さな椅子に座らされている俺の前で、全裸『ではない』イリヤは首を傾げた。
そう、全裸ではない。お風呂なのにイリヤは……水着を着ていた。
しかも何故かよりにもよってスクール水着……。
「これはねー。タイガー道場用」
「タイガー……道場?」
「あ、ううん。なんでもないの。今回のシロウは知らなくてもいい事」
なんて、イリヤはわけの分からないことをいう。タイガーというと藤ねぇの事だろうか? いや、そんなはずはない。だって二人は面識ないはずだし。
「さー、ゴシゴシしましょうねー」
嬉々として石鹸の泡にまみれた手を近づけてくるイリヤ。
幼女に身体を洗われる男。……なんというか、転落人生まっさかさま、って感じだ。
まずは頭を。そして顔を思いっきり泡だらけにしてくれるイリヤ。人形だから息苦しくは無いし、目にしみるということは無いものの、なんとも乱暴な洗い方だ。もうちょっと丁寧に扱ってほしい。
次は手足。といっても関節も指もないので、まるで棒を洗っているかのようだ。今更ながら自分がとんでもない身体になっているのだと、悲しくなる。
洗い方はなんともまぁ、乱暴というかテキトーだったが、しかし一方で他人に身体を洗ってもらっているというのは心地良いものだった。幼いころ、オヤジとも良く一緒に風呂に入ったっけ。オヤジも洗い方が上手いほうではなかったけれど、それでも凄く楽しかったのを覚えている。
今も、イリヤの手のひらが背中を撫でるその感触に、俺は少し安心感みたいなものを感じ始めていた。
と――――そこで、俺はやっと思い出した。
人形になったはずなのに、妙に身体の感覚が残っているのだということに。
「イ、イリヤ! ちょっと待って!」
「待たない。最後はここだよー」
危険を感じ慌てて忠告しようとするが、時すでに遅く。
イリヤの泡だらけの手のひらが、俺の股に――――
「oh!!」
「オゥって……シロウ、ガイジンみたい」
「い、いや、違う。そんなのはどうでも良い」っていうか、外人はお前だ。「そこは、そこだけは勘弁してくれ」
「どうして?」
「いや……なんというか、そこを洗われるのはちょっと……人間としての尊厳と言うか、何か大切なものがガラガラと音を立てて大崩壊、って――――ohhhh!!」
俺の話を最後まで聞かず、イリヤはまたも手のひらを動かした。大切なものがぶら下がっていたその場所を、乱暴にゴシゴシと。
「アハハッ! シロウ、ここ洗われるの苦手なんだぁー?」
俺の反応が気に入ったのか、イリヤはイタズラっぽい表情で言う。
いや、苦手なのではない。むしろとってもイイ!!
……って、違うっ!!
いったい何を俺は血迷ったことを。
だいたい、幼女がイタズラするというのがけしからん。幼女とは、悪戯するものであって、イタズラされるものでは無い!!
…………って、これも違う!!
俺は何を考えているんだぁぁぁぁぁっ!!
「ほらほらぁ、シロウ、ここなんかどう? ここは? ここは?」イリヤの指が忙しなく秘密な部分を撫でていく。なんだか気分は、お代官に迫られて「堪忍してぇ」と泣き叫ぶ町娘だった。
「ohhhhhh! MyGod!!」
「アハハ、シロウ。本当にガイジンみたい!」
……もう、勝手にしてくれぃ。
なんというか……精根尽き果てたという感じの入浴を終えた俺は、その後しばらく――イリヤが夕食を摂っている間休憩、というか放心していた。
拝啓、天国のオヤジ様。
ごめんなさい。正義の味方になるとか言っておきながら、今の俺は幼女に股座を洗われた人生の落伍者です。……これだけ書くととんでもない人間のように思われるかもしれませんが、俺には俺の事情があったのです。仕方なかったのです。どうか許してください。それと、藤ねぇには黙っててください。絶対殺されるから。
……なんて、頭の中でオヤジへの手紙はどこに出せばいいのだろう? 妖怪ポストだろうか? と考えている俺が今居る場所は――――イリヤのベッドの上だった。
電気は消され、周囲は真っ暗。もちろん、別に変なことをしているわけではない。
先ほどまで、また俺を弄くり倒していたイリヤだったが、はしゃぎ疲れたのか、今は隣でスヤスヤ眠っていた。
寝顔だけ見れば、なんともお子様だ。とても人様を人形の中に閉じ込めるような魔術師にも、あの最強最悪なバーサーカーのマスターにも、泡の国の秘技を体得しているようにも――いや、最後のは違うけど――見えない。
今まで忙しなかった為に気づかなかったけれど、部屋の中にはイリヤの甘いミルクのような香りが充満している。それがなんとも女の子らしくて、なんだか頭がクラクラしてきた。
俺はそれを無理やり頭の中から振り払う。
さて、どうしたものか。イリヤが眠っている今こそが唯一のチャンス。なんとか逃げ出さなければ……そう思うのだが、身体が動かないのではどうしようもない。
セイバーはどうしているだろうか? 心配しているだろうか? 身体の調子はどうだろうか?
遠阪は……凄く怒ってるだろうな。それともむしろ、呆れているだろうか。
アーチャーは……あいつはどうでも良い。
身体が動かないからか、余計に色々な事が脳裏をよぎる。
この聖杯戦争を終わらせる。その為に戦うと決めた。セイバーと共に。遠阪達と協力し。少しでも早く、この馬鹿げた茶番劇を終わらせる。
だから、こんな所でグズグズしているわけにはいかない。こんな所で終わってしまうわけにはいかない。
身体が動かないなら、頭を動かせ。絶対、何かあるはずだ。諦めるな!
こんな姿になったとしても、俺は間違いなくセイバーのマスターなのだから!
「シロウ……」
突然名前を呼ばれて、思わず身体が硬直する。いや、硬直も何もそもそも動かないわけであるが、あくまでイメージだ。
「イ、イリヤ……?」
「シロ……ウ……」
イリヤは何か口の中でムニャムニャと言いながら、苦しげな表情をしていた。
なんだ、寝言か。
ホッとする一方で、その表情が気になった。
何かに苦しむような表情。助けを求めているかのような表情。
もしかしたら、彼女はただ寂しかっただけなのかもしれない。
アインツベルンの魔術師で、バーサーカーのマスターで、だけど彼女は見た目どおりの幼い女の子なのだ。「お兄ちゃん」という言葉は、だからもしかしたら温もりを求めて差し伸べられた手だったのかもしれない。
「シロォ……」
ギュッと、イリヤの細い腕に抱きしめられる。
まだまだ女性特有の柔らかさ薄いその胸に、抱き寄せられる。
しっかりと、しっかりと。
もう二度と離れたくない、そう言っているかのように頑なに。
いったい誰が、その腕を振りほどくことができるだろうか。
例え身体が動いたとしても、例え俺が第三者だったとしても。
振りほどけるわけが無い。
奪い取ることができるわけ無い。
「イリヤ……大丈夫だよ。俺はちゃんと傍に――――」
ギュッ!
「あ、あれ……?」
ギュギュッ!
「あれれ???」
ギューーーーーッ!!
「い、痛っ! なんかめっちゃ痛いです! ちょっと、マジで痛いですよー、イリヤさん!!」
さっきからどんどん力が強くなってきているような気がする。
その細い腕のどこにそんな力があるのか、なんかそれって詐欺じゃねーの、って聞きたくなるほど、とんでもない力だ。
万力――――いや、ガチャ(ワイヤーを使った荷締め機)のように強烈な締め付けだ。
全身の骨が悲鳴を上げそうな――今は人形なので骨が無いからその心配は無いが――力強さだ。っていうか、その代わり、中身(綿)がでちゃうんじゃないの!?
ヤバイ! ヤバイよ、イリヤスフィール!
「ちょ、ちょっと、起きてくれイリヤ!」
できる限りの大声で叫ぶが、しかし寝た子を起こすことはこんなにも難しいのか、イリヤはスヤスヤと気持ちよさそうに熟睡している。
すでにその力は俺の身体(人形)の耐久限界に達しつつあるのか、胴の部分の綿は押しつぶされ、その分だけ顔が、まるでおたふく風邪でもひいたかのように膨らんでしまっている。
このままでは、脳が爆散――つまり頭の天辺部分のつなぎ目から綿が噴き出してしまいそうだ。
「嫌だーーー! そんなデッドエンドは嫌だーーー!!」
俺の渾身の叫びは、しかしイリヤには届かない。
結局、爆散はしなかったものの、朝までその状態だったのだとさ。
終わり
次回予告
士郎を救出に来たセイバーがそこで見たものは、人形となった彼の姿だった。
ぬいぐるみ魂に火がつくセイバー。
凛や桜、そして何故か藤ねぇまで加わって、女5人の壮絶な士郎争奪戦の幕が上がる――――?
次回、『人形狂想曲 〜ビバ! 転落人生〜 第二編』乞うご期待!!
……いや、嘘ですけどね。
あとがき
コンプしてから一月ほど。やっとFateSS完成です♪
って……一本目がコレかい(涙
いや、本当はちゃんと、セイバーSSで真面目なのを書いていたのですが、途中でいきなり強制終了。さらに再起動してみたらファイルが壊れてた……という始末でして。
どなたか、壊れたファイルの修復、あるいは一部だけでも取り出せる方法を知っていたら、教えてください(涙
次は桜SSになりそうです。士郎とラブラブバカップルなお話です。
……あいかわらず、何時になるかは不明ですけど。
でわでわ、次の作品でお会いしましょう〜♪