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TUKIHIME-Mystery Style vol.1
『眠りの森・解決編』
※注意!! 本作は『眠りの森・問題編』
の続きになっております。
問題編を読んでない方は、さきにそちらをお楽しみください。
06/
琥珀は、ゆっくりと語りだす。
「目の前に、論理的に説明不可能な現象が現われた場合、それは主に観測者の脆弱な認識が原因と考えられます。あらゆる現象は、論理的に説明可能で、物理的に再現可能なのです。それが出来ない、などということはありえません。それを可能にするための、論理なのですから。だとしたら、私たちに出来ることは何でしょうか? 観測者の認識を疑うべきなのではないでしょうか?
まず、私は秋葉さまが犯人ではないと仮定しました。えぇ、もちろん。可能性がまったくないわけではありません。皆様もご不満があるでしょうが、今はとりあえず、その仮定に則った仮説をお聞きください」
そう言われてしまっては、誰も反論のしようがない。
全員、無言のまま次の言葉を待った。
「秋葉さまが犯人でないと仮定するならば、被害者と二人分の、しかも行きだけの足跡しかなかったという現象は非常に不可解です。説明不能です。志貴さまはあらゆる手法を考えていらっしゃったようですが、私にはそのどれもがあまりにも困難で、再現不能なことのように思えました。ですから、私はこう考えました。そもそも、観測者の認識が間違っているのではないか、と。
では、観測者とは誰のことでしょうか? それは園山さまでしょうか? 園山さまが、第三者の足跡を見逃していた? あるいは、虚言を吐いた? しかし、それは非常に考えがたいものです。雨が降っていたとはいえ、足跡を見逃すという可能性はありえるでしょうか? また、嘘をつく必要も、あるのでしょうか? そんな危険な嘘を、どうして園山さまがつかなければならないのでしょうか?」
「当然のことね」
楓子が口元を上げて言った。その瞳にある、挑戦的な光はまったく変わっていない。
この状況で自分の名前が挙げられたのにもかかわらず、まったくの動揺はなかった。
「では、誰の認識が間違っているのでしょう? それは……秋葉さまです」
「なっ……私が何を間違ったというのっ!?」
「それはちゃんと説明させていただきます。その前に、皆様……常識的に考えてみましょう。何も難しく考える必要はありません。秋葉さまが犯人ではない。地面には二人分の足跡しかなかった。この条件で、犯人が地面に足跡を残さず被害者に近づける方法は、何でしょうか?」
琥珀の質問に、誰も答えなかった。
仕方なく、続けることにする。
「皆様が、これに気づかないはずがないんですけど……まぁ良いでしょう。正解は二つ。それは驚くほど簡単です。一つ目は、まず、地面が濡れていない時に移動した。二つ目は、足跡が残ってもおかしくない状況で移動した。ね? 簡単でしょう?」
「そ、それは……」
そのあんまりな解答に、黙っていようと心がけていた晶もさすがに口を開いた。何か言葉を続けようとするが、琥珀のほうが先に話し出してしまい、口をつぐむ。
「一つ目の可能性については、被害者のアリバイが、雨が降った後まで確認できている以上難しいでしょう。もちろん、先に来て待っているという方法がないわけではありませんが、犯人が長々と待ち続けていたとは考え難いです。それだけ、自分のアリバイを殺すことになるのですから。それにそもそも、帰るための足跡の問題が解決されませんね。
では、二つ目はどうでしょうか? これも、とある理由から不可能と思われます。……秋葉さま、その理由とは何でしょうか?」
「何を馬鹿なことを言っているの。私が死体を確認しているのだから、犯人が私より後に来たなんて、ありえないじゃない」
「はい、そうです。つまり、秋葉さまが犯人ではない。地面に足跡が残っていた。被害者は秋葉さまが確認した時点で死んでいた。この三つの認識が、私たちの思考を矛盾させ、妨害していたのです。まるで条件の定義されていないfor文のように、本来論理的に解決されるべきものが、無限にループし続けていたのです。
ですが、先ほど申し上げましたとおり、論理によって矛盾なく説明できないことなど、一つもありません。あったとしたら、その認識が誤っているのです。では、私たちは三つのうち、どの認識を疑えばいいのでしょうか?
秋葉さまが犯人でないという認識を疑うことは出来ません。それをしてしまったら、私たちの思考自体が完全に矛盾してしまいます。では、地面に残った足跡でしょうか? それも、先ほど申し上げましたとおり、疑うのは難しいでしょう? ならば……残るは一つ……」
「有り得ないっ!!」
琥珀の言葉をさえぎるように、秋葉は叫んだ。
自分の認識を疑われるということが屈辱なのだろう、彼女は琥珀に怒りの視線を向ける。しかしそれを、琥珀はサラリとかわしてみせた。
「風間さんが死んでいるのは、しっかりと確認したわ!」
「……間違い、ありませんか?」
「愚問ね。死んだふりでもしていたというの? まさか、脇の下にボールをはさんで血流をとめたとかいうんじゃないでしょうね? そんなのに気づかないはず、ないでしょう」
それはそうだろう。琥珀も、聞いていた志貴も、それは疑っていない。死んだふりならば、秋葉が見抜けないはずがない。それならば確かに手首をとっても脈は感じないだろうが、どうしたところで《血色》は隠せない。死体を間近で見たものなら分かる。死体と生きた人間は、まったく違う色をしている。
だから、見間違えるはずが無いのだ。
そう……死んだふりならば。
琥珀は、視線を秋葉からはずし、志貴へと向けた。
「そろそろ、宜しいですか?」
「うん。時間的には大丈夫だと思う。っていうか、俺的には早くして欲しいくらいだよ」
そう言って、志貴は引きつった笑みを浮かべた。
そうですね、と琥珀も頷く。
「では……皆様。事件現場においでくださいませ」
07/
その場所は、想像していたよりもずっと暗かった。
森、という表現もあながち間違っていないのではないだろうか?
地面にはわずかばかりの木漏れ日のみが届き、土と木の根のキャンバスに幾何学的な文様を浮かび上がらせている。
入れば、そのまま取り込まれてしまいそうな錯覚。だが、拒絶ではない。人間が生きていける場所ではないが、しかしそれは人が森を拒絶しているだけで、森が人を拒絶しているわけではない。
志貴は、自分が眠りにつくときは座敷が良いと思っていた。だが、第二候補としては、こんな静寂の森の中でもいいかもしれないと思った。
そんな森の中を、八人の人間が歩いていく。先頭は琥珀と秋葉だった。
晶はいつのまにか志貴のすぐ傍に来ていたが、それを彼はほとんど意識しては居なかった。それよりも、これから起こることが上手くいくかどうか、それが何よりも心配だった。
やがて、少し木々が途切れたところへとやってくる。
多少明るくなった地面が見えてくる。
そこに……。
少女が……。
眠っていた。
「……あれは……」
一瞬の戸惑い。
しかし、次の瞬間には、秋葉は走り出していた。
「翡翠っ!?」
その場所に眠っていたのは、一人居なかった翡翠だった。
土がむき出しの地面に、いつものメイド服のまま仰向けに寝そべり、腹の上で両手を組み合わせながら、瞳を閉じている。その首には、一本のロープが巻きつけられていた。
翡翠の顔にはまったくといって血の気がなかった。唇は色をなくし、身体は凍ってしまったかのように動かない。誰が見ても、一目で分かるほどに、絶望的な光景……。
秋葉がすぐさま翡翠の傍に跪き、手首に触れる。
僅かな間。
彼女は、指を離した。
「……そんな……」
震えながら、なおも秋葉は耳を胸に当てる。
だが、すぐに離れてしまった。
「……冷たい……。冷たいわ、琥珀ッ! 死んでいるっ!!」
秋葉の声は、悲鳴に近かった。
周囲でも、集まっていた少女たちのひきつった悲鳴が聞こえる。
だが、琥珀は……。
「志貴さん」
冷静に、小さく、一言呼びかけた。
瞬時に、志貴が翡翠の元へと走り出す。
そして、その小さく冷たい身体を抱き起こした。
「……あっ!」
「えっ!?」
「嘘っ!!」
その瞬間上がった声は、先ほどとはまったく違うものだった。
志貴の手の中にある、翡翠の身体には……手も足も、頭も何もなかったからだ。視覚的には、まるでメイド服だけが、空中に浮かんでいるようにも見える。
否。
違う。
不可思議な現象が起こったとしたら、それはその認識が間違っているのだ。
そう、それは……。
翡翠の身体ではない。
「これは……どういう事なの?」
秋葉の呆然とした声を無視して、志貴はその翡翠の身体と思われていたものを地面に捨てる。そして、今度はそれがあった場所の下から、本当の翡翠の身体(こちらもメイド服を着ている)を抱き起こした。そして翡翠の首筋に指を当てる。
……やや長い間。
志貴は、指に返ってくる反応を確認すると、ホッと息をはいた。
「志貴さん。ここは秋葉さまもいらっしゃいますし、大丈夫です。志貴さまは、お教えしておいた手順で……」
「分かった!」
志貴は頷くのももどかしげに、ぐったりとした翡翠の身体を抱きかかえると、そのまま森の出口のほうへ走り去っていった。
「琥珀! これは、どういうことなの!? 翡翠は……」
「心配無用です、秋葉さま。翡翠ちゃんは、死んでなんかいません。ちゃんと生きていますよ」
「で、でもさっきは……」
「それを説明するには、まずこれが何であるかを見ていただかなければなりません」
そう言って、琥珀は志貴が捨てた、元翡翠の身体を持ち上げた。メイド服を剥ぎ取り、中を露にする。
それは、タオルの塊のようなものだった。何かにタオルを巻いているのだろう。胸の部分と思しきところには、パットらしきものが貼り付けられていた。
「あはー。これは最新式の、感触まで良く似たパットなんですよ? 触ってもバレないんです。後で秋葉さまにお渡ししますね?」
「要りません! あ、いえ……そうじゃなくって!」
「やっぱり要りますか?」
「だからそうじゃないと言っているでしょう! それよりも、それは一体何なの!?」
「それは、今からお見せします」
琥珀は続けてそのタオルも外した。
その中にあったものは……。
「……ビニール袋?」
秋葉は、首をかしげた。
ビニール袋は大きく、ゴミ袋として使われている半透明のもので、二重になっている。そして、その中には……大量の氷が詰め込まれていた。
「これはこの実験を可能な限り事件のときと近づけるために、瀬尾さまに用意していただいたものです」
「なっ……瀬尾、貴女……」
「あ、あはは……」
秋葉の視線に、晶はただ愛想笑いするしかなかった。
晶とて、自分の用意したものがどのように使われるかなんて知らなかった。ただ、琥珀から大量の氷と、ビニール袋、そしてスコップを用意するように頼まれただけだった。
「この事件の話を聞いた時点で、すぐに被害者はまだ死んでいなかったという仮説はたちました。しかし最初に思いついたのは、脇の下にボールを挟んで血流を止めるという方法だったのですが……、それだと気づかれる危険性があまりにも高すぎます。なぜなら、いくら脈が無かったとしても、体温はごまかせないからです。血色の良い死体を見れば、秋葉さまも不審に思ったのではないでしょうか? いえ、そうでなくとも。もし秋葉さまが首筋や胸で脈を確認していたら、と。私もそれが少し不審だったのです。そんな子供だましで秋葉さまをだますことが出来るのか、と。ですが……事件の次の日、調理実習室の氷が大量に無くなっていたそうですね? 私はその話を聞いたとき、すぐにこの可能性に気づきました。
……さて、皆様ご存知でしょうか? 人間も冬眠できるのですよ? あ、もちろん。自然環境で出来るわけではありません。ですが、ちゃんとした設備を用いればそれが可能なのです。SFなどでコールドスリープというのが登場しますでしょう? あれのことですね。現在でも、眠りにつかせるだけなら十分に可能なのです。問題は、それを長期間維持することであり、そしてその後、正確に蘇生させられるかどうかなのです。こればっかりはなかなか進展しないのですよ。まさか実際に人体実験してみるわけにもいきませんしね」
「まさか……翡翠も、風間さんも、冬眠していたというの?」
「その通りです。いえ、冬眠というと少し違いますか。冬ではありませんしね」
琥珀のジョークに、誰も笑わなかった。
少し残念そうに咳払いし、続ける。
「正確には、心臓を冷やすことによって、一種の仮死状態になっていたんです。これは医学的に証明されている行為なんですよ? 心臓を冷やすと、機能が低下し、貧血状態になります。ですが呼吸が止まるわけでもありませんし、心臓が止まってしまうわけでもありません。ですから、人間の身体は自然と、必要最低限の機能だけを……つまり、脳だけを維持しようと、一種の昏睡状態になるわけです。……ここで重要なのは、急速に冷やしてはいけないということです。急激な温度変化であった場合は、ショックで心臓が止まってしまう可能性がありますから。しかし、比較的ゆっくりとした温度変化には、人間は対応できるのです」
そういって、琥珀は袖から懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「今回は、せいぜい40分といったところでしょうか? 事件のときもほぼ同じ程度の時間だったでしょう。私たちは危険度を考えて、30分の予定だったんですが……少し話が長引いてしまいましたね。志貴さんが焦るはずです」
「でも、心臓が止まっていたわけじゃないのなら、脈を診ればわかるんじゃないかしら?」
それまで黙っていた河野教諭が、もういい加減この状況に慣れてきたのか、質問した。
琥珀は首を振る。
「もちろん、河野さまのご意見はもっともだと思います。先ほど、志貴さんも確認してらっしゃいましたからね。しかし……一般的に、人間が相手の脈拍を測る際、それほど長い時間触れているわけではありません。先ほどの秋葉さまの場合、正確に計測したわけではありませんが、せいぜい2秒といったところでしょうか? これは、他の方で実験してみても宜しいですよ? どんな方でも、誤差はほとんど無いでしょう。それ以前に、身体に触れた時点でその異常な冷たさに絶望してしまうでしょうから。心情的に言って、冷たい他人の身体になど、人間は長く触っていられないものです。
ちなみに。冬眠……コールドスリープ状態の人間の一分間の心拍数は、通常の70回から1〜2回になると言われています。また、呼吸回数も1〜2回。さらに代謝量は100分の1に低下するとも言われているんですよ? もちろん、これは完全なコールドスリープ状態においてであって、実際にあの程度の方法でここまで低下するわけではありません。ですが、わずか2秒のうちに、脈拍を確認できる可能性は……そうですね。一分間に10回程度まで低下したとして、6秒に1回。2秒触れましたから、2で割って確立は3分の1。ウフフ……まだ2回しか挑戦していません。もしかしたら、次にやれば実験は失敗するかもしれませんね?」
それもまた、琥珀のジョークなのだろうが、やはり誰も反応しなかった。
確立は確かに3分の1……つまり約33%だ。しかし、それは別に3回に1回失敗するわけでも、100回に33回失敗するわけでもない。1回目で失敗するかもしれないし、100回やってもすべて成功するかもしれない。
「でも……危険じゃないんですか?」
晶の質問に、琥珀は大きく頷いた。
「もちろん! これは大変危険な行為です。素人では正確な蘇生が出来ず、どんな後遺症が残るかわかりません。それに身体機能が低下するということは、免疫力が低下するということです。免疫力が低下した状態では、空気中や地中にいるちょっとした細菌にすら、対抗できません。普通の状態であれば何のことはない風邪であっても、重大な疾患を誘発する可能性があります。皆様も、絶対にマネしてはいけませんよ!」
「あ、いえ……そうじゃなくて。いや、それもあるんですけど……。もし失敗していたらどうするつもりだったんですか? っていう意味です……」
「その危険性は限りなく少ないと考えていいでしょう。先ほど話しました通り、脈を確認される可能性はかなり低いですし、一番危険である秋葉さまが被害者の身体を持ち上げようとする、という可能性もほとんど有り得ませんでした。今現在、皆さんは「そんなのに本当に騙されるか?」とお考えかもしれませんが、実際に目の前に冷たくなった見知った人間が倒れていたら、まず間違いなくひっかかります。私でも、きっとその時は騙されたでしょう。犯人は、最小のリスクしか背負っていないのです。……ただ、そうですね。例外は何事にも有り得ます。万が一失敗したとしていたら……その時はきっと、大笑いしたんでしょうね」
「は?」
晶が首を傾げる。
それに対して、琥珀は微笑むだけで何も答えなかった。
「……さて。この方法をつかえば、秋葉さまが確認したときに、まだ死んでいなかった可能性があるということが、お分かりいただけると思います。では、そうだとして、風間さまはいつ殺されたのでしょうか?
これに関しては、特に説明を必要としませんね? そうです。皆様が想像していらっしゃるとおり、秋葉さまが逃げ去った後です」
琥珀がそう言い終るのをまたず、その場にいた全員が……いや、一人を除いて全員が、同じ場所に視線を向けた。
秋葉は刺すように。
晶は怯えたように。
河野教諭らは困惑したように。
彼女らの視線が、空間の一点に集中する。
その場所に居たのは……。
「私が、殺したというの?」
クスクスと、園山楓子は笑った。
可笑しそうに。
あるいは、楽しそうに。
「そうです。まず、貴女は秋葉さまが走り去った後、すぐに風間さまの身体を抱き起こしました。ここをご覧ください。翡翠ちゃんが寝ていた場所、窪みになっているでしょう? 丁度、胴体だけが落ちる程度の穴です。この穴の形跡が残っていたことは、瀬尾さまに確認していただきました。貴女はここに風間さまの本当の身体を寝かし、そしてその上に先ほどの氷を詰めたビニール袋を置いて偽の身体を作ったのです。服は恐らく二重になっていたのでしょう。脱がしやすいように、上に着せた服は背中が切ってありました。翡翠ちゃんのあの服、すごく高いんですよ……今回は再現するために仕方なく切りましたけど。ちなみに、被害者がお腹の上で手を組んでいたのは、手首を長い間つかませないためと、もう一つ。胴体を穴に落としている状態ではどうしても不自然になってしまう腕の位置をごまかすためでしょう。
貴女は風間さまの身体をどけると、その穴にビニールと上に着せていた服を落とし、どこかに隠しておいたスコップで穴を埋めました。スコップを取りにいくときに足跡が残ったかもしれませんが、それは秋葉さまを追いかけようとした、といえば済むことですね。穴を埋めた後、その上に再び風間さまの身体を寝かします。
そして……その後、首に掛かっていただけのロープを、絞めた」
琥珀は、そしてそのほかの少女たちは、常に視線を園山楓子に向け、彼女を観察している。
しかし、彼女の表情にはまったく変化が無かった。
まるで人形のように、固定された表情。
余裕と、自信。
揺らぐことの無い瞳。
犯人と名指しされてなお、それは変わりなかった。
「……被害者はまだ、低温の状態で身体機能が回復していません。抵抗など、できようはずがありませんでした。首を絞めたにもかかわらず、遺体が綺麗なままだったのはそのためです」
「遠野さんが逃げてから、工藤さんたちが駆けつけてくるまでに、それだけのことが出来るかしら?」
「充分に可能です。隠蔽作業も二分と掛かりませんし、首を絞めるだけなら30秒あれば事足ります。……それに、可能にするために、貴女は秋葉さま達に指示を出したのですよね。どうして秋葉さまだけをこちらに向かわせたのですか? どうして他の方々を反対方向に向かわせたのですか? それは、時間を稼ぐためです。悲鳴を上げたとき少しでも遠くに居て欲しいからです」
園山が秋葉たちの元へ帰ってきた時点で、すでにすべての事件は開始されていたのだ。
彼女は、他人を支配することで、自分の安全範囲を最大限に広げた。
「で……でも。彼女以外にも、犯人の可能性はあるんじゃないの?」
河野教諭が震える声で質問する。しかし、その視線は今もまだ園山から離れては居ない。
「いいえ。河野さま。考えてもみてください。もしここに集まっていただいた方以外が犯人だとしたら、どうしてこのような状況を選ぶ必要があったのでしょうか? 誰もが学院内で事件が起こっても警察が介入されないことは分かっています。なら、どこでも良かったんです。わざわざ自分を容疑者からはずす必要はありません。むしろ、全ての人間が同時に容疑者であるような状況を作るほうが、遥かに効果的です」
「それは……いえ、それは違うんじゃないの、琥珀。犯人は第一発見者を容疑者にしたかったんですから」
秋葉が質問する。
「えぇ、そうですね。その通りです、秋葉さま。犯人は、この場所を選んでいます。雨が降っている状況も、狙っていました。先ほど説明したトリックの通り、これは突発的な犯行ではありません。だからこそ、余計に他の方が犯人である可能性はないのですよ。分かりますか? 全ては計画的。なら、そのタイミングを狙えたのは果たして誰でしょうか?
いったい、誰が被害者をこの場所にタイミング良く呼び出せますか? 被害者はどうして「トイレに行く」などと嘘をついたのでしょうか? そして、こんな危険な計画を実行させられたのは、果たしてどんな人物でしょうか? そう考えると、自ずと犯人像は絞られてきます。犯人は、被害者に対してある程度以上の強制力を持った人物です。また犯人は、周囲の状況に対しても強制力を持った人物です。……もし誰かが「今日の練習は中止にする」なんて言い出したら、すべてがパァですから」
「…………」
素直に、秋葉は沈黙した。
そう。犯人は全てを支配している。
支配することによって、この不確定で危険な状況の安全範囲を、可能な限り広げたのだ。
ならば必然、その人間は限られていた。
「何か、間違いはございますでしょうか? 園山さま」
「フフフ……間違い? バカみたいな質問するのね。どうして、私が風間なんて殺さなければならないのかしら? しかも今貴女が言ったみたいな方法で。そんなことして、私にいったい、何のメリットがあるというの?」
「動機、ですか? それは私には分かりませんし、分かりたいとも思いません。それは、私にとってまったく重要ではありません。言語によって単純化された動機に、どれほどの価値がありましょうか? 貴女がいかなる理由で風間さまを殺したとしても、それは私にも、秋葉さまにも、誰にも、何の意味も無いことです。
……ですが、少なくとも。風間さまは、秋葉さまに対するドッキリだと教えられていたんだと思います。風間さまは自分が殺されるとは考えていませんでした。だからこんな危険なことをしたのです。そして、それを指示したのは、間違いなく貴女です」
琥珀は、言い切った。
「だから、さっき《失敗していたら、大笑いしていた》と言ったんですね?」
「はい、そうです。慌てふためく秋葉さまを見て、大笑いしたんでしょう。どうしてこんな危険で無意味なイタズラを考えたのか。それも分かりません。そもそも、子供のイタズラに、大人が無理矢理理由を付けて説明しようとすること自体が無意味です」
論理によって説明できないことは一つも無い。
だが、論理で説明する必要の無いものなら、たくさんある。
それは子供。
まだ論理という言葉も知らないような子供の行動に、大人の論理を勝手に押し付けるのは罪悪だった。自由な思考はほとんどが無意味で無価値だが、それを抑圧することは最悪の判断である。
つまり……琥珀は。
園山楓子を、その程度の子供だといったのだ。
「フフ……ハハハッ!」
突然、園山は笑い出した。
力いっぱい。しかしそれですら下品にはならない、優雅な笑い。
唐突なその園山の変化に、晶たちが息を呑む。
彼女は、満足するまで笑った後、小さく息をはき、微笑みながら言った。
「そこまで小馬鹿にされるとはね。まぁ予想以上に面白い話も聞けましたし、赦してあげましょう。……そうよ? あたしが殺したの」
「なっ……」
「もう少し、遠野さんをイジメてあげたかったのに。残念だわ」
彼女は、そう言って、肩に掛かった髪を振り払った。
全てが完成された動き。優雅に見えるよう、計算された動き。
「ほ、本当に……本当に貴女が殺したの? 園山さん!?」
「えぇ。その通りです、河野先生。その女の言っていることは、まったくもって正しいですわ。まるで、見てきたみたい」
「見てきたものは、正しく語れません。正しく語れるのは、思考したものだけです」
「……らしいわ」
琥珀の言葉に、園山は肩をすくめた。どうでも良い、といった感じに。
「で、でも……どうして……」
河野教諭が震えた声で問いかける。
「どうして? さぁ? どうしてからしら。そんなの、その女が言ったとおり、何の意味も無いわよ。例えば殺したかったから、って言ったらどうしますか? あるいは、殺されそうになったからだ、といったら同情してくださいます?」
彼女の挑発的な言葉に、しかし誰も答えなかった。
「そんなもの、どうでも良いのよ。動機なんて関係ない。何の意味も無いもの。だって、そんなものがあったからといって、なかったからといって、私にとってメリットもデメリットも、何一つ無いもの」
「え……?」
「誰か、あたしを捕まえられる? ねぇ、先生……」
「っ!?」
彼女の言葉に……その意味に気づき、河野教諭は視線をそらした。
自分の中の「犯罪は絶対に赦されない」という倫理と、「園山を敵に回したくない」という恐怖感がぶつかり合い、瞬く間に後者が勝利したのだろう。
それは、明確な肯定だった。
「捕まえられるわけないわよね? 警察は絶対動かないわよ。ここにいる誰かが通報したところで、お父様たちがもみ消してしまうもの。マスコミだって一緒。誰も、あたしを捕まえられない。これは……完全犯罪なのよ。ねぇ、そうでしょ? 探偵さん」
小馬鹿にするように、楓子は琥珀をそう呼んだ。
SONOYAMAがいくら大きな会社とはいえ、ライバル会社がまったく居ないわけではない。いくつもの他のメーカーが、虎視眈々と下克上の機会を狙っているのだ。そんな状況で、娘(あるいは孫)が殺人事件を起こしたなどという重大スクープは、命取りになりかねない。会社は、全力を持って事件を完全に揉み消してしまうだろう。
彼女の言うとおり、誰も彼女を捕まえることは出来ない。
この事件は、始まったときから終わっていたのだ。
園山楓子が殺人事件を起こした。その時点で、殺人事件など無かったことにされてしまっているのだ。
「ねぇ、何か言ってみなさいよ。探偵さん?」
「…………」
「馬鹿な女が一人死んだだけの話よ。つまらない……退屈なお話。私は何も失敗していない。貴女みたいな《探偵さん》が登場しようと、私にとって何の問題も無かったのよ。誰も、私にダメージを与えられないもの」
「……おめでとうございます」
「え……」
琥珀の、思わぬ言葉に楓子は耳を疑った。
自分は犯罪の告白をした。なのに、なぜそんな賞賛の言葉が返ってくるのか。
「おめでとうございます。貴女は、見事に完全犯罪をやってのけました。世間では捕まらないことが……例え捕まったとしても法に罰せられないことが完全犯罪だと言われていますが、私は違うと思います。完全犯罪とは、法によって介入されない犯罪の事だと思っているからです。法によって介入されてしまった時点で、それは最早《完全》でなどないのです。充分に不完全なのですよ。
また、それと同様に。犯罪自体が他者に発覚しないことが完全犯罪だと言う方もいますが、それも違います。他者に発覚しない犯罪は、すでに事件ですらありません。それは何も無かったことと等価値です。犯罪とは、他者に認知されなければ成立しないのです」
琥珀は、微笑みながらも淡々と語る。
その言葉の意味に気づけたものは、秋葉しか居なかった。
琥珀の過去を知る者として。
秋葉は、僅かに彼女から視線をそらした。
「さて……“目には目を、歯に歯を”という言葉をご存知でしょうか? まぁ、聞いたことが無いという方はおられないと思います。そうです。ハムラビの法典ですね。旧約聖書にも出てくる言葉です。この言葉は、ちょっとした誤解から、誤った使い方をされているんです」
唐突に、何の関係も無い話を始めた琥珀に、全員が面食らった。
しかし彼女はそんなもの気にもせず、続ける。
「一見、復讐を社会的に認めている野蛮な法律のように見えますが、実際にはまったく正反対なんです。これは、目をつぶされた者は、例え相手をどれほど憎んでいようと、相手の目をつぶす以上のことをしてはならない。歯を折られた者は、相手の歯を折る以上のことをしてはならない。つまりこれは、過剰な報復行為を抑止する法律なのです。
また、もう一つ。これを考える時、面白い発想に至ります。誰かの目をつぶした者は、自分もまったく同じ傷を負わされる。これはつまり、誰かを傷つけることは、自分を傷つけることと同じだ、となりませんか? 自らの行動は、法によってすべて自らに返って来る。誰かを殴ることは、自分を殴ること。誰かを苦しめることは、自分を苦しめること。相手に負わせた傷と、まったく同じ傷を自分も負うことになるのだとしたら、それは最初から自分を傷つけるのと同意です。
……もちろん、この法律は現在の複雑な社会システムではまったく通用しません。民族、文化、価値観……犯罪の多様化が進む現代においては、このような方法では、とてもやってられません。ただ……この法律の基本原理は現在でも残っているんですよ? すなわち、罪と罰は常に等価値で無ければならない。犯した罪以上の罰を与えてはいけない。犯した罪以下の罰であってもならない。罪と罰は常につりあっていなければならない」
琥珀は、ただただ園山に瞳を向けている。
その瞳で、彼女を捕らえるように。
「貴女には、罰がありません。それが、どれだけ不完全な状態なのか、わかりますか? 貴女は言いました。完全犯罪だと。私も、完全犯罪だと言いました。しかし勘違いしてはいけません。完全なのは、あくまで犯罪であって、犯罪を犯した人間……その人格は、決して完全ではないのです。捕まらないことが幸せ? 裁かれないことが幸せ? それは大きな勘違いです。一方的な力など、この世の中には存在し得ないのです。他人に暴力を振るって、自分はのうのうと生きている。それは実現可能なことです。しかし、間違ってはいけません。それは、決して幸せなどではないのです」
「何を……何を言っているの?」
琥珀の言葉に、園山の表情が歪んでいく。
徐々に……。
「これはベクトルの問題と同じです。学生である貴女に応力と反力……作用と反作用と言ったほうが一般的でしょうか? ともかく、そんな初等物理について語るなど、まともに学業を受けていない私にはおこがましい事かもしれませんが。応力と反力は常につりあっています。例えばボートに乗っている状態で、オールで岸を押せばボートは岸から離れます。これは岸に対して加えられる応力と、同じだけの反力がオールに返されるからですね。人間が歩けるのも、同じ理屈です。地面に対して加えられる応力が、地面から反力として返ってくる。ゆえに、身体は上へと持ち上がるのです。反力が無い状態では、とてもじゃありませんが、歩くことなんて出来ないんですよ。
さて、では反力がない世界というのを想像してみましょう。それはどんな世界か。人間はそこでどうなるか。答えは簡単です。一方向にのみ加えられる力は、全てを歪ませ、やがて崩壊する。なぜなら、物体には全て伸縮限界があるからです。輪ゴムを想像してみてください。輪ゴムは常に縮まろうとする力が掛かっています。それを無理矢理引っ張っていけば、やがて伸縮限界を超え、千切れてしまいます。全ての物質には『その形を維持しようとする力』があります。これこそが反力ですね。それが無いということはつまりこの世界のあらゆる物がいとも簡単に、触れただけで壊れてしまうということです。そんな世界で、人間は、生きてはいけません。地面は、全てが落とし穴と同じです。踏み込んだ瞬間に、世界は崩れ、そして貴女は……堕ちていく。そう。墜落です」
徐々に……。
徐々に……。
「応力は、それと同等の反力によって完結する。世界はそれによって保持される。同様に、罪もまた、それと同等の罰によって完結します。ですが……貴女は、罰を受けない。いえ、今更あなたが望んだとしても、決して受けられない。あなたの罪は、永遠に完結しない。反力の無い世界で、貴女は永遠に墜落し続けるのです」
「それは……っ」
「わかりますか? 貴女は本当にわかっていますか? 自分がどれほど愚かな行動をとってしまったのか。そして、それが取り返しのつかないことなのだということが。貴女は永遠に救われません。貴女は永遠に赦されません。貴女の身体は歪み、やがて崩壊する。ですが決して、それは完結しません。貴女は崩壊しても、永遠に堕ち続ける。貴女は、たった一人、貴女を救えることができる人を亡くしてしまったのですから。貴女は永遠に終わらない闇を、永遠に墜落し続ける。貴女にとって、最早世界は何の意味もない存在です。そして、世界にとってもまた、貴女は何の意味も無い存在です。何故なら、それは矛盾だからです。貴女は世界にとって矛盾なのです。反力を持たない応力など、世界には存在しえません。罰によって完結されない罪など、この世にはありえないのです。それは絶対の矛盾。完全であるということは、対を持たないことなのです。完全犯罪は、完全ゆえに不完全なのです。貴女は、永遠に矛盾したまま、永遠に求めるべき半身を見失い、永遠にこの世界から、永遠に――――」
「やめ……っ!」
静寂の森に響く悲鳴。
歪んだ顔。
崩壊した瞳。
だが、そんな悲鳴にもかき消されること無く、
耳をふさごうとも、
目を閉じようとも、
どれほど離れようとも、
全ての感覚を閉じようとも、
残酷な宣告は、必ず下される。
「貴女は、永遠に、堕ち続けるのです」
「やめなさいっ!!」
彼女の身体が、崩れ落ちた。
その場にしゃがみこみ、耳をふさぐ。
小さく聞こえる嗚咽。
違う、違う、と繰り返される声。
琥珀は、優しく微笑み、彼女に触れた。
「どうして、泣くのですか? 私は貴女を賞賛します。貴女は素晴らしいことを、そしてとても困難なことをやってのけたのです。それを恥じることはありません。それを悲しむことはありません。むしろ、誇って宜しいのですよ? さぁ、笑ってくださいな。私はお前たちが決して出来ないことをやってのけたのだ、と胸を張ってください」
園山楓子はイヤイヤと首を振る。
琥珀は……。
「どうして、涙するのでしょうか? 貴女は分かりますか? 私には分かりません。涙するということは、それは、貴女にとってこの行動がどういう意味にあるからなのでしょうか? 貴女は恵まれた家庭に育ち、恵まれた生活をおくってきたはずです。その証拠に、貴女は自信に満ち溢れていました。しかしその自信は、私にはむしろ過信に思えます。貴女はもしかしたら、失敗したことがなかったのではありませんか? そして今、初めて貴女は、自分の行為が失敗だと思えたのではありませんか?」
語りながら。
ゆっくりと、その頬に触れ、顔を上げさせる。
瞳と瞳を、交差させる。
合わせ鏡のように。
相手の瞳の中に自分の瞳がある。
自分の瞳の中に相手の瞳がある。
その奥に、さらにお互いの瞳がある。
その連鎖。
無限に続く。
終わりが無い。
それは矛盾か。
それは摂理か。
完全。
完全であるが故の不完全。
満ち足りているから故の欠損?
欠損が無いからこその完全。
欠損を求めないからこその完全。
矛盾か。
摂理か。
ふと、気づく。
欠けているからだ。
何が?
足りないからだ。
何が?
相互補完。
補うもの。
対。
終わりが無い。
故に完全。
なぜ?
対が無い。
対ではない。
その瞳は、
対ではない。
「貴女は……」
「…………」
「誰?」
「…………」
「何故そんな瞳をしているの……」
「…………」
「何故その瞳はガラス玉なの……」
「…………」
「何故その瞳は私を見ないの……」
「…………」
「貴女は……」
「…………」
「誰?」
「私は、もう、貴女では無い」
琥珀は、そっと離れた。
園山は、そのままで居た。
「残念です。いえ……良かったんでしょうか? もっと早く出会っていれば、恐らく私は貴女の対になっていたでしょうし、貴女は私の対になっていたでしょう。同じ崩壊し続ける世界に生きるものとして。ですが……」
琥珀は微笑む。
優しく。
冷たく。
「私は、もう貴女を必要としません」
それが最後の微笑み。
もう、琥珀が彼女に微笑むことは無い。
彼女の姿を、その瞳が捉えることは無い。
「さようなら」
お休みなさい。
08/
一人、森を出た琥珀は、そのまま志貴たちがまつ正門へと向かった。
翡翠は無事だろうか? そのことだけが頭をよぎる。安全は充分に考慮していたはずだが、100%を断言することは出来なかった。体力の低下は免れないだろう。当初、この計画を話したとき、志貴がその役に名乗り出た。しかし、体力はともかく免疫力(抵抗力)の弱い志貴には、この役はあまりにも危険すぎた。だから琥珀は、事件の内容を全て志貴に話し、彼を探偵役にして自分が被害者役を演じようと考えた。
だが……最終的に、その役は翡翠になった。もちろん、簡単に決まったわけではなかったが、結局翡翠の熱意が一番強かった。恐らく、今回何もしていない自分が嫌だったのだろう。
(しばらくは安静に、お仕事を休ませて上げてもらわせていただきましょうね、翡翠ちゃん)
きっとあの仕事熱心な可愛い妹は反対するだろうが、遠野家の健康面を見守るのが自分の仕事だ。琥珀は、何が何でも翡翠を休ませるつもりだった。
「あのっ……!」
声をかけられ、琥珀は振り返った。
声の主は晶だった。
走りよってくる。
「瀬尾さまでしたか。秋葉さまがいらっしゃるかと思いましたが……」
「遠野先輩なら、向こうに残ってます。園山先輩が……何の反応もしなくなっちゃったんで……」
「あぁ、そうでしたか。困りました……。SONOYAMAを敵に回してしまったでしょうか? 現在の遠野の財力では、勝ち目がありませんねぇ」
「そ、それは……」
かなり重大な問題であるにもかかわらず、気楽そうに笑っている琥珀に、晶はちょっと退いてしまった。
だが、ここで引き下がってしまっては、追いかけてきた意味がない。
「あの……実は聞きたいことがあるんですけど……」
「あら? なんでしょう? 推理に何か説明不足がありましたか?」
「いえ、そうじゃなくって……。その……。なんであんな話をしたのかなって……」
「あんな話とは?」
「園山先輩に……」
晶はなんといって良いのか分からず、そこで言葉を切った。
しかし、それでも琥珀には伝わったようで、彼女は「あぁ、あのことですか」と頷いた。
「……どうしてでしょうね?」
「え?」
「私にも、良く分かりません。自分でも論理的ではないと思うんです。ただ……彼女には《失敗》がなかった」
「失敗……ですか?」
「失敗がないというのは、とても悲しいことです。彼女は失敗を理解できなかった。自分が失敗したのだと、思えなかった」
完全犯罪をやってのけた人間は、何を失敗だと思うのだろうか?
人は、勘違いする。
彼女のように。
裁かれないことが、どれほど不完全なことなのか、分からなくなる。
完全なのは犯罪であって、人間ではないのに。
人を殺すのは、自分を殺すこと。
殺されたのは、自分の半身。
それを埋めるために、人は裁きを受ける。
罰は、損傷ではない。
欠けた部分を、補完するもの。
人は、救われるために、罰を受ける。
だが……彼女は失敗だと思えなかった。
失敗を見つけられなかった。
「私も……彼女と同じ場所にいるんです。暗く、崩壊し続ける世界で、永遠に墜落し続ける……」
「……っ!?」
「私は自分のやったことを後悔なんてしていません。私は、正しいことをしたのだと、今でも確信しています。……でも……、私は失敗しました。最後の最後に、詰めの一手で失敗してしまったんです」
「……失敗してしまったことを、後悔しているんですか?」
琥珀は、一瞬だけ静止する。
後悔しているのか。
自分は。
何を。
何かを。
全てが上手くいくはずだった策略。
全てを終わらせるはずだった一手。
自分は、それに失敗した。
でも――――
考える。
それは、失敗だったのか。
誰がそれを決めるのか。
どうやってそれを定義するのか。
まだ……、
自分の人生は……、
結果など出ていない。
ここに居る琥珀という自分は、
今も確かに、
生きている。
生き続けている。
「温かいんですよ、瀬尾さま」
「?」
「その《失敗》が。今の私には、とてもとても……温かいんです。後悔しているのか、それは分かりません。でも……私は……すごくうれしいんです。その《失敗》が。暗くて、冷たくて、痛いだけの世界で、それが……私を、緩やかに温めてくれるんです」
その《失敗》を抱きしめている限り、自分は間違わずに歩いていける。
琥珀は、そう思っていた。
人形だった自分に、一つ残された道しるべだから。
これはきっと……。
いつの日か《成功》へと変わる、
黄金の卵だと信じているから。
ここから、《人形ではない琥珀》の全てが生まれるのだから。
「つまり、それを教えたくて、園山先輩にあんなことを言ったんですね……」
「さぁ? それはどうでしょう。ただ単に、憎しみだったのかもしれません。全てが上手くいってしまった彼女を憎んでいたのかもしれません。あるいは、同じ場所に生きる人間として、同属嫌悪だったのかもしれません。どちらにしても……彼女を深く傷つけてしまったのは違いありませんね」
琥珀自身、善意であるとはまったく思っていない。
彼女に対して善意を抱く理由など、まったくなかった。
だが、晶は……。
「でも……。でも、私には……。今の琥珀さんの笑顔が、とても温かく感じます。きっと、優しさなんだと、そう思います」
そういって、ぎこちなく微笑んだ。
「…………」
琥珀は、その微笑に魅入ってしまった。
それは、彼女には出来ない、彼女が求めてやまない、本当に優しい笑顔だったからだ。
かつての自分なら、どう思っただろう。
幼稚だと思っただろうか。
愚かだと思っただろうか。
その心を、傷つけてやろうと考えただろうか。
それは容易だ。
否定すればいい。
否定すれば、容易に引っかき傷をつけられる。
だが……。
今の琥珀は。
「……そうですね。そう思っておきましょう。今の琥珀は、そういうのが嫌いじゃありません」
そう言って、琥珀は晶に一礼し、歩き出した。
一欠けらの《失敗》が生み出した、この地面を、しっかりと踏みしめながら。
ep/
二日後。
遠野家のリビング。
「でも、改めて落ち着いて考えてみると、なんだか状況証拠ばかりで、何一つ物的証拠がないですね」
秋葉が紅茶の入ったカップを持ちながら、呆れたように肩をすくめた。
「園山先輩が自白しなかったら、どうするつもりだったのかしら?」
「さぁ? でも、別に警察に訴えるわけじゃなかったんだしさ。犯人がお前以外ありえないっていう状況を打開すれば良かったわけだから、物的証拠がなくても構わなかったんだよ」
志貴の言葉に、秋葉は納得いかないようだったが、物的証拠に関しては最早どうしようもない。
ビニール袋も氷も制服も。全てがもう何らかの方法で処理されているものだった。その為の時間もたっぷりとあったし、それにそれほど処理の難しいものでもない。氷は放っておけば溶けてなくなるし、ビニール袋も制服も、どちらも持っていておかしくない物、なのだから。
なんとなく、志貴は晶が言っていた《幽霊の噂》が彼女なのではないかと思っている。深夜に寮から抜け出して、こっそりとそれらのものを処理していたのではないか。きっと、こうやってちょっとした勘違いから、学校の七不思議は生まれていくのだろう。なんだか退屈な舞台裏を見てしまった気分になり、志貴は嘆息した。
「結局、動機もわからなかったですし」
秋葉の声には苛立たしい、という感情がはっきりと出ていた。
園山楓子は、あの後何も喋ることなく、ずっとダンマリを決め込んでいるらしい。
彼女の中で、今回の事件に対するエスケープシーケンスが造り上げられるまで、きっとその状況は続くのだろう。
そのため、何故こんなことをしたのか、それはまだ誰にも分かっていない。
「いろいろ考えられるけどさ、でもそれって結局全部推測だからね。ただ、たぶんそれが、彼女にとって《弱味》だったんだと思う」
「弱さを守るため、ですか? なんだか想像できないわ」
「現在の姿では想像できないかもしれない。だけど、弱味って言うのは必ずしも現在にあるとは限らないだろ? たとえば、過去のトラウマ。あるいは、未来への不安。どちらも弱さだ」
「過去か、未来の弱味……ですか」
「過去になんらかのダメージを受けていて、その傷が再発したのか。あるいは未来に、現状を……つまり被害者を生かしておいてはなんらかのダメージを受けることを予測したのか。どちらにしても、それが彼女にとって防御策だったんだろう」
その起因となったのが、なんだったのか。それは結局分からない。主役の座を奪われた、というのが最も有力なようにも思われるが、それも怪しいところだった。
「まぁこれは単なる憶測だし、本人だってどれほど認識していたか分からないけどね」
だから、あの場でいかなる動機を聞こうとも、何の意味も無かった。
「まぁいいじゃないか。無事お前の嫌疑も晴らされたんだしさ」
「えぇ。それは純粋に感謝しています。私だけではもう少し時間が掛かったでしょうから」
「…………」
こういうとき、絶対に負け(志貴の主観だが)を認めないのが、なんとも秋葉らしい。志貴はやや口元を引きつらせたものの、何も言わなかった。言ったところで、どれほどの意味もなさそうだったからだ。
「でも、あの時……私を不当で低俗な形容で呼んだときですが、良く私がすぐ近くに居るって分かりましたね? 近くに居なかったらどうするつもりだったんですか?」
「……不当かどうかについては、後でじっくり議論してみたいところだけど……。さぁ? ただ、琥珀さんがお前は絶対に学校の中に居るから、事件現場でなにか騒ぎがあれば必ず近寄ってくるって」
「なるほど。琥珀にはお見通しってわけですね」
「みたいだな。で? 実際、何処に居たんだ?」
「寮ですよ?」
「は?」秋葉の簡潔な答えに、志貴は唖然とする。「え? つまり? ……お前は、逃げた後ずっと、寮の中にいたってわけか?」
「もちろんです。……兄さん。まさかこの私が、野宿でもしていたと思っているんですか?」
秋葉は、さも当然といった感じで、兄をにらみつける。
確かに、遠野秋葉ともあろう人間が野宿(とはいかないまでも、雨露が凌げるだけの場所)していたとは思えない。それに追われている人間が、人のたくさん居る場所に居るはずが無いという先入観があるから、その裏をかくことは効果的かもしれないが……。
いや、そういう問題ではない。
「ずっと自室に居ました。夜中にはちょっと部屋を出たりしましたけど」
「ど、同部屋の子たちは……」
「蒼香も羽居も、あれで結構口は堅いですから」
そういう問題でもない。
なんというか……すさまじい度胸だ。
そうとしか言いようが無い。
「あっ……あれ? 夜中? 部屋を出たのか?」
「えぇ……。夜中と授業中しか部屋を出る時間がありませんから。それがどうかしましたか?」
「あれ? それじゃあ幽霊の噂って……」
「なんですか? 幽霊って……」
志貴は首をかしげた。秋葉もまた、夜中に出ているのか? では、園山楓子は夜中に出ていなかったということか? しかし、夜中以外にチャンスはほとんど無いように思える。
……だとしたら……。
幽霊と勘違いした少女が見たのは、どっちだったのか。
丁度その時、タイミングよく琥珀が通りかかった。
「あ、琥珀さん!」
志貴は彼女を呼び止め、そして自分の疑問を投げかけてみた。
……投げかけながら……志貴は思う。
彼女はなんと答えるだろうか。
不思議と、確信はある。
いつもどおり、微笑みながら、
きっとこう答えるのだろう。
「あら、志貴さん。お分かりにならないんですか?」
なんて――――
了
あとがき
さて……皆様の解答は当たっていたでしょうか?
死んだふりをしていた、という発想には、ほとんどの方がたどり着けたと思います。
しかし、完答はかなり難しかったのではないかと思います。
一応、心臓を冷やすと仮死状態になる……というのはホントです。
ただ……ちょっと怪しいですね。時間が短すぎる(あるいは長すぎる)可能性はあります。実験したわけじゃないですから……。
トリックの問題点、説明不足な点など、ツッコミは随時大歓迎です♪
また、今回は動機については完全に無視しました。
良いネタがちょっと思いつかなかったので……(単純な愛憎は嫌いなのです)
究極のホワイダニットに関しては、別作品にてチャレンジしていますから、そのときに。
本作はミステリですが、だからといってSSらしさをなくしてはいけないと、いろいろ四苦八苦しました。
その一つが、琥珀さんの語っている部分です。
失敗……。
琥珀さんにとって、遠野を皆殺しにできなかったのは間違いなく失敗でした。それも、その失敗は自分の心の中にあったものでした。
ですが、その結果として、得られたものもあります。
その瞬間、琥珀さんは、それまでの人形だった自分から、人間としての自分を知ることが出来たんですから。
そこから生まれていくものが、きっと彼女にとっての《幸せ》となるのだと、思います。
ミステリとしてもSSとしても半端な作品ですけど、雨音にとっては良い勉強になったと思います。
見せ方(ヒントの出し方)をもっともっと上手く出来るように、頑張っていきたいです♪