明るく楽しい、そして折り目正しいミステリを目指して。
――――小説 スパイラル〜推理の絆〜
登場人物紹介
シエル――――――――――――代行者
遠野志貴―――――――――――遠野家長男
遠野秋葉―――――――――――志貴の妹
琥珀―――――――――――――メイド
翡翠―――――――――――――メイド
生徒会メンバー
3年不破 桐和 ―――――――生徒会長
2年美咲 空 ――――――――書記
2年美咲 海 ――――――――会計
2年藤島 太一 ―――――――書記
1年藤間 作次郎 ――――――会計
1年等々力 美奈 ――――――会計
op/
鍵が開き、ドアが勢い良く横にスライドするのと同時に、部屋の中になだれ込んだシエルたちがその眼に見たものは――――惨劇だった。
「あぁ……」
……誰からとも無く、あるいは全員の口から、そんな吐息が漏れでる。
目の前にどんな光景が広がっていても――例え知人の死に直面したとしても――声を上げないように訓練されていたはずのシエルでさえ、漏れ出す声を止められなかった。
なんてことだろう。
あまりに無残な光景に思考が混乱し、感情が上手く表現されない。
いや、感情など、何の意味も無い。
あったところで、
――――ザクザクに切り裂かれたその姿に、何を思えばいいのか。
折りたたみ式の長机を二つあわせた、その上で、ソレは存在していた。
全体に満遍なく、原型がほとんど残らないほどに切り裂かれた姿で。
凶器は、おそらくその隣に転がっている服飾用のハサミだろう。
ジーンズだって切り裂けるその鋭い刃は、ソレを徹底的に破壊するには充分すぎる凶器だった。
「なんて事を……」
シエルの後ろから覗き込んだ他の者たちも、一様に驚愕した表情を浮かべている。正視が耐えないその光景に、しかし誰一人として眼を逸らす者は居なかった。眼を逸らす、そんな行動さえ忘れてしまうほどの、その光景は衝撃的だった。
「鍵が……」
共に部屋に入ってきていた少女が、床に転がっていた鍵を拾い上げた。
それはまさしく、この部屋の鍵だった。
「どうして……?」
その問いは、当然。
錠は確かに閉まっていた。
なのに、その鍵がここに在る。
「誰も、居ない……」
荒らされた、狭い室内。
隠れるような場所は無い。
ならば、この惨劇の犯人は――――何処へ消えた?
TUKIHIME-Mystery Style vol.2
『王女様の三分密室・問題編』
1-1/
青い空。
白い雲。
なんて平々凡々とした表現が良く似合う、陽気な一日。
朝の空気は清々しく、優しく撫でる様に吹く風が心地良い。
今日は日曜日。
英語で言うとサンデー。
学校はお休み。
英語で言うとホリデー。
別に英語で言ったところで何も変わらない。
今日は一日、家で怠惰に過ごすつもりだった。午前中はゆっくりと妹である秋葉とお茶を楽しみ、午後になったら昼寝でも、散歩でもして、凡そ考えうる非建設的な高校生の休日というのを堪能するつもりだった。
だっていうのに……。
「何で俺、こんなところにいるんだろう?」
遠野志貴は本当に不思議な気分で首をかしげた。
今居る場所は生徒会室と呼ばれる、一般生徒である志貴にはまったく縁の遠い場所だった。
昨夜電話がかかってきた時点で何か嫌な予感はしていたのだ。していたのだが……世の中には一個人の能力では解決不可能な無理難題……一般的には理不尽と呼ばれる現象、あるいはエネルギーそのものが観測される。それは例えば万有引力、質量保存、慣性などの法則と同質のもので、逆らうよりも受け入れる方が圧倒的にエネルギーの消費が少なくてすむ。
「遠野君、聞いてますか!?」
「あ、はいはい。聞いてます」
すぐ正面で大きな声を出され、志貴は現実に引き戻された。
目の前には今、シエルが普段は柔和な表情を怒りに歪めている。その怒気は最早彼女の体積の中に納まりきらず、沸騰している薬缶から吹き出る湯気のように視認することが出来るのではないかというほどだった。
こういうときのシエルに逆らうべきではない。というか、怒っている異性には、その怒っている理由の如何に関わらず、逆らうべきではないというのが志貴のこれまでの経験で得た防衛策だった。
志貴は改めて姿勢をただし、彼女に向かい合う。
「えっと……つまり、シエル先輩たちがその部屋に入ったら、そこに置いてあった衣装が切り刻まれていたって事ですよね」
「そうなんです! あぁ、あぁ。もう、思い出しただけでも怒りが湧き上がってきます。赦せません。断じて、赦せませんよ。あのようなこと! あのような暴虐! あのような蛮行! 例え神が赦しても、私が赦しません!!」
「カトリックの人が言う言葉じゃないですね」
「良いんです! そんな事はどうだって! 私達が今考えるべきことは、誰が犯人なのか、ただそれだけです!」
「え? ……たち?」
その聞き捨てならない台詞に志貴が顔を引きつらせて聞き返すと、シエルは当然といった顔で自分と、そして志貴を指差した。
「私達です」
「なんでっ!?」
あんまりな展開に、思わず叫んでしまった。
それは当然といえば当然の反応だったが、しかし『理不尽の法則』が発動しているシエルの前には、むしろ逆効果でしかない。
「へぇ……」シエルの顔が更に冷たく、研ぎ澄まされたナイフのような色に変わる。「遠野君は私の大ピンチには、助けに来てくれないんですか? 聞きましたよ。妹さんの件(Vol.1参照)。妹さんのピンチにはまるでヒーローのように颯爽と助けに入ったくせに、私の場合はダメなわけですか。ダメだというわけですね? どうしてでしょう? 具体的に、私の納得の行く理由を教えていただけませんか? 妹さんはよくって、私がダメな理由を。ハッキリと、今この場で、ご説明願えますか?」
「…………」
口調はいつも通りだが、その顔は明らかに「適当な事言ったら殺しちゃいますよ?」と語っていた。
こうなってしまっては、最早何を言っても効果は無い。
志貴は素直に諦めて、
「ダメなんかじゃありません。シエル先輩の為に、がんばりますよ」
なんて引きつる顔を抑えながら言っていた。
「はい。そう言ってもらえて嬉しいです」
「…………」
なにやら山ほど不満があったりするのだが、しかし「嬉しい」と言ったシエルのその顔が本当に嬉しそうだったので、志貴は素直に諦めることにした。この人にそんな顔されたら、断ることなんてできやしない。いや、むしろ、ムクムクと……自分でも病気だとは分かっているのだが、一度動き出してしまった「放っておけない」という思考は収まりを知らないかのように大きくなっていく。今更ここで無理して帰っても、気になって気になって仕方がなくなることだろう。
ならば素直に、今は自身に出来る事をするだけだった。
「それじゃあ、昨日何があったのか……それぞれの行動を詳しく教えてください」
シエルは頷き、ゆっくりと語りだした。
1-2/
土曜日の午後。
授業は午前中で終了し、生徒達はすでに部活動のある一部を除いて全員帰ってしまっている。
そのため、校舎の内は嫌になるほどシンと静まり返っていた。
日はまだ高いし、教師もまだ全員帰ったわけではなかったが、しかし学生の居ない学校というのはどこか物悲しく、曖昧な違和感を醸し出している。それは例えば、動物園で一匹も動物が入れられていない檻を見たときのような、そんな寂しさだった。おそらく校庭から聞こえてくるだけの、どこか遠く感じる声が、その寂しさを強めているのだろう。
入れ物というのは結局、何かを入れて初めて完結される。空洞というのは何かを埋めるためにある。空っぽの宝箱に大切なものを集めて隠すように、学校という入れ物は生徒達の存在があって初めて完成された存在となる。
しかし、そんな中で生徒会室だけは特別だった。
人気の無いはずの校舎の中で、そこだけは昼間の賑わいを保持していた。
それもそのはず、本来なら全員が帰っているはずのその時間に、生徒会メンバー達は自分達の領土である生徒会室に集まっていたのだった。
生徒会室の広さは、実質的には一教室を一回りほど小さくした程度だが、普段は丁寧に揃えられている折りたたみ式の長机やパイプ椅子が無い為に、視覚的にはかなり広く感じられた。ただし、窓が西向きなのでこの時間でもやや薄暗かったが。
生徒会メンバーがここに集まっている訳。机や椅子がしまわれている訳。
それは明日……つまり日曜日に生徒会主催で講演される舞台劇の練習をする為だった。演目は『S&B カレーの王女様』。どこか聞き覚えのあるタイトルながら、どのような内容だったか全く思い出せないのは、当然のこと。生徒会役員であるシエルが手ずから作成した創作演劇だった。
以前文化祭のときにシエルのクラスで上演される予定になっていたそれは、諸事情によってお流れになったのだったが、最近になって生徒会主催という形で、地域住民との交流、という名目の元上演されることとなったのだ。もちろんシエルが無理矢理押し通したのだが。
本番では体育館が開放され、誰でも見に来ることが出来ることになっていた。
「さて、どうしましょう?」
生徒会室に残っているのは4人。そう問いかけたシエル本人と生徒会長である不破桐和、藤間作次郎、等々力美奈だった。
「美咲さん達は?」シエルが聞く。
「まだ帰ってきてないね。藤島くんもだ」
答えたのは生徒会長の不破桐和だった。時計は午後1時15分。昼食のために一度自由時間をとったのだが、再集合は1時きっかりのはずだった。生徒会のメンバーは7人。3人がまだ帰ってきていない。
「そうですか。遅いですね。……どうしましょう?」もう一度問いかける。「彼女達の出番はもう少し後ですし、とりあえずオープニングの部分だけでも練習しておきましょうか?」
「そうだね。時間もないことだし」
シエルの提案に不破は頷く。本来ならばやはり全員揃うのを待つべきなのだろうが、しかし現状はそうも言っていられない状況だった。
本番は明日だというのに、まだ通しで練習したのはたった一度だけ。それも台本を持ちながらだった。スケジュールに無理があるのも時間の足りない理由だったが、他にも全てにおいて素人の生徒会メンバー達には、そのスケジュールすら満足にこなし切れていなかった。
衣装すら今日になってやっと届いたほどである。大道具類は比較的早い段階で完成していたのだが、実は小道具はまだ全て揃っていなかった。
オマケに今は体育館は運動部が使用している。なんとか早めに切り上げてもらえるよう話は通してあるが、それでも客席の設営や大道具類の配置は3時を過ぎてからになるだろう。これでは明日の朝、講演開始時間ギリギリまでかかるのは避けられない。
「藤間くん、音楽お願い」
「はい」
一年生、藤間作次郎がCDのついていない年代を感じさせる古臭いラジカセの前面にあるソケットにカセットを差し込んだ。そして再生ボタンを押し込む。
カチャリという音が聞こえて、続いてスピーカーから軽やかな音楽が聞こえてきた。
「コラ。それはB面だろう」
「あ、すみません」
藤間は慌ててカセットを反対に入れなおす。ふたたび再生ボタンを押すと、今度はちゃんとオープニングの曲が流れてきた。
「本番は明日なのに。音響係がそんなんじゃ、困るなぁ」
不破はそう言って苦笑したが、すぐに「まぁ仕方ないか」と肩を竦めた。
やがて、ゆっくりとしたオープニング用のBGMが流れ出す。古いラジカセだからなのか、音が少し割れていた。
「やっぱりCDの方が良いんじゃないですか?」
「全曲挿入されてるの、無いじゃないか。それに、順番とか面倒だし」
「WAVEにして焼けば良いんですよ。MP3ならいくらでも落ちてるんですから」
さらりと違法行為を語る藤間。しかし「焼く」という単語や「落ちている」という単語の意味を理解できる人間が他に居なかった為に、それに関しては誰も何も言わなかった。
「まぁ、でも、カセットで助かったじゃないですか。CDだったら練習にならなかったんですし」
同じく一年生の等々力美奈が藤間の肩をポンポンと叩いた。その手がトイレに行ったときのまま少し湿っていたので不快に感じながらも、藤間は「そうだね」と苦笑いした。
「それでは、場面1。王女がカレー王から伝説の黄金カレーに必要なスパイスを手に入れる為にインドへ――――」
と、そこで不破の言葉を遮るようにガラガラという音をたててドアが開き、一人の女子生徒が入ってきた。遅れていた二年生の美咲空だった。
彼女は遅れてきた挨拶も飛ばして、そのまま困ったような表情で問いかける。
「あの〜。なんか隣から物音がするんですけど?」
「隣?」シエルは演技に入っていたのを中断して首を傾げた。「準備室ですよね? 誰か隣に居ましたっけ?」
全員がお互いに顔を見合わせる。そして代表するように不破が首を振った。
「いや。誰も居ないはずだけど」
準備室には確かに劇で使われるものもあったが、少なくとも練習に必要なものの全てはこちらに運んであった。だから今は誰も準備室に用などなかった。
「それじゃあ、オカシイですね」
「物音ってどんな?」
「ガタゴトって……。何かを動かしたり、落としたりするような音……かな?」
半疑問形の空の言葉はやや意味が不明瞭だったが、しかし意味は通じていた。
「とりあえず見に行ってみよう」
不破の言葉に、全員が頷く。何が起こっているのかはわからないが、何かが起こっていることは間違いないらしい。鳴らしっぱなしだったラジカセを止め、全員で生徒会室を出た。
と、そこで一人の男子生徒と出会った。
先ほどまで居なかった二年生、藤島太一だった。
「なぁなぁ。なんか、あそこで――――」と顎で準備室を指し、「変な音してるんすけど? 何してるんすか?」
「藤島くんも聞いたのか」
そうなると、もう聞き間違いという可能性は無くなる。
否。それどころか……。
「本当だ……。音がしてる!!」
静まり返った廊下には確かに、ガタゴトという何かを動かしたり、落としたりする音が響いていた。
シエル達はすぐさま準備室のドアの前に駆け寄る。
「誰か居るのかっ!?」
不破がドアを力強く叩き、室内に呼びかける。しかし返答は無い。
その代わりに、先ほどまで聞こえていたはずの物音がピタリとやんだ。
「誰か居るんだ……」
「でも、誰が?」
藤間の質問に、しかし誰も答えられない。
この内に誰かが居る。そう考えていても、しかし具体的に誰が居るのかということに関しては全く想像できなかった。
……いや。いくつかの想像は出来ていた。だがそれらは誰にとっても認めがたいものであり、その恐怖感から彼らはなかなかドアに手をかけることが出来なかった。
「とにかく開けてみましょう」
その静止状態を打破したのは、シエルだった。
彼女が先頭に立ち、ドアへと近寄る。
「ま、待った!」
「不破くん?」
「僕がやろう。僕が生徒会長だからね」
そんな事を言って、不破はシエルを押しのけた。
ゆっくりとドアに手をかける。そして少しだけ力を込めた。
「むっ?」
返ってきたのは硬い感触だった。
何かにつっかえたようにドアは横へとスライドしていかない。
上の部分が僅かに開くものの、それはただ単にドア自体が斜めになっているだけで、下の部分はビクともしなかった。
「どうして……」
「鍵が掛かってんじゃねーの?」
藤島太一が当たり前の事を言う。しかしその問いはある意味では的外れだった。
「鍵は?」
それを指摘することも無く不破が尋ねる。誰ともなしにたずねたのだったが、運悪くその視線に捉えられてしまった等々力美奈があわてて答える。
「し、知りませんよ!」
「それじゃあ予備の鍵は?」
「職員室じゃないですか……?」
「私、取って来ます!」
藤島太一の答えに、率先して美咲空が駆け出した。
スカートを翻しながら、準備室からすぐそばにある階段の踊り場に消える。
職員室はその階段を一階まで下りたすぐそこにあった。ここからなら、数分で行って戻ってこれる距離だ。
と――――そこで、
『あれ? 空。どしたの?』
『鍵が! 準備室のっ。私取ってくる!』
『は?』
その空の消えた踊り場の方から声が聞こえて、
「何? どうかしたんですか?」
ひょっこりと唯一まだ戻ってきて居なかった美咲海が顔を出した。
「準備室の中に誰か居るんです!」藤間作次郎が答える。
「え?」
「でも鍵が掛かってて――――」
そういっている間にも、不破は何度と無くドアをこじ開けようとしたが、しかしそれでもやはり鍵の耐久性を超えることは出来ないのか、ガタガタとその身体を揺らすだけで一向に開く様子は無かった。
僅か幅1メートル少々しかないただの木製の板が、これほど強固なものだったのだと改めて認識する。
そんな光景にやっと状況を把握したのか、美咲海は表情を変えて、
「あたしが行ってくる。空じゃトロ過ぎよ!」
そう言い残して身体を翻し、シエル達が何を言う間もなく空同様階段の方へ消えていった。
「音……止んだままですね」
「あぁ。だけど出入り口はここしかないんだから……」
その口ぶりはむしろ自分に言い聞かせているようだった。
音が止んで、まだ1分もたっていないはずだ。しかしその時間すら長い。完全に静まり返ってしまった室内は、先ほどまでのことが夢だったのではないかという錯覚を起こすに充分だった。
――――それから更に2分ほどして。
「あっ! 帰って来た!」
タッタッタッと階段を駆け上がってくる音が聞こえてくる。
かなりのスピードで駆け上がってきているだろう彼女――あるいは彼女達――には悪いが、今はそれすらもどかしかった。
踊り場からその姿を表したのは海だった。駆け上がってきた勢いのままドアの前まで突き進み、車なら凄まじい音がしそうな制動をかけて止まった。
「どいて、どいて」
「空くんは?」先に行った筈の空がなかなか後を追ってこないことに、不破が尋ねる。
「トロいから置いてきました」
早口に残酷な事を答えながら、海は右手に持った鍵をドアの鍵穴に差し込む。
全員が息を呑んだ。室内からの音はすでに止み、廊下も静寂に包まれている。お互いの呼吸音すら聞こえてきそうだった。……それほど、緊張していた。
「開けるわよ」
誰ともなしにそんな事を言って、海は鍵を回した。
「よし、開いたっ」
海が鍵を引き抜く。
それに応えて不破がドアの取っ手に力をかけた。
それまで頑なだったドアが、いとも簡単に横へと滑らかにスライドし、室内をあらわにしていく。まず最初に不破が、続いてシエル、藤島、籐間、等々力の順番に、ほとんど何かに押し込まれるように一気に室内へとなだれ込んだ。
「…………っ!?」
なだれ込んで……しかしそうした全員が、そのまま硬直してしまっていた。
自分達の良く知っている準備室の中は、荒らされていた。
テーブルの上に積み重ねられていたはずの数々の物が床に散らばり、足の踏み場もない状況になっている。
そして――――
その、散らばった分得たスペースには――――
「あぁ……」
……誰からとも無く、あるいは全員の口から、そんな吐息が漏れでる。
目の前にどんな光景が広がっていても――例え知人の死に直面したとしても――声を上げないように訓練されていたはずのシエルでさえ、漏れ出す声を止められなかった。
なんてことだろう。
あまりに無残な光景に思考が混乱し、感情が上手く表現されない。
いや、感情など、何の意味も無い。
あったところで、
――――ザクザクに切り裂かれたその姿に、何を思えばいいのか。
テーブルの上に空けられたスペース。その場所にソレ――劇本番でシエルが着るはずだったドレス――は存在していた。白いサテンの生地で所々に花の刺繍やレースが施されているそれは、ウェディングドレスとは違う――形も、お値段も――が、それでも女性なら一度は憧れたこともあるだろう、美しい姿であった……はずなのだ。
しかし今はもう、見る影もない。全体に満遍なく、原型がほとんど残らないほどに切り裂かれた姿からは優美さをどうやっても見つけることが出来ず、むしろ狂的で残酷な印象しか与えてはくれなかった。
凶器は、おそらくその隣に転がっている服飾用のハサミだろう。シエルはそう考えた。ジーンズだって切り裂けるその鋭い刃は、サテンのドレスを切り刻むには充分すぎる凶器だった。
「なんて事を……」
その声に反応したのか、それまでドレスだけに焦点を合わせていたシエルの視界に、半歩前に立っている不破の表情が入った。その顔は呆然とし、現状を上手く把握し切れていない風だった。顔は見えないが後ろに居る他のメンバー達も同様なのだろう。息を呑む声が聞こえた。
「鍵が……」
不意にそう言ったのは、等々力美奈だった。その言葉の意味が上手く把握できず、シエルは背後の美奈へと視線を向ける。
彼女はテーブルの上のドレスではなく、様々な物が散らばった床を見つめていた。
その視線を追う。
板張りではなくリノリウムの床の片隅に、一つの小さな鍵が落ちていた。それはシエルも良く知っている……そして先ほど見たばかりの、この部屋の鍵だった。
「どうして……?」
等々力美奈の口から漏れたその問いは、当然といえば当然だった。
この部屋のドアは確かに閉まっていた。なのに、その鍵が室内 に在る。それでは矛盾してしまう。鍵が無ければ閉まらないはずなのに……。
「誰も、居ない……」
荒らされた狭い室内を見回す。隠れるような場所などどこにも無い。小さなロッカーはあるが、どう考えても人が隠れられるようなものではなかった。
しかし、だとしたら……犯人は、どこへ消えた?
「ハァ、ハァ……何が、あったんですか?」
やっとたどり着いたのか、入り口のところで遅れていた美咲空が海に付き添われるように立って問いかけてきたが、それに応えることなど誰にも出来なかった。
何があったかなど、こちらが聞きたいほどだったのだから。
1-3/
「と、いう感じでしょうか」
シエルの話を聞き終わり、志貴は「ふーん」と唸った。確かに不思議な事件である。シエルたちがその部屋の前にやってきた時にも物音はしていたのだから、確かに内には誰かが居たはずなのに、ドアを開けてみたら誰も居なかった。つまり犯人はシエル達がドアの前に陣取り、合鍵を取りに行っている間に室内から抜け出したことになるわけだ。
「しかも不思議なんですけど……。準備室は内側からは鍵が閉まらないはずなんです。外側から、鍵を使ってしか閉まらないんです」
「え? それじゃあ、犯人はどうやって?」
「それが分からないから困ってるんじゃないですか!」
む〜、と唸るシエル。
つまりこういう事か。どうやって犯人が逃げたのかも問題だが、それ以前に犯人がどうやって鍵を閉めた状態で内に入ったのかも問題だ、と。
これではまるで怪談話だ。多分にシエルの主観が入っているので、この様な話になってしまっているのだろうが、しかしそれにしたってムチャクチャすぎる。密室に自由に出入りできるなんて、そんなのはもうすでに人間じゃない。
「……一応、聞いておきますけど。シエル先輩側の存在が関与している可能性は?」
「ありません。ありえません。それだったら、絶対に私が気づくはずです」
自信満々に答えるシエル。どこかで抜けている所のある彼女だったが、しかしこういう点に関しては十二分な信頼を置いても大丈夫だろうと志貴は頷いた。
「でも、どうしてそんな事が起こったんですか? 何か動機に心当たりは? 誰かに恨みを買ったとか……」
「動機は劇の妨害で間違いありません。それ以外に考えられない……っ」
シエルはそう、悔しそうに唇をかみ締めながら言った。これは、相当以前の文化祭のことを根に持っているらしい。
「それに……犯人はほぼ限定されています」
「え?」
「実は昨日切り裂かれてしまった衣装ですが、完成が遅れていて昨日の朝になってやっと届けられたんです。ですから衣装があの日あの時間、準備室に置かれていた事を知っている人は限定されているんですよ」そう言ってシエルは少しだけ言いにくそうに眉を顰めた。「つまり……犯人は生徒会のメンバーの中に居る可能性が高いということです」
シエルはそれに確信を持っているようだった。
確かに被害者……ではなく被害物(?)がそこに無ければどうしようもないのだから、それを知っている人間を疑うのは当然といえば当然であったが……志貴はそのあまりの確信ッぷりにやや顔をしかめた。
「もっと仲間を信頼した方が……」
「仲間を……信頼……?」
志貴の言葉に、シエルはまるで宇宙人の言葉を聞いたかのようにボンヤリと繰り返した。
そして何かに思いを馳せるように思案した後。
「……そうですね。信頼できる仲間って素敵です」
「…………」
埋葬機関 でいったい何があったのか、シエルは微苦笑を浮かべて言った。
どうやら触れない方が良い話題だったらしい。ブツブツと「背中を気にして戦わなくて良い仲間が欲しかった」などと小声で言っているのは、聞かなかった事にした方がよさそうだ。
「とにかく。シエル先輩の話だけじゃ、さっぱり分かりませんよ。他のメンバーの話も聞いてみないと……」
「あ、それなら問題ありません。ちゃんと全員集まっていますから、存分に取り調べしてください」
「…………」
取り調べという単語に、志貴は自分の顔がさらに引きつるのを感じた。
――――まぁ、良い。憎まれ役は、何時だって男の仕事だ。
2-1/
――三年生 不破桐和の証言――
「やぁ、君が遠野くんか。シエルくんからは良く聞いているよ」
不破桐和。生徒会長。
快活そうなスポーツ刈りの頭髪、大きくてガッシリとした身体をシャンと伸ばしているその姿からは、なるほど確かに生徒会長としての威厳――果たして生徒会長職に威厳が存在するものなのかという議論はさておき――を纏っている。しかも、今時珍しい……というか天然記念物かと思ってしまうことに、彼は制服の第一ボタンを留めていた。
彼はきっと生まれてくる時代を間違えたのだろう。あるいは70年代からタイムスリップでもしてきたのだろう。志貴はそう考えて、自分の想像があまりにもピッタリ当てはまっていることに心の中で苦笑した。
それくらい彼は、現代の流行からはかけ離れた存在だった。
「すみません、部外者が失礼してます」
「いや、構わないよ。事件が解決できるのなら、どんなことでも協力しよう」
「? そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、随分と協力的なんですね?」
「もちろん。当然だろう。私は生徒会長だからね。今回のことは、私に責任があるんだ」
その責任を感じる必要は在るのか、と志貴は疑問に思ったが、しかし生徒会長という役割上、あらゆる問題の責任は彼に返ってくるものなのかもしれない。少なくとも責任を下の人間に押し付けて逃げている連中よりは、正しい姿のように思えた。
「それで……ここが現場なんですよね」
「そうだよ。元々はここが生徒会室だったんだけどね、隣の大きい部屋へ移ったから、今は準備室として使ってる。まぁ、その実際は倉庫みたいなものだけどね」
狭苦しい準備室の中は、準備室という名前の通り様々な物で溢れていた。折りたたみ式の長机が部屋の中心で二つ合わせて置かれている。しかしパイプ椅子は無く、部屋の隅のほうで折りたたまれたまま放置されていた。それもそのはず。机の上は山のようにいろいろな物が積み重ねられていて、これ以上何か乗せられるようなスペースは空いていない。
ジュースの空き缶。何時から置かれているのか、黄色くなったプリント。タクト。ピアニカ。CD。カセットテープ。ビデオテープ。前面になにやら妖しげな皿のような物が飛び出しているのは……CDラジカセだ。そのリモコンも横に落ちている。マジックやペン類が見える範囲でも5本。ついでに黒板が無いのに何故かチョークまである。さらに古臭い卓上計算機。1メートルのプラスチック定規。テニスのラケット。卓球のラケット。裁縫箱。絵の具入れ。プラスチック板(下敷き?)。輪ゴムが数え切れず。クリップも数え切れず。缶詰。インスタント麺。カレーのルー(シエル用?)。カセットコンロ。土鍋。メジャー。テグス。針金。雑誌、マンガ本。5インチフロッピーディスク(!?)。蛍光灯。ハンダゴテ。懐中電灯。目覚まし時計。エトセトラ、エトセトラ……。
まったく脈絡が無いそれらが、お互いに微妙なバランスで重なり合い、一つの巨大な山を形成している。ちょっとでもどこかを突っつけば、それだけで崩れ落ちそうだった。
「準備室とはよく言ったものですね。これだけ色々あれば、突然学校が未来に飛ばされたり、世界に生徒会メンバー七人以外の人間が居なくなって同じ一週間を繰り返すようになったとしても、対応できます」
「辛辣な皮肉だなぁ」
ハッハッハと豪快に笑う不破に、志貴は呆れるよりもむしろ感心した。彼が生徒会長である限り、この学校の平和は保障されたようなものだ。
「普段からこうなんですか?」
「まぁね。年に何度かは掃除するんだが、如何せん収納スペースが小さすぎるんだ。どうしても収まりきらずにはじき出されてしまう物が出てしまう。そういうのが積もり積もって……こうなってしまっているんだよ」
「昨日……事件のときは?」
「色々床に散らばっていたなぁ。犯人が荒らしたみたいでね……」
どうやら物音というのはその音だったらしい。不破の口調からは掃除――この状況を掃除したといえるのかどうかはともかくとして――に掛かった手間がどれだけのものだったのか、その苦労がにじみ出ていた。
「何か盗られたものは?」
「盗られて困るようなものはここにはないさ。鍵が閉まるって言っても、実際にはほとんど開けっ放しの時が多いからね。貴重品なんかは一切無い」
そう言って不破は机の上を眺め「むしろ持っていって欲しいくらいだ」とつぶやいた。
その声を聞きながら志貴は準備室の構造を確認する。構造といっても大したものは無い。部屋の形はほぼ長方形。広さは八畳有るか無いかといったところだろう。八畳といえばそれなりの広さではあるのだが、遠野の屋敷に慣れてしまったからなのか、志貴には狭く感じられた。
準備室のドアは木製で黄緑色の塗装がされていた。確かにシエルの言うとおり内側には鍵穴もロックする為の部品も付いていない。もともと誰かの部屋というわけではないのだから、それも当然かもしれなかった。室内から見て左側――外からなら当然右側だが、そちらには何も無いが、その反対側には何故か4、50センチほど壁がせり出していた。なので部屋の形はほぼ 長方形なのである。
続いて志貴は窓際に寄ってみる。
「鍵は? 窓の鍵はかかってましたか?」
「ん? あぁ。かかっていたよ。僕も真っ先に窓から逃げ出したんじゃないかって考えたからね」
窓の鍵はごくごく一般的な、レバーを上下させることによって鍵を開け閉めするタイプのものだった。
「閉まっていた……か」
窓ガラス越しに外を……主に下を見る。
三階からでは角度がありすぎるからか、ガラス越しではほとんど地面の方は見えない。仕方が無いので志貴はロックを解除し、窓を開けた。
窓の下は校舎の裏になっていた。二階建てのアパートが隣に立っていて、窓から中の人が見える。プライバシーとか、日照権とか、大丈夫なのだろうか――志貴は疑問に思った。その間に高さ二メートルほどのコンクリートブロックの塀と、幅二メートルほどの何も無い空白の空間がある。日があまり当たらないので、雑草程度しか生えていないようだ。
(ふむ……)
人気は無い。
当然だろう。こんな何もない場所になんてやってくる人間は少ない。志貴自身も、これまでの学校生活の中であの場所に行った経験は一度も無かった。
そんな場所であるから、ともすれば一部の不良連中が集まってきそうな場所でもあったが、それも無いだろう。志貴の記憶が確かならばこの部屋の真下、一階には職員室があるはずだった。職員室のすぐ傍で集まる不良なんて、考えられない。
となると、ここから犯人が逃げた場合、見つけられる可能性は少なかったということになるのだろうか。
志貴はまだ下を眺めながら、背後に居る不破に問いかけた。
「不破先輩は、犯人に心当たりは?」
「心当たり? いや、そんな心当たりは無いね」
「部外者で劇に反発していた人物は?」
「いや、居ない。教師の中には確かに居ないわけじゃなかったが、それでもシエル君がすでに説得済みだよ」
「…………」
せっとく……。
催眠暗示 ねぇ……。
「……それじゃあ、生徒会メンバーの中には?」
これが志貴の数少ない手札だった。シエルの言葉を信じるのなら、犯人はメンバーの中に居る。それが間違いないのであれば、必然――――
「それは……」
彼は言い難そうな顔をするはずだ。
「……恥ずかしい話だがね、実は現在の生徒会はあまり良い状況ではない」
「と、言うと?」
「それぞれの個性が強すぎる……と言えば良いのか。今ひとつ、纏まりみたいなものがなくてね」
不破の口調は先ほどまでの快活さを欠いていた。どうやらシエルの言葉は彼女の主観的な……被害妄想に近いものではなく、事実に基づいた見解らしい。
「それじゃあ、劇に反対しているメンバーも居る、と?」
「……そうだね」と不破は苦笑を浮かべた。
2-2/
――藤島太一、等々力美奈の証言――
次に入ってきたのは男女二人だった。
二年生の藤島太一と、一年生の等々力美奈だ。
「うわー! 生遠野先輩だぁっ!」
準備室に入ってくるなり、美奈が女子高生らしい――偏見ではあるが――がむしゃらに明るい声でそう叫んだ。
短く切りそろえられ、淡く茶色に染められた髪。身長も身体つきもこの年頃の標準偏差内だろう。だが天然なのか、あるいは意図的なのか、その言動にはやや幼い印象があった。
「ナマ……?」本来名前の前に付けられるものではないその単語に、思わず聞き返す志貴。
「はいっ。知らないんですか? 遠野先輩って有名人なんですよ」
「有名……」
その単語に、志貴は顔を引きつらせた。どうせロクでもない理由なのだろう。入学当初から、この学校では珍しいタイプの有彦と一緒にいるということで名前を知られていたし、最近になってからはシエル先輩と親しげにしていたり、学校に金髪の美女(アルクェイドのことだ)を連れ込んだり(正確には勝手に向こうが押しかけてきたのだが)と、退屈な学生生活に飽き飽きしている連中には恰好の獲物というべき逸話を作り上げてしまっている。
「ね、ねっ。後でサインしてくださいよー!」
「何の領収書かな?」志貴はテキトーな答えでスルーした。
等々力美奈のハイテンションに辟易しつつ、もう一人を見る。
藤島太一。中肉中背の一般的な体格だ。彼は校則に半しない程度の長さの髪で、それなりに真面目そうな青年だったが、その顔は面倒くさげにゆがめられたまま固定されて動かなかった。ただ単にこの状況に呆れているだけなのだろうが、なんだか年季が入ったその表情は、むしろ人生そのものに疲れているかのような印象を受けた。
「悪いな。面倒かもしれないけど、付き合ってくれよ」
「別に」
返ってきた答えはそんな簡潔なもので、それは彼の表情そのままの物だった。
いったい、何が「別に」なのか。
志貴は一瞬それを考えようとしたが、しかし別段重要なこととは思えなかったので、すぐさま思考を切り替える。
「最初に鍵を見つけたのは、等々力さんだよね?」
「そうですよー。あ、先輩。美奈って呼んでください。等々力って苗字、なんか暑苦しいじゃないですか」
苗字が暑苦しいというその表現はかなりヘンテコだったが、しかし確かに彼女のイメージには合わないかもしれない。志貴は苦笑して頷いた。
「鍵はどこに落ちてたの?」
「どこって、普通にこの辺りに……」
そう言って彼女が指差したのは、ドアが収納されている側とは反対側――つまり室内から見て右側――の床の壁際だった。そちら側には何も置かれていない。いや、もちろんドア側にもただ壁があるだけでレールを遮る事の無いよう何も置かれていなかったが。
しかし、だからこそ不思議ではあった。
「……どうしてこんな所を見たんだ?」
「え?」
「だってそうだろ? 目の前に切り刻まれたドレスがあるのに、よそ見したりなんてするかな?」
「そ、それは……そうなんですけど。なんとなく、眼をそらしちゃったんです」
「なんとなく、ね……」
疑わしく思う反面、志貴は「そんなものかな」と考えていた。
何か誤魔化しているようにも感じられたが、しかしその「なんとなく」という答えには信憑性が感じられた。嘘をつくのならもっと、本当らしい嘘をつくのが常識だろう。「なんとなく」なんていう答えは、あんまりにお粗末すぎて、逆に疑い難かった。
それに人間というは時々、自分でも後になって「なんであんな事をしたんだろう?」と疑問に思ってしまうような行動をとってしまうことがある。その時はやはり、「なんとなく」としか答えようが無かった。
しかし……と、志貴は考える。
何故、鍵はこんな所に落ちていたのか。
「鍵は普段何処に?」
「職員室です」
「いや、そうじゃなくて。この部屋にあるときはどこに? あの壁に突き刺さった釘のところ?」
と、志貴が指差したのはドアのすぐ傍の壁だった。そこに小さな釘の頭が、きのこのようにひょっこり顔を出している。
「あ、そうです。普段はそこに掛けておくんですよ」
「ふぅん……」
ということは、そこに有ったものを、わざわざここに落としたということになるのだろうか。
「じゃあ、次」志貴は一旦その考えを保留し、もう一人に視線を向ける。「藤島。お前はどうして集合時間に遅れてやってきたんだ?」
「面倒くさいから」藤島太一はまたも簡潔に答えた。
「面倒くさい? ……じゃあ、劇、やりたくないんだ?」
「当然。生徒会に入ったのは内申書の点数稼ぎで、別に劇をやる為じゃないんだから。こんな無駄なことに付き合わされて、皆面倒くさがってるよ。なぁ、等々力もそうだろ?」
「え? あ……その……」
「そうなの?」
「い、いえっ。別に面倒くさいってわけじゃないんです。劇やるっていうのは面白そうだなぁって思います。でも、役が……」
「役?」
「あ、いえ。気にしないでください」
ナハハ、なんてわざとらしく笑って誤魔化す等々力美奈。
「ふーん。……それで? どこに居たんだ?」
「屋上だよ」
「……一応確認のために聞くけど、それを証明できる人は?」
「居るわけ無いだろ。校舎にはもう俺たち以外誰も居なかったんだから」
藤島はそう突き放すように言った後、
「ったく、くだらない。こんな事社会に出ても何の役にも立たないってのに」
と愚痴った。
2-3/
――美咲空、美咲海の証言――
場所は変わって生徒会室に戻ってきた。
「遠野くんも、大変だね」
二年生の書記。美咲空が小さく苦笑しながら言った。中肉中背で、柔らかく肩まで伸びた髪は黒い。その大人しいながらも優しく柔らかい物腰。男が守ってあげたいタイプだろう。
「分かってくれる人がいて、嬉しいよ」
言って、ため息を漏らす志貴。
空はそんな志貴を見て、小さくクスクスと笑ったが、すぐに沈んだように表情を変えた。
「……犯人、分かりそう?」
「どうかな? まだ分からないけど。……やっぱり不安?」
「うん、ちょっとね。衣装が切られたくらいでって思うかもしれないけど、でも、それって結構怖い感じがする」
そうかもしれない、と志貴は思った。
誰にも肉体的な被害が出ていないとは言っても、しかしこれで終わりだという保証はどこにも無い。むしろこういったことはエスカレートする場合のほうが多い。次は衣装ではなく、メンバーに対して直接的なダメージを与えようとしてくるかもしれなかった。
志貴は空にかける言葉を捜したが、それよりも先に声をかけた人物が居た。
「大丈夫よ、空」
美咲海。同じく二年生。空と同じ苗字で同じ歳なのは、彼女達が双子の姉妹だからだった。
「次なんか無いって。もしあったとしても、その時がチャンスじゃないの」
一卵性双生児……つまり遺伝子が同じだからといっても、育つ人格には違いが出る。美咲海は姉と全く同じ顔立ちに全く違う勝気な表情を浮かべ、姉の肩を叩いた。
二人は本当に良く似ていた。志貴も琥珀と翡翠でソックリの双子というのには慣れてはいるが、それでも彼女達はビックリするほど良く似ていた。髪型やスタイルはもちろんのこと、顔の造形だけではなく身長も体格も声すらもソックリだった。それでも志貴が二人を簡単に見分けられたのは、彼女達の性格が全く違うと言う事もあったが、それよりもハッキリとした相違点があったからだ。
それは……眼鏡だ。空の方は眼鏡をかけているが、海はかけていない。この違いは遠眼でもハッキリと分かる双子の相違点だった。
「チャンスって……捕まえるの?」
「当然っ。わざわざ犯人探しなんてする必要ないわよ。犯罪って言うのは現行犯逮捕がベストなの」
海はそう力説すると、「そうよね?」と志貴に同意を求めてきた。
志貴は曖昧にそれに頷く。確かにそれは事実ではあったが……しかし、犯人の方もそれを予測しているだろう事まで考えているのだろうか?
「えっと、美咲……あっ、妹さんの方は……」
「やぁね、海でいいわよ。双子でしょ? 名前で呼ばれなれてるから。むしろ姉妹っていう関係の方が慣れてないくらいよ」
「そう。そういうもんかな? じゃ、海。君は事件が発覚したときには皆とは一緒にいなかったんだよね? それはどうして? どこへ行っていたのかな?」
「あれ? あ、そっか。遠野くんは知らないのね。私達の家、すぐそこなのよ」
「うん。歩いて五分のところ。だから私達はお昼を家で食べてきたの」
「あぁ、なるほどね。だから二人とも遅れてきたわけだ。……あれ? でもじゃあ尚更、どうして二人は一緒に戻ってこなかったわけ?」
「そ、それは……」
「私が遅れたのは食器の片づけをしてたからよ」
言い難そうにしていた空を遮るようにして、海がフフンと笑いながら言った。
そして志貴にそのイタズラめいた顔を近づけ、
「遠野くん、気をつけてね。空は大人しくていかにも家庭的って感じに見えるけど、実はとんでもなくドジっ娘なのよ」と、聞こえよがしに耳打ちした。
「……ドジっ娘?」
「そう。掃除炊事洗濯、家事に属するあらゆる分野において類稀なるドジっぷりなの。料理で塩と砂糖を間違えるなんて当たり前。カレーにトロミをつけようとして片栗粉を入れたは良いけど量が多すぎた挙句、それは実は片栗粉じゃなくて小麦粉だったという応用技まで使いこなす、まさに天下無敵のドジっ娘なのよ!」
ドドーンと海の背後に波しぶきの映像が流れた。いや、そんな風に志貴に錯覚させるような口調だった。
「もうっ! 遠野くんにそんなこと言わなくてもいいじゃない、海のイジワル!!」
「文句があるなら、皿を一枚も割らずに後片付けしてみなさいよ」
ポカポカと妹の肩を叩く姉。それを笑って受け止める妹。
喧嘩じみているが、その実ただの愛情表現だ。
その姿に志貴はメイドの翡翠と琥珀を思い出した。
あちらは姉の方が妹をしょっちゅうイジっているが、こちらはその逆で妹の方が強いらしい。
なんだか可愛らしかったのでもう少し見ていたかった志貴だったが、時間の猶予も少ないので話を進めることにした。
「それじゃあもう一つ。二人で準備室の予備の鍵を取りにいったんだよね?」
「そうよ。といってもほとんど私がやったようなもんだけどね。空は私を追っかけてただけ」
妹はまたもそれとなくイビり、姉は「う〜」と唸った。
「俺はよく知らないんだけど、予備の鍵ってそんなに簡単に持ってこれるようなものなの?」
「無理よ。合鍵は全部先生が管理してるもの。私たちもちゃんと先生に説明して貸してもらったんだから。終わった後はちゃんとすぐに返したし」
ということは今回の事件に合鍵の存在は考慮に入れなくていいようだ。
確かに学校の管理なんて出し抜くのは容易いかもしれないが、さすがにリスクが大きすぎる。犯人が生徒会メンバーだと考えるなら、少しでも疑わしい行為は避けるはずである。
「そっか……、分かった。ありがとう」
これ以上聞いておかなければならないようなポイントも無く、志貴は質問を切り上げることにした。
「……ところで。最後に一つ聞いて良いかな?」
「いいけど……何?」
「あぁ、うん。実は最初っからずっと気になってんたんだけど……」志貴は言いつつ、生徒会室の隅に置かれているとある物体を指差した。「あの着ぐるみは何?」
「…………さぁ? 何だろね?」
答えたのは海だったが、知っているくせに、あからさまに誤魔化している。
志貴はなおも問いかける。
「ジャガイモに見えるんだけど」
「見間違いじゃない?」
「たまねぎもあるし」
「眼の錯覚よ」
「……着るの? 劇で?」
海はついにそっぽを向いてしまった。
空に視線を向ける。
空もそっぽを向いた。
それから先、劇に関して彼女達は全く何も喋らなかった。
2-4/
――藤間作次郎の証言――
「藤間……作次郎?」
「変な名前でしょう? だからあんま好きじゃないんです」
言って、藤間は肩を竦めて最早笑うしかないといった感じで苦笑した。おそらく小さい頃から何かしら言われ続けてきたのだろう。
彼は男子高校生にしては小柄な体格で、顔立ちも一見すると女性に間違ってしまいそうだった。野暮ったさとスレスレの男性にしては長い髪。そもそも柔和な顔立ちを更に柔和にしている銀色の軽そうな眼鏡など……それらの影響もあるだろう。その容姿と名前のあまりの差異に、志貴は表情には出さず心中で笑ってしまった。
「それじゃ、まず君のあの日の行動を教えてくれ」
「行動……といっても。僕はずっと生徒会室に入り浸ってましたから。昼飯も生徒会室で食べましたし、事件が起きるまで、一度も部屋から出てません」
「一度も?」
「あ、いや。そりゃあトイレに行ったりはしましたけど」
慌ててそう言い直す藤間。
妙に挙動不審だが、これはただ単にこの状況に照れているということなのだろう。
「他のメンバーはどう?」
「そうですね……。あんまり良く覚えてませんけど、皆一度は部屋を出てると思いますよ」
それもそうか……。
朝からずっと練習していたのなら、一度くらいはトイレに行っていたとしてもおかしく無いだろう。
志貴は別の質問をする。
「君は音響係なんだよね? なんで? 劇には出ないの?」
「演技が大根なんですよ。最初は一応ちゃんとした役を貰ってたんですけど、あんまりにも情けなかったから下ろしてもらったんです。その代わりに、音響係をやってるわけです」
「なるほどね……」
「あ、でも。シエル先輩は何とか全員参加させたいらしくて。台詞は無いけど、一応出番自体はあるんですよ」
「…………」
言っていること自体はさも嬉しそうだったが、しかし彼が演技が苦手だということは紛れも無く事実であるらしく、その顔は微妙に引きつっていた。
どうやら、根本的に人の前にたって何かをするということが苦手なのかもしれない。それは先ほどの藤島太一とは違って、嫌と言うわけではなく緊張しているという風だった。
「なんだか……みんなそんな感じだね?」
「はい?」
「藤島なんかは露骨に嫌がっていたけど、他のみんなも――不破先輩も含めて、劇には積極的ではないみたいだった」
「そ、それは……」
やはり彼は演技が下手らしい。
その顔に浮かび上がったのは紛れもなく志貴の言葉を肯定するものだった。
「ちょっと事情がありまして……」
「そっか。いいよ、分かったから」
もう少し突っ込んで聞くべきかとも思った志貴だったが、しかし彼をこれ以上追い詰めるのも悪い気がして止めておくことにした。
その代わりに、
「……と、ついでに一応聞いておくけど、何か他に気づいたことないかな? なんでも良いんだけど……」
「うーん。そう言われても……」
首を傾げる藤間。
確かにそれもそうだろう。突然何でも良いから気づいたことは無いか、などと聞かれても返答に困るはずだ。
しかし律儀にそんな志貴の曖昧な質問を真剣に考えていた藤間は、不意に何かを思い出したように言った。
「あ、そうだ」
「何?」
「何か気になったことがあったんですよ。えーっと、なんだったかな?」
「それは! それは、何時のこと?」
「えっと、確か準備室の前で、鍵を開ける時だったような……。うーん。何が気になったんだろ? 何か……そう、何か、違う。……いや、そうじゃなくて、オカシイっていうか。そんなはずが無い から、それがすごく気になって……」
「そんなはずが……無い?」
藤間のその言い方に、志貴は首を傾げる。
「すみません。自分でも良く分かりません」
「いや……。何を見てそう思ったのかだけでも思い出せないかな?」
「何をって言われても……。あの時……そう、誰かを見て――――」
「誰か……?」
「いえ。すみません。ちょっと分からないです」
そう言って藤間はぺこりと頭を下げた。
3−1/
「と、いうわけなんだよ」
遠野家のリビング。いつも座っているソファーに深々と腰を埋めながら、志貴は疲れた表情で言った。あの後――全員に事情を聞いた後――も色々シエルに引っ張りまわされ、結局我が家に帰ってきたのは夕飯の時間ギリギリだった。
「それは、お疲れ様でした」
そんな志貴の傍に控えながら、翡翠が事務的な声で言う。もともと感情を押し殺すタイプだが、その時の声があまりにも度を越えて頑なだったために、志貴は彼女の顔を見つめて首をかしげた。
「あれ? 何か怒ってる?」
「いいえ。私は別に。ただ……秋葉様はお怒りのご様子でした」
「あぁ、確かに。何か知らないけど怒ってたなぁ」
先ほどまでの夕食の席を思い出し、志貴はため息をついた。彼が疲れている要因は、そこにもあった。普段からマナーに関して口うるさい妹との夕食は、時折疲れるだけで、栄養を摂取しているのか、それとも消費しているのか分からなくなることがあったが、しかし今日はそれが一段と酷かった。テーブルの反対側から延々と「私、怒ってます!」というオーラを浴びせかけられ続け、なんだかずっと胃が重くて仕方なかった志貴だった。
「何であいつ怒ってたんだ?」
「……志貴様が、外出されたからだと思います」
「へ? 外出したから? え、でも。今日外へ出ることは昨日の時点でちゃんと断っておいたし……」
「昨日といっても、昨日の晩です。電話があって、呼び出されたのです。それも、シエル様から」
「それの何処が不満なんだ?」
そう志貴が何気なく聞き返した瞬間、翡翠の表情が変わった。
あ、これは来るな――――志貴はなんとなく翡翠が言わんとしている事が分かった。それは何度と無く言われ続けてきた言葉だったからだ。別段それに肉体的なダメージが伴うわけではないのだが、思わずその架空の衝撃に備えて身体をこわばらせる。
「志貴様は愚鈍かと思います!」
「うわあっ!?」
唐突に後ろから響いた翡翠の声に――いくら覚悟していたからといっても背後からという不意打ちだからどうしようもない――志貴は飛び上がった。
翡翠は今、目の前に居るのだ。なのに何故後ろから彼女の声がするのか。慌てて振り返る。
「なんだ。琥珀さんか……」
「ウフフ、驚きましたか?」
「驚いたよ。驚いた。全く、琥珀さんは俺を驚かせるのが好きだね。驚かしワールドカップで優勝狙ってるの? それともこれってもしかして、俺の心臓をハードなものにする為の荒療治なの?」
「あら。志貴さんもご機嫌ナナメなのですね」
そう言って、琥珀はクスクスと可笑しそうに笑った。
翡翠と琥珀は一卵性双生児だ。つまり、二人の容姿にはほとんど――少なくとも志貴がそれと気づけるほどには――差が無い。普段は着ている物も全く違うし、立ち振る舞いや口調などにも明確な違いがあるために判別することは容易だが、時折、琥珀の悪戯で彼女が翡翠の真似をしたときなどは、あまりにもソックリなその容姿と言動に、全く判別が不可能になる。志貴はそれで以前痛い目にあっていたので警戒はしているのだが、未だ見抜けたことは一度も無かった。
「俺も……ってことはやっぱり?」
「えぇ。それはもう」
ニッコリと何故か嬉しそうに微笑む琥珀は、先ほどまで秋葉の部屋に居た。夕食を済ませてリビングを出て行った秋葉についていたのだった。つまり、たった今まで彼女は秋葉の怒りの矢面に立たされていたわけである。
そんな琥珀に、確かに彼女の言うとおり不機嫌な対応をしてしまった自分を恥じる志貴。
「それで? いったい二人でどんなお話してたんですか? また不思議な事件の話なんでしょう?」
「あ、うん。そうだ、琥珀さんも協力してくれないかな?」
「えぇそれは構いません……けど、解決までは請け負いかねますよ?」
「あ、顔に出てた?」前回のような事を期待してしまったのだろう。志貴は自分の顔をパンッと一度叩いた。「でも、琥珀さん、頼りになるからね」
「アハッ。志貴さんは、女性の扱いがお上手なのかそれともとんでもなく下手なのか、時々どちらなのか分からなくなりますね」
「???」
志貴は琥珀の言葉の意味が分からず首を傾げたが、何かあまり引きずらない方が良い話題のようだったので、何も言わなかった。
「あ、もちろん翡翠もね。こういうのは皆で考えた方が良い」
「志貴様がそう仰られるのなら」
「助かる。それじゃあ……とりあえず、ちょっと長いけど話を聞いてよ」
言って、志貴は今日の出来事を琥珀たちに話し始めた。
3−2/
全てを話し終わり、二人の意見を聞く。
「……不思議な話ですね」そう率直に答えたのは翡翠。
「なるほど。これは難題ですねぇ」楽しそうに答えたのが琥珀。
二人の性格の違いがこういうところにも出ていた。
「それにしても、皆さん随分と……乗気ではないようですね?」
「うん……そうなんだよ。シエル先輩がかなり無茶を通したみたいで。相当この前の文化祭のことが頭にきたんだろうね」
「つまり、動機は全員に、平等に存在するということですか」
琥珀の言葉に、志貴は頷く。
シエルに「もっと仲間を信頼しろ」と言った手前、なんとも言いづらい話ではあったが、確かに生徒会メンバー達はそれぞれ劇を進んでやっているとは思えず、劇の中止を狙った妨害工作をする可能性は充分にありえた。
「でも、アリバイは全員にある、というわけですか」
「問題は、どうやってあの部屋を密室にして、どうやってそこから抜け出したのかって事だ」
「やはり窓から出たのではないのですか?」
翡翠の素直な意見に、しかし志貴は首をかしげた。
「うーん、難しいと思うけどなぁ」
三階という高さ自体はクリア出来ないことはない。それぐらいの長さの梯子がこの世に存在しないわけではないのだから。しかしそんな物が学校にあるとはとても思えなかった。脚立くらいならあるだろうが、それでも梯子の形にしたところでせいぜい二階までだ。
「仮に、三階という高さ自体は何とかクリアできたとしよう。そうすれば確かに不思議はなくなるな。犯人はまず、普通に部屋を出て鍵をかけ、そして校舎の裏まで回りそこから窓のところまで登り、中に入った。そしてシエル先輩達が準備室の前に来てから窓から出て行った。窓の鍵に関してはテスグでもあれば比較的簡単に外から締めることが出来るだろうし」
だがそれはあまりにも……。
「リスクが高すぎますね。それならいっそ全ての犯行を終わらせてから、鍵を閉め、裏から三階の窓のところまで来て、中に鍵を投げ入れる。という方がまだ確実です。……もちろん確かに犯人の心情としては、鍵が閉まった状態での犯行の方が安心できるわけですが」
「うん。そうなんだけどね……」
しかし、それならば何もこんなタイミングで犯行を行う必要性は無いように思える。確かに本番は明日なのだから時間的猶予は残されていないといえば残されていないのだが、何もメンバーが隣に居る状況である必要は無い。昼休憩のときに、あるいはもっと後になってからでもチャンスはあったはずだ。
それに、物音をたてるなんて……わざわざ鍵を閉めた理由が無い。もし物音がたてられなければ、事件の発覚はもっと遅れていただろう。そうなればもっと困った状況になっていただろう。
(……いや、それは違うか)
しかし志貴はすぐに考え直した。
「事件の発覚は早ければ早いほど良いんだ。それだけアリバイが確実になるんだから」
「えぇ。シエル様の言うとおり、この事件で得をするのも、この犯行方法で得をするのも生徒会の皆様だけです。メンバー全員にアリバイがあることが犯人の思惑通りなのかどうかは分かりませんが、しかし自分のアリバイを確固たるものとするためには、事件の発覚は早ければ早い方が良いのです」
「つまり、犯人はわざとあのタイミングを狙い、わざと物音はたてられたわけですね」
「そうだね。となると……不破先輩、藤間くん、等々力さん、藤島、それからもちろんシエル先輩も。この四人は容疑者から消えるわけだ? 何せ物音が止む前に集まっていたわけだから」
「まだそう決めるには早いような気がしますが……。例え残りの美咲空さま、海さまのどちらかが犯人だったとしても、お二人はすぐに顔をみせているのですから。まさか校舎の裏から戻ってくるだけの時間は無いはずです」
僅か三分間。時間が短いだけに、アリバイは確かに全員にある。
確かに琥珀の言うとおりだった。志貴は「む〜」と唸る。
この方法では誰にもチャンスは無い。しかしこれ以外の方法となると……。
「鍵は外側からしか閉まらない。なのに閉められた準備室の中に犯人がいた。だけど容疑者は全員準備室の外にいた」
状況を端的にまとめてみた志貴だったが、余計に混乱しただけだった。
「目の前に、論理的に説明不可能な現象が現われた場合、それは主に観測者の脆弱な認識が原因である――――だったよね、琥珀さん」
「え? えぇ、そうですね」
「だとしたら、この三つの条件のうちどれかが……あるいは全部が間違っているってわけか」
一つ目の鍵が外側からしか閉まらないというのは疑いようの無い事実だ。ちゃんと確認したんだから間違いない。
三つ目の容疑者が全員外にいたというのも、間違いないだろう。これはさすがに覆しようがない。
だとすると可能性があるのは……。
「そういえば。藤間さまの仰っていた違和感の正体はつかめましたか?」
琥珀の問いに、志貴は何かが浮かび始めていた思考をとめて答える。
「いや、それが……」
それに関しては志貴も気になったので、もう一度各メンバーに同じような違和感を感じていなかったか聞いて回ったのだったが、成果は一向に上がらなかった。
「全然ダメ。唯一シエル先輩が何か感じたような事を言ってたけど、でも藤間くんよりもっと曖昧な記憶で……。他のメンバーにいたっては全く何も感じなかったらしいし。もしかしたら、ただの気のせいなのかもしれない」
違う。
オカシイ。
そんなはずが無い。
これらの言葉が何を指しているのか、結局誰にも分からない状況だった。もちろん志貴もさっぱり分からない。
「その違和感を感じたのは、鍵を開ける時で間違いないのですか?」
「うん。そうみたいだ」
「藤間さまと、シエルさまだけが感じた違和感……」
そう呟くと、琥珀はボンヤリと中空を眺め始めた。滅多に見られない表情の落ちたその顔に驚き、それが何かを考えているときの彼女の顔なのだと気づくのが少し遅れた。
いったい何が気になるのか……志貴がそう問おうとしたときだった。
「兄さん……」
「え?」
その思っても見なかった声に、志貴は驚き振り向いた。
リビングの入り口のところ、怒りも納まらぬまま自室に引き込んでいたはずの秋葉が立っていた。
「これ、兄さんのでしょう?」
「え? ……あっ!」
秋葉が志貴に差し出したのは、何時だったか手に入れた金庫の鍵だった。いつの間にかどこかへ消えていて、何処へいってしまったのだろう?と探していたのだが……どうやら見つかったようである。
「廊下に落ちていたので、拾っておきました」
「あ、あぁ。サンキュ」
なんで廊下になんて落ちてたんだろう? 志貴は疑問に思ったが、別段追求するようなところではなかったので、素直にお礼を言ってそれを受け取った。
「…………」
秋葉は一度、三人を無言で睨んだ後、なにやら不服そうな顔をして立ち去っていった。
どうやら怒りを納めてくれた、というわけではないらしい。いや、それとも一度納まったものの、この状況――自分を仲間はずれにして三人で話している状況――を見て、再び怒りが湧き上がってきたのかもしれない。
その怒りが爆発しなかった事を幸いとするべきか……しかし火山は活火山よりも休火山の方が危険だという。判断を迷うところだった。
「ふぅ……」
思わずため息が漏れる。
問題が山積み過ぎて頭が痛くなった。
志貴は眼鏡を外し――瞼をしっかりと閉じながら、だ――目頭をこする。年中眼鏡をかけているので、目頭の少し下、鼻骨の辺りに眼鏡の鼻当ての型がついていた。ついでにそれもこすっておく。こすっても元には戻らないのだけど。
「うーん……」志貴はとりあえず秋葉のことは置いておく事にして、「何か、情報が足りてないって感じだな」そう呟いた。
別段誰かに答えを期待したわけではなく、ただの呟きだった。
しかしそれに……思わぬ答えが返ってきた。
「志貴さま。それは正確ではありません」
「え――――」
志貴は眼鏡をかけ直し、琥珀の顔を見た。
彼女の表情は先ほどまでのものとはうって変わり、確信に満ちた表情だった。
「情報が常に万全であることなど、学校のテスト以外にはありえないことなんです。だから私達は、足りないものを仮定して補い、仮説を立てて考えていかなければならないんです」
その口ぶりに、志貴はハッと気づく。
「琥珀さん……もしかして、分かったの?」
「分かった わけではありませんよ。ただ、もしいくつかの仮定が正しいのであれば、私の仮説は成り立つ 、というだけです」
「い、いや! それでも充分だって!」
志貴は立ち上がり、琥珀の顔を見つめる。
彼女はその瞳をまっすぐに受け止め――――そして言った。
「志貴さん、明日事件のあった場所に、シエルさま達を呼んでいただけないでしょうか? 全ての解決は、そこで」
4/
そうして、琥珀はその雑多な部屋に足を踏み入れた。
その瞬間に、「あはは……」と複雑そうな顔で笑う。
「……翡翠ちゃんを呼んできたい部屋ですね」
「……いや、翡翠がかわいそうだよ。この部屋の掃除は」
翡翠の掃除した遠野の屋敷に慣れ親しんでいる琥珀には、この部屋の惨状はまさに混沌 といった感じだろう。
「それで? 琥珀さんの言っていた仮定っていうのは?」
「えぇ……」
琥珀は一度テーブルの上に置かれた山を見て、そして頷いた。
「はい。どうやら正しかったようです」
「え、ホント?」
「えぇ。……これ がここ にあるのであれば、何の問題もありません」
「これ……?」
琥珀の言った代名詞がなんであるのか、志貴は考える。
それが、この部屋にあるのならば、何の問題もなく推理が成り立つ……そんな物。
狭い室内を、そしてテーブルの上の混沌を探る。
そこにある物――――
ジュースの空き缶。何時から置かれているのか、黄色くなったプリント。タクト。ピアニカ。CD。カセットテープ。ビデオテープ。前面になにやら妖しげな皿のような物が飛び出しているのは……CDラジカセだ。そのリモコンも横に落ちている。マジックやペン類が見える範囲でも5本。ついでに黒板が無いのに何故かチョークまである。さらに古臭い卓上計算機。1メートルのプラスチック定規。テニスのラケット――――そこまで見たところで、志貴の脳裏にある発想が閃いた。
「そうか――――そういう事か!」
「志貴さんも、お分かりになられましたか?」
「あぁ。多分これで間違いない」
そう。確かにこれがここにあるのならば、何の問題もないではないか。
なにせ、一番の問題があっさりと解決されてしまうのだから。
「では……今回は、志貴さんにお任せしましょうか」
自信満々に笑う志貴を見て、琥珀はニッコリと微笑んだ。
中書き
さて、ここまでが問題編です。
今回はフーダニット、ハウダニットの二点責め!!(違
いや〜苦労しました。
難しいのなんのって……。
でも無事成功できたと思います。
……多分成功しています。
…………いや、成功していると信じたいです(汗
かなり妖しい感じですが、とりあえず、ちゃんと皆様が楽しめる謎を用意したつもりです。
とにかく、今回は上記二つ――ホワイダニットに関しては別にどんでん返しがあるわけではないので――の謎を考えてみてください。
分かったよ〜っていう方は、宜しければ掲示板かメールにて教えていただけるとありがたいです。
でわでわ、解決編にてお会いしましょう。
……なお、推理を組み立てる上での重大なミスがあったとしても当方は何の責任も負いません(というか、負えません)ので、その辺りはご了承ください(ぉぉ