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『咎人の夢』 夢を見た。 最悪な夢だった。 とある峡谷を一人の少女が歩いている。 険しい峡谷だ。 谷の底は見えず、また、山の頂上も見えない。 いったいどれほど歩いたか・・・ 彼女は気づいた。 谷の底から声が聞こえている。 女の子の声だ。 助けて・・・ 助けて・・・ 泣いている。 彼女は女の子を助けるために谷底へ降りることにした。 そのことに疑問はなかった。 それはひどく当たり前のことで、疑問に思うことこそが疑問の対象だった。 だから、彼女は迷わずその岩肌に足をかけ、手をかけ、ゆっくりと降りていった。 ゆっくりと、ゆっくりと、慎重に降り続けた。 その間も女の子の声は続いていた。 彼女は焦る気持ちを抑え、降り続ける。 だが、深い深い闇の中に隠れた谷の底はいつまでたっても見えてこない。 それから・・・どれほどたったか。 十分?二十分?一時間? それとも、一日? 一ヶ月? 一年? やがて、爪ははがれ、指が折れ、皮膚が破け・・・ それでも、谷の底は見えず、しかし女の子の声は消えず、聞こえ続ける。 何処まで降りても、何時まで降りても、 救いを求める女の子の泣き声だけが聞こえるだけで、救いをさしのべる事もできない。 聞いてるだけで気が狂ってしまいそうになる泣き声を聞きながら、彼女はそれでも何もできない。 そう・・・彼女は・・・気づいてしまった・・・。 自分が何もできないのだ、と。 何もできない。 女の子を助けることは出来ないのだ。 なら・・・なぜがんばるのか? 助けられないと分かっているのに、なぜ、降り続ける? すでに肉体は限界に来ている。 このまま降り続けていたら・・・彼女はやがて力つきてしまうだろう。 もう、降り続ける必要なんか・・・これ以上がんばり続けることなんか・・・無いんじゃないのか・・・ 彼女は迷った。 彼女は疑問に思った。 そのとき、すでに終わっていた。 彼女は、結局谷を上り始めた。 いかないで。 女の子の声が徐々に小さくなっていく。 その声に追い立てられるように、彼女は急いで上った。 ごめんなさい、ごめんなさい、そう呟きながら。 不思議と・・・上り詰めるまで、降りてくるときほどの時間は掛からなかった。 そして、元の場所に戻ってきたとき・・・ 彼女は再び谷底を見た。 そこには・・・ 女の子の姿があった・・・。 10メートルほど下に、その女の子が・・・ ストールを巻いた女の子が、一人ぽつんと立って・・・そしてこちらを見ていた。 ・・・オネエチャン・・・ そこで・・・目が覚めた・・・。 目覚めは最悪だった。 そうとしか言いようがない。 内蔵が引っかき回されているかのような激しい嘔吐感が襲いかかってくるが、胃の中に入っているものがないので出しようがない状態。 寝汗に濡れた肌が寒く、がたがたと震えが来る。 ゴンゴンと脳を中心から揺さぶる頭痛もひどい。 じわじわと精神さえもむしばんでいく痛み。 あと幾度か同じ朝を迎えたならば、私の精神は壊れてしまうだろう。 (・・・いや、すでに壊れているか・・・) ベッドから半身を起こす。節々から痛みが脳へと伝達されてくる。 冷え切った部屋の中、何も身にまとっていない肌は驚くほど冷たかった。 横を見る。と、そこには見知った男の、私同様裸の身体があった。 子供のように身体を丸め、小さく震えながら眠っている。 (世間から見て、やはり私は狂ってるわよね) そう頭の中でつぶやいて・・・私はおかしくて笑った。 そんな当たり前のこと、分かり切ったこと。 それなのに私はそれを続けているじゃないか。 「フフフ、私って、最低の人間よねぇ・・・。ねぇ?相沢君」 その名を紡いで、また私の心の中で何かが崩れた。 親友のいとこ。 学校のクラスメート。 自らの妹が死ぬそのときまで愛し続けた男性。 その男が私のそばにいる。 運命ではない。 私が望んだことだ。 妹の死に耐えられなかった私の心が望んだ、温もり。 私は・・・この男と寝た。 妹が愛した男を。妹をいまだ愛している男を。 私は・・・まるでそれが当たり前だったかのように、その男を求めた。 それはまるで自傷行為にも似た・・・快感。 「そう、快感なのよ。自殺嗜好者の快感。だってそうでしょう?罰されない罪は、永遠に咎として人の心の中に残り続けるわ。あなたはそんなの耐えられる? 私は無理よ。すこしずつ、すこしずつ腐っていく心が見えるもの。砂でつくったお城が波に削られていくように徐々に死んでいく心を見続けなければならないのよ?そんな・・・残酷な・・・・」 だから求めた。 最低のクズという称号を。 もっと罵って欲しい。もっと汚い言葉で傷つけて欲しい。もっと呪いの言葉を聞かせてほしい。 でも、だれもそれを与えてくれない。 誰も私を傷つけてはくれない。 だれも・・・私を罰してくれない。 「だったら、自分で自分を罰するしかないでしょ?」 だから、選んだ。 妹の思い人を。 「ねぇ、相沢君。あなたは笑う?こんな私を笑う?それとも怒るのかしら?いえ、あるいは哀れむかしらね。 ねぇ、あなたならどうするの?あなたはどうするの?私を、どうしてくれる?私を罰してくれる?私を傷つけてくれる?私を・・・殺してくれる?」 知らず知らずのウチに、声を荒げていた。 やはり、私は愚かだ。 そんな事無理だと分かっていても、それでも声をかけてしまう。 この相沢祐一という男が、他人を罰する事が出来るような人間ではないことはよく分かっている。 わかってるわよ。そんなことは。 でも、出来ることなら、あなたに傷つけて欲しかった。誰にでも良いけど、できることならあなたに罰して欲しかったのよ・・・私は。 あなたなら、栞に愛されたあなたから与えられた罰なら、私は素直に死ねる。 他の誰でもない、あなたの言葉なら、素直に壊れる事が出来る。 「相沢君・・・私は、あなたに・・・」 こぼれることのない涙が、ながれた・・・ような気がした。 私は・・・泣くことも出来ず、ただその人の顔を眺め続けた。 やがて・・・ 「・・・ん・・・」 いつのまにか、隣にいた妹の恋人が目を覚ました。 死んだ魚のような、無気力で投げやりで、悲しみに満ちた・・・泣くだけ泣いてもう涙も出ない、といった瞳。 その冷たい瞳が宙空を見つめている。 「・・・目、醒めた?」 間の抜けた問いが、自然に口からこぼれた。 何の思慮もない、壊れた脳味噌から飛び出た飾り気のない言葉だった。 クラスメイトが聞いたならば、驚いたことだろう。他人から見た美坂香里という生徒は知的でいつも思慮深く、絶対にそんな間抜けた言葉は語らない。 だが、今更・・・今更、そんな知的な言葉で飾ってなんになる? そんな、他人からの評価を求める行為なんて要らない。私が欲しいのは・・・ 「夢を・・・見たよ」 「え?」 「夢。なんか・・・すげぇ・・・イタイユメ。 男がさ、峡谷を歩いてるんだ。谷はすごく深くて、底なんて見えないくらいに。そんな場所を男が歩いて行くんだ。 で、かなり歩いた頃、女の子の声が聞こえて男は立ち止まったんだ。「たすけて、たすけて」って・・・その声は谷底から聞こえてきてて、男は少しだけ悩んだ後、その谷を降りてみることにしたんだ。断崖絶壁って感じの谷をさ、ちょっとずつ降りて行くんだ。 でも、谷はすごくすごく深くて、何時までたっても底につかない。ずっとずっと、十分、二十分、一時間、一日、一ヶ月、一年・・・どれだけ降りてもその声の元にはいけないんだ。男は、いい加減疲れてきて、それで考えるんだ・・・」 「どうしてそんなにがんばってるんだ。って?」 「いいや。いっそ飛び降りちまえば早いんじゃないか。ってさ」 あぁ・・・あなたはそういう人よね。 バカみたい。飛び降りたら自分が死ぬかもしれないのに、それなのに・・・。 この男はそういう人間だ。自分が苦しむのを知っていても、誰かを助けるためにはためらわない。 そんな、とてもばかばかしくて、そして少しうらやましい性格。 「それで?その人は飛び降りたの?」 「ああ。飛び降りたよ。それが最前だと思ったから ・・・でも・・・男はバカだったんだ。崖から手を離して、飛び降りて、スピードがつき初めて、ぐんぐん落ちていって、そして、ついにその声の少女を見つけて・・・そして気がついたんだ。 その少女は谷の底にいたんじゃなくて、崖にひとつ飛び出た岩の上にいたことに 結果、男はその助けたかった少女に触れることもなく落ちて行くんだ。男は岩の上で泣き叫んでいる少女を見上げ、少女はバカみたいに落ちていく男を見下ろし・・・そして、それで二人の邂逅はお終い。男は深い谷の見えない底へ向かって永遠に落ち続けるんだ。「なんであともうちょっとがんばっていられなかったんだ」って後悔しながら」 そういって・・・この愚かな男は・・・泣きそうな顔で笑った。 その顔は・・・まるで鏡を見ているのかと思うほど・・・私と似ていた。 ・・・あぁ・・・ ・・・そうか・・・ ・・・あなたも・・・ トガビトナノデスネ この男は私と同じ。自分の罪を知ってる人。 諦めてしまったが故に救うことが出来なかった人。 「なぁ・・・バカだと笑うか?香里は・・・笑ってくれるかよ?」 「そうね。バカよ」 私たちは・・・バカよ。 何が罪を償うための罰よ。 結局・・・傷のなめあいじゃないか。 私は結局、自分のことしか考えてなかったんじゃないか。 この男に罰して欲しかったんじゃない。この男に自分の罪をなすりつけたかっただけじゃないか。 この男が、自分と同じ咎人だと・・・本能的に気づいていたから。 この男に自分の分の苦しみを押しつけて、救われた気分に浸りたかっただけなんだ。 「サイテイ・・・馬鹿みたいよ・・・」 自分はいったい何処まで偽善に浸れば気が済むのだろう? いったい、何時まで自分勝手な救いを求めて行くんだろう? 取り返しのつかないことをしてしまったんだ。 もう・・・すべてが終わってしまった。 癒されることなんて・・・有りはしないんだ。あってはならないんだ。 「馬鹿・・・」 涙が出ない。 イタイイタイイタイイタイイタイ なのに・・・涙が出ない。 いっそ死にたい。殺して欲しい。 彼なら・・・殺してくれるだろうか? ねぇ・・・あなたは・・・ 「あなたは・・・私を・・・殺・・・」 私は・・・死にたいの。 なのに・・・この男はそれを遮った。 「バカ・・・だよな」 ハッとした。 笑っているの? 彼の顔には・・・笑いはない。 なのに、そのとき・・・私は彼が笑っているのだと思った。 そして、それはきっと錯覚じゃない。 彼は私の懇願を遮り・・・そしてこう続けた。 「まだ終わってないのにな」 「・・・終わって・・・無い?」 その時 なにかが、聞こえた。 それはとてもとてもちいさな音で、何の音か分からなかった。 「まだ、終わっちゃいない。だってそうだろ?落ちてるんなら、それで良いじゃねぇか。底についたら、今度は、這い上がってこればいいだけのことなんだから。底がなかったら、地球の反対側まで行って、もう一回ぐるっと回ってこれば良いんだから」 光が・・・見えた。 さっきまで死んでいた彼の瞳の奥に、光が見えた。 それはとてもまぶしくて・・・ 私の心を締め付けた。 「たくさん時間が掛かって、もうその少女は救えないかもしれないけどさ。取り返しのつかないことをしてしまって、もう元の状態になんか戻せないかもしれないけどさ」 音が聞こえた。 さっきよりも大きく。 それは心の奥底で響いた。 「やり直しのきかないさ。なくした物の替わりなんてありはしないさ。この世界には奇跡なんか起きないさ。でも・・・だからどうだって言うんだ?」 音が聞こえた。 心が・・・ギリギリと・・・悲鳴を上げる。 それは・・・ひどく痛くて。 でも、暖かかった。 だってそれは・・・ 決別だから。 失った部分は返ってこないけど、残った部分でも生きるには事足りる。 腐りかけた心が、腐った部分を切り離していく。 「そう、だからどうだって言うんだよ。大切なモノをなくしたって・・・それで世界が終わるワケじゃあない」 光が見えた。 彼の瞳の中に・・・ でも・・・それは・・・だれの・・・ ダレノヒカリナノカ? 彼の瞳・・・その中に映っているのは・・・だれの・・・瞳か? 「なにも終わっちゃいないんだ。そうさ、悲しみは消えない。痛みも消えない。なくした物の絶望は何時までも何時までも心の中に残り続ける。でも・・・バカみたいに後悔する必要が何処にある?後悔ってのは終わったときにするモンだ。まだ、なにも終わっちゃいないんだぜ。まだ・・・まだ・・・底にも、地球の裏側にもつかないけど、でも、それでも・・・」 音が聞こえた。 光が見えた。 「次はもっと上手く助けてみせるって、信じられるさ」 そしてすべてが 動き出した。 夢を見た。 最悪な夢だった。 いつもとおなじ、峡谷で少女を救えない・・・そういった夢。 彼女は元いた位置で、下にいる少女の顔を見つめる。 少女の・・・栞の・・・顔を。 ・・・オネエチャン・・・ ずきりと、脳が揺れる。ゆめが、醒める。 だが、私は・・・そのまま続けることを望んだ。 まだ・・・ 終わりじゃないから。 終わらせたく、ないから。 ・・・オネエチャン・・・ ごめんなさい。ごめんなさい。 彼女は地面に額をこすりつけて謝り続けた。 やがて少女は息絶えた。 それでも、彼女は謝り続けた。 やがて、少女が腐り始めた。 それでも、彼女は謝り続けた。 やがて、少女は骨だけになった。 それでも、彼女は謝り続けた。 やがて、少女は塵となって、消えた。 ・・・彼女は立ち上がった・・・。 そうして、ゆっくりと道を歩き始めた。 その道は、延々と続き、 先は、 見えない。 目覚めは最悪だった。 そうとしかいいようがない。 だけど、回りを見渡しても、どこにも終わりはなかった。 だから、私は立ち上がって、服を着て・・・ そして、 部屋から飛び出した。 さて、あの子のお墓にでもいってみますか! あとがき。 雨音の実験的なSS。いかがだったでしょうか? いやぁ、やっぱり駄目ですね。もう、ダーク系はむずい事この上ない。 香里の心理描写が上手く書けなさすぎです。 やっぱり、雨音にはギャグが性に合ってるんでしょうか? ・・・こういうのも・・・嫌いじゃないんですけどね。 さて、ちょっとだけまじめなお話。 この作品はひどく勝手な展開になってます。それはこれが第三者の目による物語、ではなく、あくまで香里という一人の人間の心の中でのお話だからです。 ですから、香里の自分勝手な、利己的な結末を迎えさせています。 途中で祐一を誤解してみたり、自分自信の思想も不安定だったりしてるのも、そういう理由です。 でも・・・人間って最終的にはやっぱりこういう利己的な、死んだ人間を切り捨てるような歩き方をしちゃうんじゃないか、って思います。 こんな答えの出し方で良いのか?ってきかれても、答えられないですけど・・・ 少なくとも、間違った答えではないと思います。 たしかに、この世界には「取り返しのつかないこと」がたくさんあります。 でも考えてみて・・・「本当に取り返しがつかなきゃいけないこと」なんて・・・あるんでしょうか? 人の死ですら、人は乗り越えられます。 振り返ってみて、取り返しのつかないことをいくつも繰り返してきたけど、取り返しがつかなきゃ生きていけないことなんて一つだってありはしません。 この世には、どんな絶望や悲しみがあっても、「終わり」以外の「取り返しがつかなきゃ生きていけないもの」なんてアリはしないんじゃないでしょうか。 ・・・もちろん、その「終わり」がなんであるかは・・・ 人それぞれですけどね。 美坂香里の「終わり」は、まだ、先の事・・・そういうお話でした。 って、あとがきでこういうフォローを入れるのは、ホントは駄目なんですけどねぇ♪ むずかしい心理描写ばっかりのSSだったので、フォロー入れておかないといろいろ問題がありそうだったので・・・ もどる |