レンは夢を見ない。
 使い魔とはそもそも《自己》を持たないものであり、また、夢魔であるレンは他者の夢の中に生きるものである。
 故に、レンは夢を見ない。
 夢、と呼ばれる現象自体がないわけではない。
 しかしそれは、過去の記録に過ぎない。
 多少レンなりの解釈が為されているが、それは限りなく史実に近い形で、体験した事実のみを再生する。
 人間のような、創作は行われない。
 
 レンの眠りの中で再生される映像は、多くの場合があの魔術師の姿だった。
 黄金色の平原。
 茜の空。
 どこまでも続くような、静寂と、孤独。
 その中で、魔術師はただ其処に在り、そしてレンもまた、ただ其処に在るだけだった。
 魔術師も、レンも、夢を見なかった。

 しかし、今。
 時は流れ、レンは新たなマスターを得た。
 一人の、魔術師ではない人間。
 マスターは、良く夢を見た。
 それは時に温かい夢であり、時に残酷な悪夢であり、時に歳相応の艶夢であったりした。
 様々な形。
 無数の色。
 多彩な風景。
 そこに現われる映像は、
 安らかで、
 悲しくて、
 温かくて、
 冷たくて、
 優しくて、
 切なくて、
 そして綺麗だった。

 だからレンは、思った。
 自分もまた、夢を見てみたい、と。
 作り出した夢ではなく。
 体験した事実ではなく。
 自由で、そして美しい夢を。
 見てみたいと、思った。










『レンの夢』










「ハ……?」
 元マスターであるアルクェイド(様付けはもうしない。マスターじゃないから)は、品性のかけらも無い馬鹿っ面で首をかしげた。
 育ちが悪いせいなのだろうか?
 少し同情する。
「どうすれば夢を見れるのか?」
 質問を質問で返すのは馬鹿の証拠だ。
 きっとあの巨大な頭蓋の中にはプリンでも詰まっているのだろう。
 もしくは、蒟蒻。しかも作るのを失敗して、トロトロになってるやつ。
 元マスターの低すぎる知能指数に辟易しながらも、仕方なく私はコクンと頷いた。
「夢魔のあんたが、何言ってるのよ……」
 夢魔だから困っているのだ。
 そんな事も分からないのだろうか?
 いや、脳みそがプリンの生命体に一体何を期待する。
 私はこの時点で、元マスターを相談相手に選んだ事を後悔していた。
 このアーパーに解決できるような問題なら、すでに自分で解決できているはずなのだ。
 私は諦めてさっさと帰ることにした。
 あんまりここに長居したくない。
 長く居ると、馬鹿がうつってしまいそうだったし、何か怪しげな病原菌でも住まわせているのか、先ほどから身体が痒くて仕方が無かった。
 礼節を重んじる私は、脳タリンな元マスターに「あばよっ」と、彼女にも分かるレベルに落とした挨拶をして、身体を翻した。
「あ、ちょっと待ちなさいよ。何もそんなすぐ帰ろうとすることないじゃない」
 いや、もう貴女には用なんてないから。
 さっさと帰らせて欲しい。
「要するに、記録としての夢じゃなくて、希望としての夢を見たいって事でしょう?」
 …………。
 どうなのだろう?
 希望としての夢、と言われると少し違うような気がする。
 私が望んでいるのは、あくまで寝ている状態で見る夢のことだから。
 でも、確かに寝ている状態で見る夢も、ある意味では希望なのだ。
 夢魔であり、淫魔である私は、多くの場合対象の希望する淫夢を見せる。
 夢魔の中には例外的に、悪夢を見せるものもあるらしいが、私の場合、そういう経験は一度も無かった。
 しかし、悪夢だとしても、それは希望だ。
 悪夢を見るということは、過去の恐怖や苦しみ、悲しみを忘れないための行為であって、対象はそれを望んでいる。
 マスターも……。
 悪夢を見ることで、自分の中の後悔を保管している。
 それを、忘れないために。
 忘れたくない、忘れてはいけないという希望が、悪夢となる。
「だったらまず、レンの希望が何なのか、考えないとね」
 なるほど……。
 アーパーにしては良いこと言った。
 ご褒美に(後で)肉球を三十秒間だけ触らせてあげることにしよう。
「レンの希望って、何なの?」
 私の希望……。
 望むもの……。

 それは――――――――
  
        ――――――――なんだろう?

「ハテ?」と、私は首をかしげた。
 私の望みとは、何なのだろう?
 もちろん、現在の第一優先事項は、マスターの為に在ることだ。
 マスターの傍に居て、マスターの指示に従う。
 それが私の行動原理。

 でも…… 

 それは、私の希望ではない?
 それは、使い魔としての本能。
 その為に創られた生命だから。
 その為に在るのは当然のこと。
「あ〜、やっぱりね。レンは使い魔なんだからさ、自分の希望って持ってなくて当たり前よ。基本的に使い魔は魔術師の身体の一部。目であり、手であるだけで、脳じゃないんだから。妖精なんかならともかく、自意識なんて持ってないわけよ。特にレンなんて元が猫なんだからさぁ」
 あ、今猫を馬鹿にしましたね?
 呪ってやる。
 猫に九生有り。猫は執念深いから、恨みも強いですよ?
「まぁ、私だってさ、つい最近までまともな希望なんて持ってなかったんだし。レンがそれを持ってなくても、仕方ないよね〜」
 アーパーと一緒にされるなんて!?
 酷い……酷すぎる。
 こんな屈辱を受けたのは、初めてだ。
 ……いや、しかし。
 言い換えれば、これは全てこの致死レベルの大馬鹿の責任なわけだ。 
 仮とはいえマスターが馬鹿だから、本来聡明な私まで影響を受けてしまう。
 なんて、酷い。
 これは雇用関係を背景にした暴虐だ。
 セクシャルハラスメントだ。
 訴えてやる!
「なぁに恨めしそうな顔してるのよ。大丈夫。ちゃんと私が何とかしてあげるってば。私だってさ、今はもう夢を見るようになったんだよ? ずっとずっと夢を見なかった私が、志貴のこと夢に見て眠るようになったんだよ?」
 馬鹿の見本市みたいな貴女に夢に見られるマスターが可哀想です。
 しかし、このアルティメット馬鹿は、いまだにマスターに恋慕を抱いているのだろうか?
 だとしたら、本当に救いようが無い。
 マスターは最早、私の華奢で凹凸の少ないロリィな肉体の虜なのに。
 もともと、貴女みたいに無駄に脂肪の溜まった肉体は、マスターの好みじゃないんです。
 何その身体。将来の進路は「ラード」?
 何その胸。祖先は乳牛?
 実は吸血鬼じゃなくて、吸血牛なんじゃないだろうか?
 もしかして、反芻とかしてる?
 私は、その余りに哀れな想像に、クスッと笑ってしまった。
「何? 今度は笑うわけ? 怒ったり笑ったり……前々からそうだったけど、ホント、あんたって良くわかんない子だわ」
 馬鹿の国際A級ライセンス持ちの貴女に、分かってもらわなくったって構わないだけのことです。
 って、いい加減話を元に戻さなければ。
 もう身体が限界に来ている。
 痒い……とっても痒い。
 帰ったら、マスターにやらしく優しくブラッシングしてもらわなきゃ。
「とにかくさ。まずはレンの希望を見つけないと。レンは何を望むの? 何を求めるの? 欲しいものが無い者に、夢を見ることなんてできないわよ?」
 欲しいもの……。
 私の、欲しいもの……。
 それはなんだろう?
 それは何処にあるのだろう?
 使い魔としてではなく。
 夢魔としてでも無く。
 一個の生命体として。
 私が求めるものとは、何なのだろうか?



◇◆◇◆◇




 元マスターに「死ね!」と極限までレベルを下げた別れの挨拶をして退出した後、私はマスターの家にまで戻ってきていた。
 今、マスターはここには居ない。
 この時間は学校という場所に居るはずだった。
 学校という場所がどういう場所か、どこぞのお馬鹿チャンピオンならともかく、聡明な私は理解しているので、邪魔をしに行ったりはしない。
 仕方なく、私はマスターが帰ってくるまで、庭で日向ぼっこをすることにした。
 ポカポカと、心地良い太陽の光。
 暑過ぎない程度のこのぬくもりは、本当に気持ち良い。
 はしたないと分かっていながらも、ついつい欠伸が出てしまう。
 私はそこで身体を丸め、そして考える。
 自分の希望。
 自分の求めるもの。
 それは何なのだろう?
 かつて、私には「自分」というものが無かった。
 使い魔として生まれた私は、私でありながら私ではなかった。
 私はあの老いた魔術師、その一部だった。

 しかし……。

 考えてみる。
 そもそも、その感覚があること自体が、私が普通の……使役されるだけの使い魔では無いことを意味しているのではないだろうか。
 私の中には、「私」という感覚があった。
 それは曖昧で、実感の薄いものだったけれど。
 私という一人称を得ていること自体が、私が「私」であることを意味している。
 それは「自分」ではなかったけれど、間違いなく私であったのだろう。
 
 では……。

 どうして、私には「私」の求めるものが無いのか。
 私には、どうしてその意思がなかったのか。
 それは酷くオカシイ。
 矛盾している。
 私は「私」を持ちながら、「私」という形を作る希望を持たなかった。
 私は「私」の夢を知らず、ただ延々と続く金色の世界に在るだけだった。
 在るのに、形が無い。
 否。
 型がない。
 全ての生命は目的を持つ。
 目的を持って、それを型とする。
 「自分」という型となる。
 それが私には無かったのだ。
 そこに、矛盾が無かったのだ。

 どうして……。

 矛盾ではなかった。
 生命として、型を持たずに在り得たのか。
 そも、生命ではなかったのか。
 使い魔である私は、一個の生命としては存在していなかったのだろうか?
 それも矛盾する。
 生命でないのなら、私などという一人称を持ち得なかったはずなのだから。
 魔術師がそれを望まなかったからなのだろうか?
 それは、考えうる。
 魔術師に望みは無かった。
 枯れ果てた古木のような魔術師は、ただそこに在るだけで、そこに希望は一欠けらも無かった。
 何も求めず。
 壊れてゆく時間を、壊れてゆくままに。
 金色の世界で。
 一人と、一匹。
 それは限りなく永遠に近い。

 永遠に……?

 私は、気づいた。
 どうして永遠は崩れてしまったのだろう?
 その永遠は、ずっと続いていくはずだった。
 魔術師は永遠に、そう在り続けるはずだった。
 なのに、どうして永遠は崩れてしまった?
 永遠なんて、ただの幻想だったのだろうか――――

 ――――幻想?

 ――――それは、

 ――――夢?

 そこで、私の意識は、消えた。



◇◆◇◆◇




 視界いっぱいに広がる金色。
 空は茜。
 どこまでいっても、続く。
 世界の果てまで。
 その景色に終わりは無く。
 永遠に続く。
 無限。
 だけど、有限。
 有限。
 だけど、無限。
 終わりがあるのだと気づかないだけ?
 違う。
 例えば、0と1の距離。
 それは微小。
 だけど膨大。
 観測者によって異なる距離。
 定義によって全ての距離は決まる。
 故に。
 定義しなければ全ては無限。
 定義する事を求めなければ……、
 定義する「自分」が居なければ、
 無限に広がる。
 有限の中にある無限。
 終わりの無い、世界。
 その世界の中で。

「――――」

 最初に、声が。

「――――」

 次に、温もりが。

 産まれ――――

    ――――そして、終わった。



◇◆◇◆◇




 私は……ゆっくりと瞼を開けた。
 急激に入ってくる紅い光に、瞳孔をしぼめる。
 しだいに明瞭になっていく視界に、私は、私に触れる誰かを捉えた。
 誰……?
 大きな、黒い影。
 怖さは無い。
 ただ、切なくなるほど心地良い温もり。
 それは、記録された記憶の中にある、温もり。
「レン……」
 優しい声。
 私を呼ぶ声。
「寝てたの?」
 それは、マスターの声。
 私の意識は、そこで一気に覚醒した。
 マスターは私の頭をその大きな手で優しく撫でながら、こちらをのぞきこんでいた。
 優しい瞳。
 私を見つめる、瞳。
 それで……。
 私は、分かってしまった。
 全てを。
 矛盾しなかった理由。
 私の中の「自分」が形作られた瞬間。
 永遠が壊れてしまった原因。
 それは……。
 この温もりなのだと。

 私は、生まれてから、ずっとその温もりを知らなかった。
 誰にも触れられることはなかった。
 金色の平原には、魔術師しかなく、その魔術師は決して自分には触れなかった。
 私もまた、魔術師に触れなかった。
 だから……。
 私には、「他人」がなかったのだ。
 「他人」という型を知らない私は、それ故に「自分」という型を持たなかったのだ。
 必要なかったから。
 世界はそこで完結していた。
 世界は、本当に永遠だった。
 なぜなら、誰も……どこにも、観測する「自分」が居なかったのだから。

 しかし、最後に。
 私は、触れられた。
 魔術師が、私を撫でた。
 最初で、最後の温もり。
 その瞬間、私の中で「他人」が生まれ、そして「自分」が形作られた。
 
 そして……。
 故に。
 永遠は崩れた。
 お互いに触れ合わないことで、「自分」を滅却することによって生み出されていた永遠は、最後にお互いが触れ合うことで壊れてしまった。
 それが、永遠こそが、魔術師の望みであったはずなのに。
 それを破壊してまで、魔術師は……。
「なんだ、ずいぶんボーっとしてるな。夢でも見てた?」
 夢?
 私は、夢を見ていた?
 違う。
 私は夢なんて見ていない。
 だって……これは記録でしかないから。
「悲しい夢だったのかな? うん。表情で分かるわけじゃないけど、なんとなくそんな感じがする」
 悲しい……?
 違う。
 ただ……。
 切ない。
 永遠を望んだ魔術師は、最後の最後にそれを壊してまで、私に触れた。
 それが切なかった。
 どうしてそんな事をしたのだろう?
 永遠で在ろうとした幻想を、どうして捨ててしまったのだろう?

 不意に、私の身体が持ち上げられた。
 そして、マスターの腕の中に納まる。
 身体全体から伝わってくる温もり。
 あぁ……そうか。
 きっと。
 魔術師は。
 最後の最後に求めたのだろう。
 永遠よりも、この温もりを。
 そして恐らく、私も。
 触れる事を、
 触れられる事を、
 求めたのだ。
 型を作り、殻を超え、
 矛盾を生み出し、永遠を終わらせ、
 幻想を還し、夢を見つけた。
 その魔術師は。
 空っぽだった魔術師は。
 最後に、夢に眠ったのだ……。

 そして同時に。
 私という「自分」が生まれ。
「レン……?」
 最初に、声が。
「どうしたの?」
 次に、温もりが。
 私に降り注いだ。
 太陽の光のように。
 それこそが、魔術師と、そして私が求めるものだった。



◇◆◇◆◇




 そして、レンは、夢を見つけた。
 眠るたびに見るその夢は、
 安らかで、
 悲しくて、
 温かくて、
 冷たくて、
 優しくて、
 切なくて、
 そして綺麗だった。
 
 

-了-









 オマケ:『レンの朝』


「レン……」
 チュンチュンという小鳥のさえずりが聞こえてくる。
 清清しい空気が、窓から吹き込んでくる。
 私はマスターと同じベッドでそんな心地良い時間を怠惰にすごしていた。
「もう朝だよ?」
 言いながら、マスターの指先が、私の気持ち良いところをくすぐる。
 思わず、身もだえしてしまう。
 あぁ、ダメですマスター。
 朝からだなんて。
 こういうことは、暗くなってから……。
 じゃないと恥ずかしいですっ。
「フフ……気持ち良い?」
 そんなっ!?
 言わせたいんですね?
 羞恥プレイなんですね?
 えぇ。えぇ……。
 マスターが望むのなら、恥ずかしいですけど我慢します。
 どんなプレイだって。
 縛ったりするプレイでも、ちょっと痛かったりするプレイでも、ホントはそういう事に使わないはずの穴を使ったプレイだって!

 ガチャ

「志貴様、おはようございます」
「あ、おはよう。翡翠」
 あぁ、そこは!
 そこはダメです!
 そんなところ触られちゃうと、私……私……っ。
「お着替え、お持ちしました」
「うん。ありがと」
 ふぃぃぃんっ!
 酷いです……マスター。
 そんな風に弄られたら、声が出ちゃいます。
 それとも、声が聞きたいんですか?
 レンの可愛い声を聞かせて、っていう感じなんですか?
「お食事の準備はできていますので」
「うん。着替えたらすぐに行くよ」
 もう……。
 もうダメです、マスター。
 私……もう……っ。
「……ところで、さっきから何をなさっているのですか?」
「何って……レンの咽を撫でてるんだけど?」
 やぁん、ますたぁ〜〜〜〜。



-終わっとけ-







 あとがき



 本作品は、雨音には珍しく書き始めてから三時間少々で書きあがった作品だったりします。
 いや、ホント。めちゃくちゃ速いペースなんですよ?
 普通は一週間は掛かります(遅すぎだ

 しかし、そのせいか良く分からないSSになってしまいました。
 前半部と後半部で温度差ありすぎ!
 どっちかにせぇよ、とツッコミが聞こえそうです。
 最近はホントに、ギャグ一辺倒な作品が書けなくなって来て……。
 なんとかしなきゃと思っているんですけど、なかなかどうしようもないんですよねぇ……。
 いや……やってやれないことはないでしょうけど……。
 ネタはともかく、オチがねぇ……。
 シリアスじゃないと落とせない人間になってしまったみたいです(涙
 
 ついでに……。
 空の境界を読んでないと分かりづらいと思うので一応解説しておきますと、レンの言っている「私」とは脳……知性であり人格の事です。
 で、「自分」とは肉体の事です。
 ……あれ? 説明になってない?(そういう人は空の境界を読んでください

 あと。
 アルクェイドファンの方、レンちゃんがかなり酷い事を散々言ってたりしますが、なにぶん猫の言ってることなので、大目に見てあげてください!!(ぉ