『両儀式、眼鏡をかける?』
始まりは、些細な一言。
「式……眼、悪くなったんじゃない?」
そう僕――黒桐幹也が言った瞬間の式の反応はと言うと、なんだか荒唐無稽な夢物語を聞かされたかのような、ボンヤリとしたものだった。
「あ、あぁ」なんて良く分かっていない風に返事をしたものの、式はその後何も続けず、こちらを見つめてくる。
ここはいつもの式のアパートではなく、僕の家の方だ。つい三十分ほど前まで眠っていた彼女は、起きた今も特に何をするわけでもなくベッドに腰掛けて、ノンビリと付けっぱなしにしているテレビを眺めていた。
そんな彼女に声をかけたのだが……。
ベッドの上にちょこんと座りながら、そんな白痴のように幼い表情で見つめられると、何だかすごく困ってしまう。いや、別に困る理由なんてないのだ。それは分かっている。別に何か害があるわけではないし、むしろ喜ぶべきだ。普段厳しい式がそんな顔をするなんて、滅多に見られるものじゃないのだから。
「……幹也、お前何か言わなかったか?」
「何かって?」
「さっき。何か……悪くなったとか……」
「あぁ。眼が悪くなったんじゃないかって言ったんだよ。君、さっきから何度も目を細めてただろ? テレビまでそんなに距離ないのに、そんな事するなんて……近視なんじゃないかなぁって思って……って、式?」
僕の言葉が終わるのを待つまでもなく、式の顔が徐々に険しいものへと変わっていく。
なんだか凄く恐ろしい気分で式に問いかけると、彼女はクワッと心臓に良くない勢いで激昂した。
「そんな事あるはずない!!」
「え……でも……」
「両儀は眼なんて悪くならないんだ!」
「い、いや。いくら君の実家がちょっと常識から外れてるからって、そんなことまで関係しないだろう」
っていうか、そこまで自分の娘の身体を改造していたとしたら、ちょっと嫌だなぁ。
話してたら、すごく良い人たちなんだけど。
「じゃあ、これを読める?」
言って、手近にあった雑誌を持ち上げページをめくり、小さな記事を指差す。文字の大きさは1センチほどだが、見出しはそれよりも大きく太文字で書かれているため、みやすいはずだ。この距離ならちょっと大きいくらいかもしれない。
式は不満げながら素直に言われたとおり僕の指差す部分をジッと見つめる。
ジッと、ジッと……見つめる。
あ、何かプルプルしてきた。
眼を細めてみたり、何度も擦ってみたりしているけれど、一向に式の口から言葉は出てこない。
あ、こめかみに綺麗な怒りマーク発見。
そろそろかなー、なんて考えていたら案の定、式は上着のポケットからナイフを取り出し、あっさりと雑誌に突き刺してしまった。
「あーあ……」
どういう理屈なのか詳しくは聞いていないけれど、雑誌は出来損ないの豆腐みたいにボロボロと崩れ落ちていってしまった。
まぁ、もう読み終わった奴なのだからかまわないといえばかまわないのだけど、これでは古紙回収に出せなくなってしまった。
ここはやはりしっかりと現代の資源危機とリサイクルの大切さを訴えなければ、と式を見ると、ツーンと音が聞こえてきそうなくらいそっぽを向いている。
子供みたいなその仕草に笑い出してしまいそうになるけれど、ここで本当に笑ったりなんてしたら、笑えない結末が待っているだろうから我慢することにした。
「ほら。やっぱりダメじゃないか。やっぱり眼鏡は必要だよ」
「要らない。……邪魔だろ、眼鏡って」
「まぁ、確かに邪魔になることもあるけれどね。でも式、そのままじゃ不便だろ?」
「別に」
式の答えはあくまでそっけない。
ふむ……そこまで眼鏡って嫌なものだろうか。
確かに眼鏡は邪魔になる。慣れてしまえばかけていることを忘れてしまうくらいに気にならなくなるとは言っても、運動するときには邪魔になるし、ずっとかけてると鼻がこるし、嫌がらせにレンズに指紋を押し付けられるし、気温の関係でいきなり曇ったりするし、しかもそれが端から見たらすごく間抜けだし……。
そう考えると、確かにデメリットは多い。
だけど視力が悪いままにしておくデメリットに比べれば些細なことだ。
「でもね、式――――」
「いい。お前の一般論なんか聞きたくない。それより、ほら、そろそろ時間だろ。遅刻なんてしたらまた橙子になに言われるか分かったもんじゃないぞ」
「む……」
なんだか露骨な話のそらし方が気になったけれど、式の言うことはもっともだった。
遅刻しようがしまいが橙子さんはお構いなしに僕と式をからかってくるけれど、それでも遅刻した場合のほうがその内容が危険になるのは確かだから。
僕は立ち上がり、うなずいた。
「分かったよ。それにどの道お給料を貰わないことには買えないんだしね」
僕の言葉に、式は当然のごとく無反応だった。
扉を開けて事務所の中に入る。朝だというのにどこか薄暗く、閑散としているその場所で、この事務所の主である橙子さんはノンビリと煙草をふかしていた。
「おはようございます、橙子さん」
「おはよう。なんだ、今日も朝から式と一緒か」
くっ。相変わらず顔を合わせた瞬間にからかいの声が飛んできた。
予測できていたことだし、当然覚悟もしていたのだけど、それでも何故だかひるんでしまう。
式は慣れているのか、「橙子の声なんて聞いたことのない外国の民謡みたいなものだ。意味を気にするだけ無駄」と言わんばかりに無視しているっていうのに。
そんな両対極な反応が楽しいのか、橙子さんのその眼鏡の奥の瞳は笑っている。
僕はそれに何とか耐えながら、彼女のデスクの傍まで行く。
「橙子さん。早速ですけどお給料ください」
「なんだ? 朝一番に金の催促だなんて。確かに今日は給料日だが、それにしたって。黒桐、お前はいつからそんな金の亡者になったんだ?」
「何度も給料日に金策に走る生活を送っていれば、誰だってそうなります」
出来るだけ厳しい目つきで橙子さんを睨みつける。
お馴染みのソファーに座りながら式が「変なカオ」とポツリと呟いていたのは、聞こえなかったことにしよう。
「まったく。私がそんなに信用ならないか? 黒桐」
ブツブツと文句を言いながら、橙子さんはデスクの引き出しから茶封筒を取り出し、こちらの放ってくれた。受け取ると、確かな重み。
「ありがとうございます」
どうやらこれで、今月は鮮花にまでお金を借りるという無様は晒さなくて済みそうだ。
「さて。無事にお給料も入ったことだし……式、帰りに買いに行こうね。プレゼントするよ」
「幹也。その話はいい」
見ているだけで切られてしまいそうな鋭い眼で睨みつけてくる式。
だけど僕としてもこのまま放っておくわけにはいかない。なんとか説得できないものかと口を開こうとした……けれど、それよりも早く橙子さんが口を挟んできた。
「なんだ、こんな時期にプレゼントとは珍しい。黒桐、いったい何をたくらんでいるんだ?」
「たくらむ、なんて言い方止めてくださいよ。人聞きが悪い。純粋に式のためを思ってのものです」
「へぇ。それはまた……。それで、何を買うんだ?」
「幹也……」
「眼鏡です」
「何?」
橙子さんが何を言っているのか分からないという風に首をかしげる。ソファーでは式が「ム〜」という顔をしているが、それよりも橙子さんのその表情のほうがレアだ。
「橙子さん? どうかしたんですか?」
「あぁ、いや。なんでもない。そうか、眼鏡か。……眼鏡ならあるぞ」
「え?」
「以前造った物がある。もっとも、普通の眼鏡じゃないがね。式の眼は特別製だからな、それに合わせた眼鏡だ」
「へぇ、橙子さんって眼鏡も造れるんですか?」
こと、物造りに関しては橙子さんの技能は絶対の信頼がおける。そんな橙子さんの造った眼鏡があるのなら、わざわざ買いに行く必要はないかもしれない。……普通じゃない、という部分が少し引っかかったけれど。
「でも、それ何時の話ですか? 度が合わないかもしれません」
「それくらいならすぐに出来るぞ」
望遠機能とかレーダー機能を付けろと言われたら時間がかかるがな、なんて橙子さんが恐ろしいことを言う。あんまり式に変なものを与えないでほしい。
「だが……」
と橙子さんは不意に何かを思い出したようにクックッと声を殺して笑い出した。
「そうか、式。お前、やはり眼鏡をかけることになったのか」
「橙子、うるさい」
何かひどく楽しげに笑う橙子さんに対し、絶対零度の視線を向ける式。
対照的な二人の姿に首をかしげる。
「……えと? 橙子さん、どうかしたんですか?」
「いや、別に」
橙子さんは肩をすくめながら式に視線を向けて、「なぁ?」と首をかしげた。
ガタンと式が立ち上がる。ポケットからナイフまで取り出して、完全に臨戦態勢だ。
それだけで逃げ出したくなる僕とは違って、橙子さんは余裕綽々の微笑だ。それがまた式の怒りを加速させているのだと……うん、わかっててやってるんだろなぁ、やっぱり。
なんだかうんざりとした気分でそんな二人を眺めながら、僕はどうやって橙子さんに沈黙を保ってもらおうかと真剣に考え始めた。
と、そこで軋むような事務所のドアの開く音が聞こえてきた。
この事務所には用がある人以外近寄ってこないという不思議な魔法がかけられているらしく、滅多に人がやってくることはない。
ここに当たり前のようにやってくるのは橙子さんと僕と式、そして妹の鮮花だけだ。だからドアが開いた時点で、振り返らなくったって誰が来たかわかる。
「おはようございます」
案の定、入ってきた鮮花は、落ち着いた物腰でペコリと挨拶した。
長い髪がサラサラと揺れる。我が妹ながら、完璧にお嬢様然としていた。
しかしそんな物腰も、この場の雰囲気を見て硬直した。
「……どうかしたんですか?」
「うん。まぁ、ちょっとね……」
いつものことだよ、と視線で合図する。鮮花も心得たもので、呆れたように軽く息を吐くと、何事もなかったかのように平然と自分のデスク(別に就職してるわけでもないのに自分のデスクがあるのだ)に着いてしまった。
「それで、橙子さん。今回はいったい何を言ったんですか?」
「なんだ鮮花。どうしてそんなことを私に聞くんだ?」
「理由をあえて言わなければなりませんか?」
「…………」
鮮花の的確かつ非常に攻撃的な指摘に、さすがの橙子さんも何も言えない様子だった。
どうして僕の周りにはこうもサディスティックな女性ばかりあつまってくるのだろう?
「眼鏡だよ、鮮花。式、眼が悪くなっちゃったみたいでね。それで買いに行こうって話になったんだけど、何でか式が嫌がってるんだ」
「眼鏡……?」
何だか初めて日本語を聞いた外国人みたいに「何が言いたいのか分からない」という表情をする鮮花。
橙子さんといい鮮花といい、そんなに式が眼鏡をかけるのって意外だろうか。
……いや、確かに意外かもしれないけれど。
でも僕としては、すごく似合っているように思う。その意外性が逆に。
「眼鏡……式が眼鏡……」
とボンヤリと呟いていた鮮花だったが、僕と眼が合った瞬間、何かに気づいたようにハタとその動きを止めた。
そしてしばしの間の後、
「そんなのダメですっ!」
デスクをドゴンと叩き、いきなり怒鳴りだした。
「えっと……鮮花?」
「式、あなたに眼鏡なんて必要ありません」
「珍しいな、鮮花。お前と意見が合うなんて」
鮮花のあんまりといえばあんまりな発言に、式は別段怒った様子もなくうなずいた。
「いや、必要ないって……。鮮花、式は視力が落ちてるんだぞ? 眼鏡が必要ないわけないじゃないか」
「そういう事を言ってるんじゃありません。式には不要だと言っているんです」
「どうしてさ?」
「どうしてって……」
グッと言いよどむ鮮花は、答えの代わりに、何故だか知らないけれど「どうしてそんな事聞くんですか!」なんて今にも怒り出しそうな瞳で睨みつけてきた。
……なんで睨まれなければならないのだろう?
すごく納得がいかないのだけど……。
「鮮花?」
「そ、そんな……」
「そんな?」
「……に、兄さんとおそろいだなんて」
なんて、口の中でもごもごと言った。
「え……?」
いったい何が言いたいのかよく分からなかった。
だけどそれに式は過敏に反応していた。
「幹也と……おそろい……?」
すばやく僕に視線を向ける。
そして、ジッと――睨むのではなく呆然と見つめる、という感じで硬直してしまった。
ふむ……僕とおそろい、というのはつまり共に眼鏡をかけている、ということなのだろう。だけど、それは果たして鮮花が怒鳴りだしたり式が硬直してしまったりというほどのことなのだろうか?
眼鏡をかけている人なんて僕以外にも沢山居るし、そもそも、ここにいる橙子さんだってそうじゃないか。
なんて、橙子さんを見るとすごくイヤーな顔で笑っていた。
見なければ良かった。
目をあわすべきではなかった。
今更後悔するけれど、そんなのは本当に今更過ぎる。
最早橙子さんの興味は僕たちに照準されているのだから。
それから逃げるすべはない。
「そうだなぁ。眼鏡をかければ、黒桐と『おそろい』だなぁ、式」
「橙子さん!」
鮮花が吼える。
「不服か? なら鮮花もかけてみればいい」
「わ、私もですか?」
「あぁ。お前は魔眼持ちではないからレンズは伊達だが、それでも黒桐とは『おそろい』だぞ。なぁ? 黒桐?」
なんで僕に聞くんですか!
「それとも、式と直接対決することが恐ろしいか?」
「…………っ!?」
鮮花、撃沈。
まさに秒殺だった。
自身の享楽(もくてき)のために動き出した橙子さんは誰も止めるが出来ない。
最早抵抗する事も出来ずブツブツと音にならない声で何かを言っている鮮花を無視して、橙子さんの矛先は式へと向けられる。
「式」
「……断る。別に幹也と、その、『おそろい』だなんて……そんなの興味ない」
「まぁ聞け、式」橙子さんはくるりとこちらに背を向けながら言った。「私は別にそんな理由で言っているわけじゃない。お前の……お前らの将来のことを考えていっているんだ」
「橙子さん?」
珍しく真面目な口調の橙子さんに、式まで驚いたような顔をしている。
「別に常にかけている必要はない。しかし、式。お前の眼は特別製だからな。魔眼そのものは視力に左右されるなんてことはないが、だからこそ余計に浮き彫りにされてしまうぞ」
「それは……」
「確かにお前なら耐えられるかもしれんが、しかし――――」
そして、橙子さんはゆっくりと振り返り、式を見た。
「今後その能力を使う気がないなら、魔眼殺しはあっても邪魔ではないはずだぞ?」
「…………」
確かに、式にはもう危ないことをしてほしくないし、式もまた、普通に生きていくことを望んでいるのだから。殺したり、殺されたりとか、そういう世界じゃない場所で生きていくのなら、魔眼なんて危ういものはもう必要ない。
式の眼は、もっと別の、温かいものを見るためにあるのだから。
橙子さんの言葉は確かに説得力を持っていた。
ただし――――振り返ったその顔が半笑いじゃなければ。
「…………」
無言のまま橙子さんに襲い掛かろうとする式を、僕は決死の覚悟で取り押さえていた。
手負いの熊みたいに暴れまわる式を何とか捕縛し、なんとか落ち着かせ、さらに熱心に説得すること1時間。
とりあえずかけてみるだけかけてみよう、というところでやっと式は折れてくれた。
事務所の奥へと消えていく橙子さんと式。それに当然のようについていく鮮花。
なら僕も……と後を追おうとしたら、
「ついてきたら、許さない」
なんて酷い脅迫をされてしまい、仕方なくその場で待たされることになった。
別に眼鏡をかけるくらいで……。
手持ち無沙汰になったので、奥に閉じこもってしまった式の姿を想像してみる。もちろん眼鏡をかけた姿だ。
鮮花は「おそろい」なんて言っていたけれど、確かにそれもなかなか良いかもしれない。式の着物姿に似合わなかったらそれまでだけど、もし似合うのなら僕と同じタイプのフレームに作り直してもらうのもいいかもしれない。橙子さんにはさんざんからかわれるだろうけれど。
と、そんな事を考えていると、
「すばらしい!」
部屋の奥から興奮した橙子さんの声が聞こえてきた。
しかも、それとほぼ同時に、ガタゴトという野獣が暴れているかのような音までも。
いったい何が――――と慌てて駆け寄ろうとして、しかし僕はすぐに自分の反射神経の鈍さに感謝することになる。
ガタンとものすごい音をたてて爆ぜるように扉が開いたのだ。もしもう少し早く近づいていたら、顔面を強打していたことだろう。
背中につめたい汗を感じつつ嫌な想像をしていると、中から式が飛び出してきた。
「あれ? 式、眼鏡は……?」
「…………」
式は無言のまま、眼鏡をかけていない瞳でただ何か言いたげに僕をにらみつけ、だけど結局何も言わずそのまま事務所からも飛び出していってしまった。
「……橙子さん、何があったんですか?」
上の蝶番が破損してしまい斜めになっている扉の奥へ視線を向ける。
するとそこには、この世にこれ以上面白いことなど無いと言わんばかりに楽しそうな橙子さんと、その横で唇をかみ締めながら何かに打ちひしがれている鮮花の姿があった。
「……いや、本当に何があったの?」
たかだか眼鏡をかけるというだけのことで、一人は怒って飛び出し、一人は楽しそうに笑い、一人は打ちひしがれている。
この密室の中で何が起こったのかは、どんな名探偵だって分かりそうになかった。
仕事を終えて家に帰ってみると、そこには式がいた。
「ただいま」
「…………」
ベッドの上に座っている式は無言でこちらに眼も向けないけれど、どうやら怒りのほうは収まっているらしい。最近は背中を見ているだけでも彼女が怒っているかどうかが分かる。
しかし、あれだけ勢いよく飛び出したわりに、ちゃんと僕の家に戻ってくるあたり何とも彼女らしい。ウサギに帰巣本能があったかどうかは思い出せないけれど、なんだか少し可笑しかった。
「式、夕飯はどうする?」
無言。
「コンビニでいろいろ買ってきたんだけど」
無言。
「ほら、式が好きなストロベリーアイスもあるよ」
無言。
無言。
無言。
……徹底的な無言っぷりだ。
ここまでくるとむしろある種の美学すら感じる。
「結局、眼鏡買えなかったね」
そう言った瞬間、ピクリと肩が小さく揺れた。
どうやら今後、この話題は式に対する禁句のひとつになりそうだ。
「まぁ、そんなに式が嫌がるんなら強制はしないよ。でも、ちょっと残念だな。式の眼鏡をかけた姿、ちょっと見てみたかったのに」
それは、別にお世辞でもなんでもなく本音だった。
実際に日常的にかけるかけないは別にして、その姿を見てみたかったのだ。
だけどこうなってしまったら、もうそれは望めないだろう。この前の――礼園の制服のときのように見る機会はなくなってしまった。
それを残念に思い、小さくため息をつくと……何時の間に式がまっすぐにこちらを見つめてきていることに気がついた。
「式?」
「俺は……」
なんだか酷くふてくされた表情。怒っているはずなのに自分自身だって何で怒っているのか分かっていない、そんな表情の式は、そのままゆっくりとベッドから身を乗り出してきた。それは幽鬼じみていて少し怖い。そんな式に僕は呆然とする。
「俺は……」
言いながら、式は僕の顔に手を伸ばす。その白くしなやかな指にどんな不思議な力がこめられているのか、僕はそれを避けることも止めることもできない。
式は硬直している僕の眼鏡のつるをつかむと、あっさりとそれを奪い取ってしまった。
そして、
「これで良い」
なんて言って、僕の眼鏡をしっかりと握り締めて、そのまま返さないとばかりに反対を向いてしまった。
「……え?」
呆然と――今度こそ本当に呆然とする。
今、式は何を言ったんだろう? 彼女の言葉の意味が、上手く理解できない。
でも、普段かけている眼鏡が無くって、それは今式の手元にあって、たぶんどうやったって奪い返せないくらいにしっかりと握り締められている。
その事実が、ジワジワと実感に変わっていく。
「式?」
問いかけてみるけれど、式は反対を向いたまま、今度こそ全く反応を返してくれなかった。ただ、その代わりに。式の柔らかな髪の隙間から覗く可愛らしい耳が、真っ赤に染まっていた。
それを見て、僕はやっと式の言葉の意味を、そして自分が今、どうしようもなく笑い出しそうになっていることに気づいた。まったく、何てことだろう。式があんなことを言うだなんて。
僕はこみ上げてくる笑いを必死になって抑えながらうなずいた。
「うん。それは式に上げるよ。僕からのプレゼントだ」
ここ最近で式はすごく変わってきている。
きっと、もう本当に魔眼なんて必要のない日が、すぐ近くにまで来ているのだろう。
僕は――僕達は、その日のことを夢見ながら、こんな暖かい日々をゆっくりと過ごしていく。
fin
あとがき。
本作は講談社ノベルズの「空の境界」の初回限定版に付属していた「空の境界用語集」を見て書かれてSSです。
……といっても、あんまり特別なネタは使ってません。
というか、特に新情報といえるような情報はありませんでしたし。
ですが、「空の境界」熱を再発させてくれる小ネタはありました。
このSSにもある魔眼殺しとか、ストロベリーアイスとか。
式、可愛すぎ! 幹也、愚鈍すぎ!?
なので、ここは初心に帰って式のラブラブ話を書いてみた、というわけです。
……え? 何がラブラブなのか良く分からないって?
なんで出勤前の幹也宅に式が居たのか、それを考えてみてください(ぉ
でわでわ〜。